第101話 絶対わざと
「それで安心して帰って来たのね?」
ベアトリーチェは、感心半分、呆れ半分でそう聞いた。
ニコラスは頷く。
「・・・まあ、あなたらしいと言えば、らしいのかしら。じゃあナタリア・・・さんは、なぜあなたが
「まあそうでしょうね。俺がしたのは、弟くんの相手くらいですから」
ニコラスは、そう言うと鷹揚に笑った。
だが、ベアトリーチェは少し不満そうだ。
「せっかく仕事を休んでまで様子を見に行ったのに」
「いいんですよ。彼女が元気でやってくれてるなら、それで」
気にした風でもないニコラスに、ベアトリーチェは気遣わしげに続けた。
「・・・でも、あとひと月もすればもう会えなくなってしまうのよ」
「・・・そうですね」
ニコラスは一度、言葉を切り、少しの間考える。
「まあ、前に多少告白っぽいことを彼女に言ったりはしたことあるんですけど」
「え、そうなの?」
「ええ、まあ。かなり回りくどくですけどね・・・ああ、でも」
ニコラスは、人さし指でぽりぽりと頬をかいた。
「マルケスさんに、喝を入れてもらったので」
「・・・え?」
意外な人物がニコラスの口から上り、ベアトリーチェは目を丸くする。
それは、この場に同席していて、けれど今まで石のように押し黙り、傍観者の立場を貫いていたレンブラントも同様だった。
「俺の気持ちが報われるとか、報われないとか、そういうのよりもっと大切なことがあるって今さらですが分かったんで」
「・・・まあ、そう、なの・・・」
ベアトリーチェは、つい兄の方へと目を遣る。
朝夕の登下校の警護ですっかり馴染みになってしまった見た目だけ少年風の人物と、ニコラスの言葉とが一致しないからだ。
だが、レンブラントは肩を竦めただけで、再び手元の書類へと視線を戻した。
レンブラントはよく気がつくし面倒見がいい男だが、頼まれてもいないのに手を回すのは、基本的にベアトリーチェが関わっている時と策謀を巡らす時だけだ。
『良かれと思って』したことが、当人にとって本当に良いかどうかは分からない。
果たして、ただの有り難迷惑の場合もある。と言うかその場合が殆どだ。
まあ最近は、レオポルドの突撃によって、そのスタンスも崩れつつあるのだが。
「なんだか意外だわ・・・マルケスって、確か、その、女性関係が派手ではなかったかしら・・・その人がそんなことを言うなんて」
「俺も驚きました。でも、妙にスッキリしまして」
ニコラスは頷いて、一旦言葉を切った。
「ナタリアさんが笑っていられる様に、それだけを考えることに決めたんです」
「・・・そうなのね」
「彼女は、俺の気持ちを知らない訳じゃないですからね。これ以上押しても迷惑なだけです。だったら、友達の振りをしてでも見守っていたい。そしたら、何かあった時に駆けつけられるでしょう? 友達の顔をして」
「・・・まあ、ニコラス。あなたって人は」
感心したようにベアトリーチェがニコラスの名前を呼ぶと、ここでレンブラントが口を挟んだ。
「感動しているところを邪魔するようで悪いがな。もうじき父上への進捗報告を終えてあいつが戻って来るぞ。そんなうっとりした顔をしてるところを見せたら、絶対に勘違いして泣くからな」
「ええ? 私、そんな変な顔になってます?」
ベアトリーチェは慌てて両手で頬を押さえる。あいつとは勿論エドガーのことだ。
新薬開発の進捗状況を報告するために、ノイスの部屋まで行っている。
いつもだったら、揶揄わないでと笑って気にもしなかっただろう。だが午前中に似たような誤解をされてエドガーが撃沈しかけたのをベアトリーチェは目撃している。
ただニコラスの想いの深さに感動しただけなのだが。恋愛小説の主人公を応援するようなミーハーな気分になっているだけなのだが。
自信がないと確かめるのも不安になる。確かめないでいるうちに不安はどんどん膨らんでいく。そして、とてつもない誤解を生む。その誤解が思いも寄らない結果を招くこともあるのだ。
それを、ベアトリーチェは巻き戻り前の人生で学んだ。
「それはまずいですわ。ええと、こう・・・これでいいでしょうか」
ベアトリーチェは頑張って顔を引き締める。
だがレンブラントは首を横に振った。
「全然ダメだな。口元が緩んでいて、却って怪しい」
「うう・・・では、こうですか?」
「ダメ」
「えええ? で、では、これでどうです?」
「却下」
ベアトリーチェは気分を引き締めようと、頬を軽くペチペチと叩く。
そして、今一度気を引き締めて、兄の名を呼ぼうとした時だ。
「あの、レンブラントさま。ベアトリーチェさま」
ニコラスが二人の名前を呼んだ。
「そんなことをせずとも、もう報告が終わりましたので、俺が退室すればいいのでは」
「・・・あ」
だが、ここで間抜けな声を上げたのは、ベアトリーチェひとり。
向かい側のソファには、肩を震わせて笑っているレンブラントの姿があった。
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