第98話 今、ベアトリーチェは生きている


「俺は幸せになってもいいとベアトリーチェが言った。ナタリア、君もだ。君も俺にそう言ってくれた。なら、君は? 君は幸せになってはいけないのか・・・?」



気まぐれのように、たまに強く吹き付ける風が、ナタリアの髪をふわりと舞いあげる。


ナタリアは答えない。



「・・・ナタリア」



たぶん、もうあと数分。


レオポルドは、もどかしさを感じつつ言葉を紡いだ。



「ベアトリーチェは今、生きている」


「・・・」


「そして、きっとこの先も生き続ける」



ナタリアは答えない。答えられない。

何をどう言えばいいのか分からなかったから。


ナタリアにはまだ分からない。まだ迷っているのだ。


レオポルドの言葉に、頷く資格が自分にあるのかどうか。



「今、ベアトリーチェの病を治す薬の開発が進んでいるらしい。その完成も近いと聞く」


「え・・・?」



ナタリアは目を見開いた。


アレハンドロに教わった前の話では、薬の完成はもっと先のことだ。ナタリアがベアトリーチェを殺したという年。白い結婚が成立する年。少なくてもあと数年以上は先の筈。



「嘘じゃない。俺の幼馴染みが開発に携わっている。ベアトリーチェとも幼馴染みで、今は彼女の恋人だ」


「・・・本当に?」


「ああ。本人から聞いたから間違いない。あと一年もかからないだろう」


「・・・そう、なのね」



薬の開発が早まった。


ベアトリーチェの好きな人はレオポルドではなく、その薬の開発に参加している幼馴染みだという。


ナタリアもレオポルドと別れ、違う人生を歩み始めた。



そして、レオポルドはメラニーと婚約して。



アレハンドロは。

アレハンドロは今、動けない。



・・・ベアトリーチェは死なない。


今度は、死なない。



「死なない・・・死なないのね・・・」



ぽろり、と涙が溢れた。



今、ベアトリーチェは生きていて、これからもきっと生きて。生き続けて。



「・・・よかった・・・」



どこかで何かの間違いが起きるのではないかと、ずっと怖かった。


自分は無知だから。すぐに騙されてしまうから。何も分かっていないから。



また、どこかで間違えてしまうのではないかと怖かった。


でも、きっと。

きっと、今度は。



「良かったぁ・・・っ」



今度のベアトリーチェは大丈夫なのだ。



決壊した涙腺からは、ぽろぽろぽろと留まることなく涙が流れ落ちる。


レオポルドは困ったように眉を下げた。



「・・・泣くなよ。俺はもう、お前を慰めてやることは出来ないんだ」


「ご、め・・・なさ・・・」


「・・・ほら、これ」



胸ポケットからハンカチを出し、ナタリアに差し出す。



「これくらいなら、大丈夫だろ?」



まだ自分の判断に自信がないのだろう、その口調はちょっと弱々しい。



「・・・ありがとう。でも大丈夫よ。ハンカチなら持って来てるから」


「そうか」



ナタリアはスカートのポケットからハンカチを取り出すと、そっと目元を抑える。



「・・・もうそろそろ10分になるかな。戻らないとね」


「・・・そうだな」



二人は、離れて待つ侍女たちの方へとゆっくり歩を進める。



「・・・ナタリア」


「はい?」


「俺は、レンブラントとベアトリーチェから時間の巻き戻りについて聞いた。記憶があるのはベアトリーチェの方だ・・・確か、アレハンドロもそうなんだよな」


「・・・うん」



ゆっくり、ゆっくりと、待機する侍女たちの方へと歩を進める。



レオポルドは少し声を顰めて続けた。



「俺はその記憶がないから、話を聞いても何が起きたのかちゃんと分かってないと思う。想像は出来るけど、たぶん全然足りない気がするんだ」



ナタリアは頷いた。


それはナタリア自身も、いつも思っていたことだ。


聞いたことを想像して、でもどれだけ考えても現実味がなくて。


そんな馬鹿な、ありえない、と頭が拒否する。


それが、自分が知らない罪から逃げているようで許せなくて。



・・・苦しかった。



「どれだけ考えても、悩んでも、俺たちはベアトリーチェのようにその時のことは覚えていない。結局、どこまでもただの想像になってしまうんだ」



もう少しで、侍女たちに声が届く距離になる。


レオポルドは更に声を顰め、少し早口になった。



「だから、下手に考えるよりも聞いてみたらいいと思う」


「・・・聞く?」


「ああ。許されるのかどうかを、ちゃんと罪を知っている人に。だって傷ついたのはその人だ」



ナタリアたちを待つ侍女たちのところまで、あと少し。



きっともう、普通に話せば聞こえてしまうだろう。


けれど、ここでレオポルドは声を大きくした。


だから、と続ける。



「ベアトリーチェに会ってくるといい」


「・・・」



呆然と見上げるナタリアに、レオポルドは安心させるように笑いかけた。



そして。



「じゃあ俺はメラニーのところに戻る・・・ナタリア。俺の書いた手紙、二枚目に書いた最後の言葉を、忘れないでほしい」



そう言って、レオポルドはナタリアに背を向ける。



そして、迷いのない足取りで、屋敷の中へと入っていった。




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