第66話 適任者は誰だ


「・・・それで? この様な状態のアレハンドロさまを見せて、私に何をさせるつもりだ?」



ザカライアスは、レンブラントを睨みつけた。



「かようなお姿になったとて、アレハンドロさまの害となる事には一切関わらぬぞ」


「・・・大した忠誠心だ。まあ、話を聞けよ。これはお前みたいな奴じゃないと頼めないような仕事なんだ」


「・・・?」



訝しげな視線を向けるザカライアスに鷹揚に笑いかけると、レンブラントは鞄から用意していたものを取り出した。



それら・・・はガシャリとテーブルの上で重たい音を立てる。



「ザカライアス、これをお前に任せたい」









ザカライアスがレジェス商会に働きに出たのは今から八年前。アレハンドロが十歳の時だ。


だから最初の頃は、ミルッヒの事件について何も知らなかった。


その当時から商会の手伝いをしていたアレハンドロとは、顔を合わせる機会は何度かあったものの言葉を交わすことは殆どなく。



四年間レジェス商会の経理担当として働いた後、アレハンドロが新部門を立ち上げるにあたり彼の直属の部下となったのが始まりだ。


その時、アレハンドロは十四歳。


ザカライアスより十五も年下のアレハンドロは、十四という年齢に似合わぬ優れた審美眼を持っており、彼が仕入れた商品は常に世間の話題をさらった。


マッケイの命令により、アレハンドロが稼いだ売り上げの半分が毎月上納金と称して父親の懐に入ったが、その様に搾取されてもなお、部門内の必要なものを賄い、使用人たちに給与を払うに事足りた。


マッケイの要求は無茶苦茶だとザカライアスは思ったが、当のアレハンドロに気にした様子はない。淡々と、ただ言われるがままに、金を稼ぎ、父に納め続けた。


父や母と言葉すら交わさず、あるのは書面もしくは人を介してのやり取りのみ。それもほぼ金絡みだ。


側から見ていて心配になるほどの冷えきった関係だ。


アレハンドロは誰に対しても関心を見せず、不要と判断したら情も未練もなく即座に切り捨てる。


そんなアレハンドロが危なっかしいと思った。

どこかで爆発してしまうのではないかと心配だった。


アレハンドロが感情らしきものを表すのは、ただ一人、ナタリアという少女と一緒にいる時だけ。


そして、彼が執着する対象もナタリアだけだ。



商会で働くようになって数年も経てば、ミルッヒの事件についてザカライアスの耳にも入っていた。どこにでも裏事情を教えてくれる親切・・な人はいるものだ。


たった六歳で、妹を川に突き落として死なせた恐ろしい子ども。


これまで他に後継となる男の子が生まれなかったから、仕方なく会頭が跡継ぎとして置いておくしかなかった悪魔の如きレジェス家の長男。


そう揶揄する一部の商会員たちと、アレハンドロの手腕を評価しマッケイよりもよほどレジェス商会の会頭に相応しいと主張する者たちと。


ザカライアスは後者グループの筆頭だった。


だから、ミルッヒの件について知っても、なんとも思わなかった。



寧ろ、すとんと納得したのだ。


だから、あの方は何にも執着しないのか。

親も弟妹も、あの方にはただただ煩わしいだけ。


必要なのはたった一人、ナタリアさまだけなのだ、と。



ミルッヒを殺したと聞かされたとて、それまで敬愛していた上司を忌避するという事もなく。


むしろ、そんな脆さがあると知って、アレハンドロも普通の人間だったのだと安堵した。



若い上司を支え、時に助言し、自分の価値を認められ、いつしか唯一の主人と心に定めた。


アレハンドロの喜ぶ事なら何でもやった。

たとえどんな非道なことでも、後ろ暗い行為でも。



地獄にまでもお供しようと誓っていたのに。



六歳までの記憶しか残っていないアレハンドロにとって、十歳で出会ったザカライアスは会ったことのない男の人となっていて。


今、目の前にいるアレハンドロは、なんの目論見も思惑もない空っぽの瞳でザカライアスを見上げる。



「今のこいつには、ミルッヒとそれ以外という区分しかない」



レンブラントの声が、やけに煩く響いた。



「だけどな、それでも俺は、こいつに借りを残したままにはしたくないんだ」



だから、とレンブラントは目の前に無造作に置かれた袋の山に視線を送る。



「普通に目覚めたら、これをさっさと押しつけて、それから罪を償わせようと思ってたんだが」



いざ意識が戻ったらこんな状態だろ、と淡々とした口調で続ける。



「・・・これを、私にどうしろと」



絞り出す様な声。



「別に。どう使ってもいいよ。金貨七百枚、これはもう俺の金じゃない。アレハンドロのものだ」


「・・・は?」


、こいつがこれだけの金を使ってやった事に、意図せず俺が助けられた。

まあ、アレハンドロにしてみれば俺の事情など知ったことかってところだろうが、それじゃ俺の気が済まない・・・俺はこいつに借りを残したくない」


「・・・アレハンドロさまがそれ程の大金を使って何かなさったとは聞いていないが」


「お前も知らない事情があるんだよ」


「だからと言って・・・」


「こんな状態のアレハンドロに金を渡しても、どうにもならないだろ」



レンブラントがテーブル上の袋の山を軽く小突く。一番上の袋が音を立てて脇に落ち、中から金貨が零れ出た。



「今やこいつは一文なしだ。親もこいつの世話を拒否した。行く所がないなら道端に放り出せってさ」


「・・・っ」


病院ここでの治療を続けるにしろ、どこか他の場所に行くにしろ、こいつの持ってるものは今このテーブルにあるこれらの袋の中身だけ。

かと言って、今のこいつにはこれの管理も出来ない。だとしたら、誰かに任せるしかない。なら適任者は誰だ?」



黙り込むザカライアスを一瞥すると、レンブラントは立ち上がり、無造作に袋の中に手を突っ込んだ。



「・・・? おいっ!」



批難を込めた声など気にもせず、レンブラントは金貨三枚を手に取った。



「取り敢えず、今までの治療費分は貰っとく。これで来週末まではここに居られるから」


「・・・」


「後は好きにしろ。お前が金を横領して雲隠れしようが、こいつの為に真面目に運用しようが、俺の知った事ではない。

とにかく俺はこの男に借りを返した。それだけだ」



それ以上の会話は必要ないと言わんばかりにレンブラントはザカライアスに背を向け、そのまま病室から立ち去った。



室内に残されたのは、金貨の袋の山を前にして言葉なく佇むザカライアスと。



そして、ナタリアミルッヒ以外の何ものも目に映そうとしないアレハンドロの二人だけだった。


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