第44話 逃げることは許さないよーーー逆行前



「悪いな、急に呼び出して。ナタリアがどうしてるか気になったものだから」



アレハンドロは気遣わしげな表情を浮かべ、そう言った。



「元気がないな・・・まあ無理もないか。今のこの状況じゃ」



そう言って、ナタリアのために注文しておいた飲み物を前にスッと差し出す。



「それで、ベアトリーチェの容体は?」


「この間お見舞いに行ったわ。とても具合が悪そうだった。もともと痩せ気味だったのに、更に痩せてしまって・・・ずっとベッドから起きられないみたい」



ナタリアは涙ぐみながら、渡された飲み物を手に取った。



「・・・そうか。ああでも、おめでとうと言うべきか? お前が待ちに待った時が、もうすぐやって来るんだもんな」


「・・・アレハンドロ?」



その台詞に困惑したナタリアは、口にしていたグラスをテーブルに置いた。ガチャンと少し大きな音が立つ。



「何を言うの。私はトリーチェの死を待ち望んでなんかいないわ」


「へえ、本当に?」


「本当よ。トリーチェが私たちのためにあんな申し出をしてくれた時は本当に有難いと思ったし、確かにそれに縋ってはいたけど・・・でも、トリーチェが生きていてくれる方が、やっぱり私は嬉しい」


「あいつの奥さんになれなくても?」



ナタリアは俯き、テーブルの上で組んだ両手に力をこめた。



「・・・もちろんレオの事は今も大好きよ。でも、だからってトリーチェが死ねばいいなんて思ったことは一度もないわ」


「そっか。じゃあこれを渡しても問題ないな」



アレハンドロは嬉しそうに頷くと、ポケットから小さな包みを取り出した。



「これは?」


「これはね、ドリエステで最近開発に成功した薬だ。ベアトリーチェの病気の特効薬だってさ」


「・・・っ!」



ナタリアは目を瞠る。


アレハンドロは笑みを更に深くした。



「今なら間に合うよ。持っていってあげな。それでベアトリーチェの命は助かる・・・まあ、お前があいつの後妻になるっていう希望は消えちゃうけど」


「これが・・・薬。トリーチェの病気の」



ナタリアは震える手で包みに触れる。


僅かな逡巡。だが、ナタリアはその包みを手に取った。



「・・・ありがとう」



囁くような小さな声。



「こんな貴重なものを、わざわざ取り寄せてくれたのね」


「・・・」


「これをライナルファ家に届けてくるわ。お金は・・・私が後で必ず払うから」



そう言って立ち上がったナタリアを見て、アレハンドロは大きな息を吐いた。



「・・・届ける気?」


「もちろんよ」



そう答えると、まるで宝物の様に手の中の包みをぎゅっと胸に押し当てる。



「・・・だって、これさえあればトリーチェは助かるんでしょ?」


「まあな。なにせ医療先進国のドリエステが、長年の研究の末に開発に成功した新薬だからな」



アレハンドロの試すような言葉と視線に、ナタリアは気づかない。



「それで良いの。だって、やっぱり、トリーチェに死んでほしくない。不治の病なら仕方ないって諦めてたけど、でも薬が出来たのなら生きて欲しいもの」


「じゃあアイツの事は諦めるんだ?」


「・・・そうね。そうなったら諦めないといけないわね。でも暫く恋はしたくないな。ううん、きっと出来ないと思う。私は傷物令嬢になるもの」


「・・・おい、まさか体の関係があったのか?」


「恥ずかしいこと言わないで・・・そんなの無いわ。レオはそういう人じゃないもの。トリーチェを妻として迎える以上、たとえ白い結婚という契約でも、妻以外の女性と関係を続けるのは良くないって。

私もそう思ったから、三年前から私たちは友だちとしての距離を保ってきたわ。

傷物って言うのは、その、私がレオを好きだったって事は皆に知られてるし、もう結婚適齢期も過ぎてるし・・・そういう事よ」


「ふぅん」



寂しそうに笑うナタリアを、アレハンドロの昏い視線が貫いた。



「じゃあさ、こんな案があるんだけど。ナタリアはどう思う?」



そう言って再びナタリアを椅子に座らせると、アレハンドロは胸元のポケットから取り出した一枚の書類を、テーブルの上に広げた。







ガタガタと馬車が走る。


今、二人はライナルファ侯爵家へと向かう馬車の中にいた。


少なくとも、そう指示を出して馬車を出発させた。まだ正気・・だったナタリアが、薬を届けるつもりでいたからだ。



ライナルファ家に着いたら、御者に指示を出して、俺の屋敷に向かわせよう。

今は余計な言葉をこいつの耳に入れられない。


そんな事を考えながら、アレハンドロは隣に座るナタリアの表情を確認する。


その眼はひどく虚ろだ。


それを見て、アレハンドロは薬が効いてきた事を確認する。



目の焦点が合っていないナタリアの頬を、アレハンドロの指がつつ、と撫でた。



・・・馬鹿で純粋なナタリア。


お前は、いつになったら俺の言うことがちゃんと聞ける様になるのかな。


アレハンドロはそう心の中で呟いた。



新薬の開発について話し、いち早く薬を取り寄せた。

その話をナタリアに聞かせ、残っていた希望を砕く。

あの男の後妻になる事を諦めたら、用意した婚姻届にサインさせてそれで終わり。そうなる筈だった。


なのにナタリアは断った。

断ってはいけなかったのに。



先ほどのカフェの店先での遣り取りを思い出し、アレハンドロは眉根をきつく寄せた。




--- ありがとう。私を気遣って言ってくれたのね。でも大丈夫よ



--- アレハンドロは立派な商会の跡取りだもの。きっと素敵なお嫁さんが見つかるわ



--- こんな気持ちのまま、あなたに甘えることは出来ない、申し訳なさすぎるわ





ふざけるな。



今お前を逃せば、またあの男の元に戻ってしまう。

そして今度こそあの男のものになってしまう。


アレハンドロが見せた薬は本物、紛れもなくベアトリーチェの病の特効薬だ。



だが効能が強すぎて、今のベアトリーチェの身体はそれに耐える事が出来ない。



アレハンドロは、取り寄せ先のドリエステの薬師から説明を受けていた。


ある程度の体力を回復させてからでないと、却って命を縮めることになります、と。



今のベアトリーチェは薬を飲める状態ではない。つまり薬を持って行ったとしても服用は無理なのだ。


ならばどうなるかは明白だ、あと数週間でベアトリーチェは病の果てに死に、愛する男レオポルドの妻の座が空いてしまう。



そうなれば、あの忌々しいベアトリーチェの言葉通りに事が運ぶ。



ーーーナタリアが、レオポルドの後妻として嫁ぐのだ。



許さない、許さない、そんな事は許されない。



それを阻むため、飲めもしない薬の情報をナタリアに知らせた。


絶望し、レオポルドとの婚姻を諦めたナタリアに、アレハンドロとの婚姻証書へのサインをさせる。


そして、数週間後には愛する男レオポルドの妻の座が空いたにも関わらず、自分は既に他の男アレハンドロの妻になっていた、そんな最高の状況が作り上げられる筈だった。


それを知った時の絶望、その時に流す涙。



それが見たかった。それが欲しかった。


なのに、この玩具は。



苛立ちのままにナタリアの顎をつかみ、自分の方へと向かせる。



俺から逃げることは許さないよ、ナタリアミルッヒ



アレハンドロは、飲み物に混ぜて服用させた暗示薬の効果で朦朧とするナタリアの耳元でこう囁く。



--- お前の親友は、お前の信頼を裏切ったよ。薬が開発されたんだ、もうあの女がお前に妻の座を譲ることはない



--- あの女は、自分ひとりが助かって、お前を絶望の淵に落とす道を選んだんだよ



ナタリアの瞳が揺れる。


その瞳に涙が滲む。



それに構うことなく、アレハンドロは囁き続ける。



--- 哀れなナタリア。親友にも恋人にも裏切られて



もうお前には、何も残っちゃいない



何一つ、残っちゃいないんだ



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