アエガテス ~第一次ポエニ戦争、その決戦~

四谷軒

01 シチリア島の行方

 最初は、単なる小競り合いだったという。

 マメルティニという傭兵集団が、地中海シチリア島のメッシーナを占領したという。

 この時、シチリア島はシラクサが支配していた。シラクサの僭主、ヒエロン二世はメッシーナ奪還を企図し、マメルティニ討伐を決意。そしてマメルティニは当時、紀元前二八八年の地中海世界を二分する、ふたつの勢力それぞれに援助を要請した。

 すなわち、カルタゴとローマ。

 これはのちに第一次ポエニ戦争といわれる、そのカルタゴとローマの争いの決戦を描く物語である。 



 反応が早かったのはカルタゴである。

 カルタゴは海洋国家として名高く、すぐに軍をシチリア島に上陸させ、マメルティニに対して、カルタゴ軍のメッシーナ進駐を示唆した。

 泡を食ったマメルティニはローマに対して、救援をと矢の催促をした。

「助けるか、否か」

 ローマの元老院セナートゥスは揉めた。

 マメルティニはいわば不法集団である。不当にメッシーナを支配し、それに対してとしてシラクサがカルタゴとローマに「出動」を要請していた。

 法を重んじるローマとしては、マメルティニこそ退治されてしかるべしである。

 また、ローマは先年のエペイロスの王ピュロスとの戦いのも癒えていない。

 一方で。

 シチリアをカルタゴに取られたら、という危惧もある。いみじくもピュロスがシチリアをローマとカルタゴの角逐の場だと喝破したが、そのシチリアを制した方が勝者となるであろう。

 煩悶するローマ元老院は、民会に諮ることにした。

 民会はマメルティニ救援に決した。


 ここに、ローマはシラクサへ兵を向け、カルタゴと対峙する。

 第一次ポエニ戦争の開幕である。



 ローマは当初、優勢を誇った。

 まず、シチリア島のアグリゲントゥムで勝った。そして、地中海における戦いにおいては、艦隊は不可欠という結論に達し、海運においては発展途上だったローマは艦隊を建造。

 ローマ艦隊は緒戦であるリーパリ諸島の海戦には敗れたものの、ミレ沖の戦いには勝利し、つづいてエクノモス岬の戦いにおいて勝利した。

 これにはコルウスと呼ばれる装置によるところが大きい。コルウスとは、船体に「立たせた」梯子状の装置を取り付け、敵艦との接触時にその「立たせた」梯子状の装置を「横に」倒し、その上を兵が渡って行くための装置である。

 このコルウスはしかも、回転させることが可能で、逆方向から敵艦が来ても、即座に対応できた。

 ――こうして、ローマはコルウスという未曽有の新兵器を活用することにより、海軍国家カルタゴ相手に勝利を得ることができた。

 そして余勢を駆って、アフリカに上陸、アフリカ沿岸部のカルタゴの勢力圏を席捲し、やがてカルタゴ本国をこうという作戦に出た。

 実際、当時の執政官コンスルレグルスはよくやった。アディスで勝利し、カルタゴに対して、ローマ有利の講和条約を突き付けるまで至った。

 しかし。

 カルタゴとて地中海覇権国家としての意地がある。

 スパルタ人傭兵、クサンティッポスを雇ったカルタゴは反転攻勢に出て、チュニスにてローマを破った。これにより、レグルスは捕らえられてしまう。

 こうなるとローマは、海の方もうまくいかなくなる。

 ドレパナ沖で執政官コンスルプルケルは敗北し、もうひとりの執政官コンスルプッルスが率いる艦隊は嵐により沈没してしまう。プルケルには罰金が科されたが、プッルスは己を恥じて、自死を選んでしまう。

 そうこうしている間に、カルタゴは良将ハミルカル・バルカをシチリア島に派し、ハミルカルはシチリア全土を占領し、第一次ポエニ戦争は、やはりカルタゴの勝利で終わるかと囁かれた。

 ちなみにこのハミルカルはハンニバル・バルカの父であり、名将の父はやはり名将であったと伝えられる。

「もう、駄目だ」

 シチリアはハミルカルのものになり、頼みの綱の海軍も壊滅状態。さらには、ローマの国庫には金銭かねが無かった。

 こうした状況の中――紀元前二四二年、ローマはガイウス・ルタティウス・カトゥルスという執政官コンスルを選ぶ。彼は平民プレブスの出身であり、ルタティウスという氏族では初の執政官コンスルである新人ノウス・ホモである。

「子犬」

 と意味する「カトゥルス」をいう名にふさわしく、小兵の、どちらかというと愛嬌のある顔立ちをしている初老の男だった。

 初老――そう、名誉あるキャリアクルスス・ホノルムという、ローマの執政官コンスルに至るまでの道筋の呼び方があるが、カトゥルスがこの名誉あるキャリアクルスス・ホノルムをたどっているとなると、平民プレブス出身であるため、それ相応の年数を重ねていることになる。


「それでは、ローマの元老院と市民諸君SPQR(Senatus Populusque Romanus)、今年の執政官コンスルはカトゥルスとアルビヌスが選ばれた」

 元老院セナートゥスにおいて、最高神祇官ポンテフィクス・マクシムスのルキウス・カエキリウス・メテッルスがそう述べた。

 このメテッルスもかつては執政官コンスルを務め、パノルムス(現・パレルモ)の戦いという戦いにおいて、カルタゴの将軍ハスドルバルを撃破し、凱旋式を挙行する権利を与えられたことがある。

 そしてどこまでもローマに忠実な男で、神殿に火事が起こった時に、その火に恐れもせずに飛び込み、神像を抱えて出て来たという逸話の持ち主である。その猛火のせいで、目が見えなくなってしまったにもかかわらず。

 さて、メテッルスが敢えて元老院セナートゥスでカトゥルスとアルビヌス――アウルス・ポストゥミウス・アルビヌスを執政官コンスルとして選出された、と述べたのには、わけがある。

「なお、アルビヌスについてだが、彼はマルス神殿の最高神官フラメン・マルティアリスでもある。最高神官は、ローマにおいて神殿に仕える義務がある。よって、ローマから出ることは許されない」

 元老院は揺れた。

 今、まさにシチリアにおいて、カルタゴとの闘争の真っ最中である。であるのに、執政官コンスル――首相にして最高司令官たる地位――がシチリアに征かずして、何とするか。

 ただし、当のカトゥルスとアルビヌスは平然たるあり様だった。

「諸君」

 メテッルスは毅然たる声に、場が鎮まる。

 歴戦の猛将であり、ローマへの忠実さにおいて右に出る者がいない彼の声には、それだけの力があった。

「……諸君、吾輩とて、カルタゴとの戦いにおいて、いたずらに仕来たりを強調するつもりはない。聞け、諸君! われらローマの先人たちは、常に前例を改め、前へ進んで来た! 今がその時である!」

 メテッルスが長衣トーガを揺らして、手を伸ばすと、その先には若い男が立っていた。

「クィントゥス・ウァレリウス・ファルト、彼を今年の法務官プラエトルとする」

 法務官プラエトルは従来一名であったが、今般、二名に増員され、その二人目が彼、ファルトであった。

 ファルトが厳かに一礼すると、メテッルスは頷いて、発言をつづけた。

「彼、ファルトに指揮権インペリウムを与えよう、諸君! 執政官コンスルアルビヌスの代わりとして、彼が行使すべき指揮権インペリウムをファルトに与える。さすれば、われらローマは神々に対する務めを損なわず、かつ、カルタゴに対することができよう! ローマの元老院と市民諸君SPQR(Senatus Populusque Romanus)! どうか、賛同を!」

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