3章:おのれのみ

「始まりあれば、終わりあり。何事にも結末ってものがある。だが、中には始まったもんに結末を与える事なく放り出しちまう奴がいる……それが、お前だよ」

 月読は言う。

「恋の結末はそれぞれだ。失恋だけが結末とは限らねえし、結ばれれば終わるわけでもねえ。だが、初めてすらいないもんに、結末も何もねえだろ……」

 月読は続ける。

「”風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな”、これは自分は一途に想い続けているのに、相手はそうではなく、恋するがゆえの不安を表現しているが……本当に、これは、お前の歌か?」

『カ、ゼ……違う……イタミ……私は……違う。だって私は、恋を始めてすらいない……オノレノミ……だって、私、まだ好きって……言ってない……私が勝手に諦めて、完結して、全部私が勝手に……まだ、始まってすらいない、始めてすらいない! これは、私の歌じゃない!」

 和歌に混じって、本人のものと思われる言葉が聞こえた。

 ――今だ……縁が、切れる!


「惑わせ、四十……【しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで】!」


 浮かんだ文字が紙から離れ、宙に浮遊する。そして、『怨魔えんま』の口の中から体内へと入り込む。

『文字が、歌が! あああああっ……これ、この感情は……ああああああ!』

 『怨魔えんま』が頭を抱えて叫ぶと共に、月読は扇子を引っこ抜いて後ろに下がった。

「ちと荒療治だが、上書きしてもらったぜ、お前の恋の歌」

『アアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 頭を抱えながら膝から崩れ落ちた『怨魔えんま』の額から角が消滅した。

 次に腕や足など、肌に張り付くように刻まれた文字が消えていき、元の肌の色へと戻っていく。

『そうだ、私……好きだった。誰かに、恋しているの? って問われるくらいに、かあの子が気になって……』

 やがて白目まで黒くなっていた箇所から黒が消え、元の白目に戻る。そして元の目の色のまま彼女は顔を上げた。

 彼女の視線は真っすぐ、天照が抱えている少女へと向かう。

『私、貴女が、好きだったんだ。でも、伝えるのが怖くて、言えなかった……私、まだ始めてなかった。恋を、始めてなかった……』

 それが最後だったように、彼女の胸元から絵巻が剥がれ落ちた。蜘蛛のように絵巻は糸を伸ばして彼女の肉体にくっつこうとするが、

「しまいだよ!」

 月読が言うと同時に、頭上から太刀を掲げた天照が降ってきた。

 アスファルトごと糸を断ち切り、絵巻と少女は完全に分離した。

「さあ、来な!」

 月読が白紙の絵巻を取り出し、地面で蠢く絵巻に向ける。


『四十ノ八:風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな――』


 白い半紙の上に、墨で文字が刻まれた。

 月読はすぐに絵巻を閉じて、糸を巻き付ける。


       *


 警察によって封鎖された一帯。

 既に日が暮れ始め、アスファルトに屋上を出入りする警察の影が色濃く映る。

『じゃっから、何度言わせる気じゃ! あの程度に、合奏術がっそうじゅつ使う奴があるか! お前おんしの歌術と違うて、天の技はガチなんやぞ!』

「いや、それは……絶体絶命だったんで、つい」

 嘘だけど。

 月読は無線越しに説教する息吹に対し、不敵な笑みを浮かべた。

 月読の使う歌術は一度封じた和歌を使って、『怨魔えんま』の精神に干渉する技であり、全て精神世界での出来事であり、現実世界に影響はない。

 対する天照ややひろの使う『神返り』のみが使える神加護かみかごは、現実世界に影響を与える。炎を出せば、普通に火事になり、燃えた箇所は戻らない。

 ――今朝の仕返しだ。

 月読は焦げた屋上を出入りする警察を見つめながら笑った。

 その時、救護隊に護衛されるようにして歩く、女子高生二人組を見つけた。

 一人は和歌に取り憑かれたロングヘアの少女、そしてもう一人はその少女に殺されそうになっていたツインテールの少女だ。

「もう、謝らないで」

 泣きじゃくる少女に、ツインテールの少女が笑いながら言った。

「私も、何が起きたか覚えてないけど……無事だったんだから、いいでしょ」

「でも、私のせいなの! 信じられないかもしれないけど、私が……」

「そうだったとしても、別にいいよ、私は」

「え?」

「私、貴女になら何されても平気だよ。殺されるのは、ちょっと勘弁だけど……相手が貴女なら、別にいっかなって」

「何、それ……友達の限度超えてない?」

 驚愕する少女に、月読は遠くから同意した。

 あの二人にあるものが色恋か分からない。そもそも好き嫌いだけで判断出来る程に人と人の繋がりは単純じゃない。

 ――友情でも恋でもない……そういう感情もあるのかも知れないな。

「ねえ、私、結構嫉妬深いよ?」

「うん、知っている」

「私以外の子と仲良くしているだけで、嫉妬して、拗ねちゃう時あるよ」

「ふふっ、そうだね」

「それでも……私は、友達?」

 おそるおそる問いかける彼女に、ツインテールの少女は笑顔で頷いた。

「うん、友達」



 殺そうとした少女と、殺されかけた少女が、手を繋いで去っていく。

 その後ろ姿を見ながら、月読はフッと笑みを零す。

「難儀だね」

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