第15話

闇の中、心地のいい感覚に包まれる。

体を動かすような気力も無く、最早立ち上がる事すらも億劫に感じるほどだ。


―――あぁ、このままこの心地の良い感覚に包まれていたい…。


そんなことを思っていると突然、体が少し揺れた。

遠くから自分が呼ばれているように感じる。


段々と強くなっていく揺れ、声も近づいて来た。


目の前に飛び込んでくる光、たまらず僕は起き上がった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「お兄ちゃん…起きて…よ!」


僕が目を開くと突然夕夏が僕のお腹に飛び乗って来た。


「ぐふっ!……お、おはよう、夕夏…。」


夕夏は頬を膨らませ、自分が怒っていることを強く主張している。


「お兄ちゃん何時まで寝てるの?もう7時半だよ?」


―――えっ!?


弾かれたように枕元に置いている時計を確認する。


―――うわ、不味い…これは本当に不味い。


一先ず、お腹の上で跨っている夕夏を下ろし、急いで着替える。

幸い、今日は早帰りで夕夏のお弁当は作らなくてもいいので良かった。


最低限の身支度を整えた後、朝ご飯を作ろうと包丁を握り、素材を持つと、突然左腕に小さな痛みが走った。

思わぬ痛みに顔をしかめる。


忘れていた、先日の戦闘で負った傷は治療室では完治することが出来なかったことを。

その傷は今も左腕に跡が薄く残っている。


思わず中断してしまった作業を再開する。


―――うん、このくらいなら我慢できそうだ。


流石にまだ全力戦闘ができるのか、と聞かれたら首を横に振らざる負えないが、日常生活を送る分には何の問題も無いだろう。

それに、残っている傷跡も長袖を着れば隠せる程度の物だし大丈夫だろう。


そんな事を考えているとトーストが焼ける音が聞こえて来た。

オーブンからトーストを取り出し、お皿に目玉焼きとベーコンを載せる。


作ったのは夕夏の分だけで、何だか夕夏から視線を感じるが気にすることなく、登校の支度をする。


食事が終わっても眉間にしわを寄せ続ける夕夏に軽くデコピンをして、頬に付いたパンかすを取る。


「ほら、夕夏はもう出る時間なんじゃないか?友達が待ってるぞ?」


夕夏は時計を見て、驚いた表情をした後、強く睨んできたが、その睨みを受けても僕はただ可愛らしく感じた。


夕夏は家を出る前にチラリと僕の方を見て不安そうな顔をしていたような気がするが、気のせいだろう。


さて、夕夏も学校に行ったことだし僕もそろそろ行くとするか。

およそ一か月振りに制服に袖を通す。


見た目を整え、冷蔵庫から今日の朝ご飯を取り出す。


取り出したのは”マジツール”と呼ばれる大手の冒険者応援グッズや魔道具を量産している会社で栄養食品でここ一年かなりお世話になっている。


正方形のクッキーが4つ入っており、それを1つ取り出し半分に切ってそれを食べる。


「ごちそうさまでした」


最後に今日提出の課題を纏めて鞄に詰め込み、ガスの元栓、戸締りを確認する。


「それじゃあ、行ってきます。」


誰もいない家の中に向けて小さく呟いた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



今日は9月に入り、旧暦ではもう秋になった。


しかし、まだまだ夏の暑さは残っていて、長袖を着なければいけないのがとても面倒に思ってしまう。


学校に近づくにつれて周りに生徒が増えて来た。


辺りでは「夏休みは何処に行った?」とか、「授業めんどくせー」などと多くの人が友人と一緒に話していて何となく一人でいる自分が孤立しているようで嫌だと感じてしまう。


僕がよく一緒にいる彼らは基本的に朝から部活をしているし、綾は今日は生徒会で始業式の準備をするから一緒に登校できない為、久々の登校を一人で過ごしている。


「はぁ…」


小さく溜息を吐いて夏休みの事を思い出す。


今年は夏らしい思い出が夏祭り以外に一つも無かったような気がする。


殆どがダンジョンに潜り、魔物を狩る日々、ただ一人で精神と体力を削る日々は青春の日々とは似ても似つかず、それらが何処か遠い存在の様にも感じる。


残り1年と少し、それが僕が学生としてこの穏やかな日々を過ごせる時間だ。


中学校を卒業したら冒険者とアルバイトを掛け持ちして家計を支える必要がある。


僕のこのままの実力では冒険者一本に絞って生活できるかは分からないし、たとえレベルが上がってもどのくらいステータスが伸びるか未知数だからそこまで期待は出来ないだろう…。


これからの事について考えていると、他の生徒にぶつかりそうになってしまった。


顔を上げるともう学校とは目と鼻の先で、周りには生徒で溢れかえっていた。


一旦このことは置いておいて、自分の教室へと向かうことにした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



下駄箱で靴を脱ぎ、階段を上り二階へと向かう。


廊下を歩き二つの教室を通り過ぎ、「2-3」と書かれた教室へと入っていく。


窓際にある自分の席に座ると隣の眼鏡を奴が声をかけてくる。


「おはよう、昇太。夏休みはどうだった?俺は成果0だ…。」


この隣に座っている眼鏡は”大河おおかわ優斗ゆうと”。

見た目通り頭が良く、とても知的そうで見た目が良い奴なのだが…


「昇太、俺は絶対に…絶対に…高校では彼女を作って見せる!」


…そう、こいつは喋らない方が絶対にモテる。

そう言う典型的な残念イケメンなのだ。


「そ、そうか…僕は応援しているぞ…。」


「絶対にだ…!俺は!絶対に…」


「おはよう、何だか面白そうな話してるな。」


そんな決意を固めている優斗の前に彼女持ちの颯斗が現れてしまった。


「出たな!裏切者!」


声がした方に凄まじい速度で振り向き、敵意むき出しで颯斗を睨む優斗。


「ええっ!何だよ急に?」


当然ながら颯斗は驚き、半歩後ろに下がる。


「黙れぇ!俺がお前に彼女が出来た時、どんな気持ちだったか…」


血涙を流しそうなくらいに悔しがり、歯を軋ませているが…


「いや…颯斗が彼女出来たって言った時、真っ先に『おめでとう』って言ったのおま…。」


その瞬間、目にもとまらぬ速さで僕の口が塞がれる。


「…と、兎に角だ、俺はお前を許さないぞ!末永くリア充爆発しろ!」


…照れ隠しだな…そう直ぐに分かるくらいには優斗の顔は赤くなっていた。


その時、予鈴がなり、先生が教室へと入って来る。


「皆、久しぶりだなー、積もる話もあると思うが取り合えず始業式が始まるから整列して体育館に向かえー。」


生徒たちがぞろぞろと廊下に出て整列し始める。


此処から50分ほど虚無の時間が始まるのか…。

想像しただけで嫌になる。


極力、頭を使わないように僕は脳みそを空っぽにし出すのだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



始業式はやはり退屈なものだった。


謎の生活指導の言葉、終わりが見えない校長の話、これらを前に一体どれくらいの生徒が意識を保てたのだろうか。


最後に颯斗が、クラブ、部活、県の強化選手とか何とかでたくさんの賞状を受け取っていたのが印象的だった。


クラスに戻ってからは宿題を回収され、幾つか配布物を貰って今日の授業は終わりとなった。


此処からは部活動がある生徒は昼食を摂ってから部活動開始となり、何もない生徒は下校することとなっている。


帰る支度をしていると颯斗が声をかけて来た。


「昇太、今日は部活が無いから一緒に帰ろうぜ」


「いや、お前は樋山さんと…あぁ、そう言えば樋山さんも生徒会だったな…。」


「そう言うこと、ほら、帰ろうぜ。」


そう言って先に教室を出ていく颯斗を追いかけるように僕も教室を出る。


下校中は他愛のない話で盛り上がった、最近流行りのゲームや芸人の事、部活の事、夏休みの宿題を一気にやったこと等々。


そんな中、ふと進路の話へと話題が変わった。


「なあ、昇太は高校はいかないつもりなのか?」


「…まぁ、そのつもりだ。」


そう言うと颯斗は表情を曇らせた。


僕も出来る事なら皆と同じように高校に行きたい。

それでも、学費と生活費を稼ぎながら学業を修める事なんて僕にはとうてい出来そうにないのだ。


「…俺は、昇太なら学業推薦で良い所行けると思うんだ。」


俯きがちに颯斗はそう呟いた。


「何なら、お前の姉ちゃんが行ってた明星高校…だっけ、あそこ凄い偏差値高いけど…お前、凄く成績良かったろ?俺はお前ならきっと…」


「買い被りすぎだ、僕には…難しい。」


明星高校は超名門校でスポーツや学業に置いて全国トップクラスであり、冒険者を育成する高校として政府から認められている数少ない高校でもあるのだ。


恐らく、今から全力で勉強すれば普通科に入学は出来ると思う。

それでも、今の僕にはやるべき事がたくさんある。


僕の言葉を聞いた颯斗は何か言いたそうだったが、静かに頷いて、また明るい声色で別の話題を話し始めた。


それ以降、僕たちの間で話が弾むことは無かった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



家に帰るとまず朝にやりきれなかった家事を行い、明日はまた土日になるので、スーパーの広告を確認した後、昼食を摂ることにした。


朝と同じ量のマジツール制の栄養食品を食べ、僕はアイテムボックスから昨日手に入れたスクロールを取り出した。


これを使えば僕は風魔法を取得することが出来る。


今まで魔法無しの肉弾戦ばかりだったので少しだけワクワクしていいた。

これを読めば直ぐに教官みたいにオシャレに魔法を使えるのではないか、とありえない妄想をしてしまう程度には。


スクロールの使い方は簡単、スクロールを開いて中身を見るだけだ。

使い終わったスクロールはただの紙となるので、そのまま捨てればいい。


一旦心を落ち着かせ、ゆっくりとした手つきでスクロールを開く。


スクロールを開ききると中には様々な幾何学模様の様な物が書かれていた。


それをじっと見つめているとそれらが徐々に掠れ始めていく。


それと同時に体の内側に何かが焼き付く感じがする。

そして脳裏には様々なイメージが浮かんでは流れていき、膨大な情報量に頭が痛くなっていく。


文字が掠れて行けば行くほど、その感覚は強くなり、頭痛酷くなっていった。


文字が完全に消えると、それらの感覚も共に消えていった。


体から滲み出る汗をハンカチで拭き、大きく深呼吸をする。


ああ、キツかった…


ネットでこうなる事はある程度知っていたけれどここまでとは思っていなかった。


取り合えず無事に風魔法を習得できたわけだが、どの様にして魔法を使うのか、どんな魔法が使えるのか、皆目見当がつかない。


なので、僕の知る中で最も風魔法の扱いが上手い人に教えを乞う為に僕は、綾へと連絡するのであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



僕はあの人に風魔法を教えてもらう為に、とあるギルドが所有しているビルの前に夕夏と立っていた。


するとビルからピシッとしたスーツを着た女性が出て来た。


「星巳様ですね、ギルド長がお呼びです。こちらへ来てください。」


女性に促され、エレベーターへと乗り込む。


途中で夕夏と別れ、僕は最上階へと向かう。


エレベーターを降り、少し歩くと重厚そうな扉が現れた。


女性がノックをすると中から声が聞こえてくる。


扉が開き、女性に中に入るよう促される。


「いらっしゃい、昇太君、今日はどうしたんだ?」


部屋の奥にある豪華な椅子、そこで穏やかな笑みを浮かべながら座っていたのは、日本冒険者ランキング2位、そして日本で最大規模のギルド、”デネブ”を率いる英傑。


白銀級冒険者、二条 玄哉だ。




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補足コーナー


・大河 優斗について…リア充絶許少年、見た目は良く頭も良いのでかなりの優良物件だが如何せん奇行が目立つので彼に恋人が出来るのは何時になるのだろう…?


・マジツール…冒険者向けの栄養食品から探索用品まで幅広く展開している会社。

魔道具は新しい物は開発できないが既存の物を許可を取って大量生産している凄い会社。


・デネブ…日本最大の冒険者ギルド、白銀級2人、金級は20人以上とかなり層が厚いギルド。海外を含めても5本の指には必ず入る強さだと言われている。


・二条 玄哉について…日本で2位、世界で2位と言うすべての冒険者の中で二番目に強いとんでもない人。

風魔法と大太刀を用いた戦闘スタイルで目に見える範囲は全て射程圏内らしい。

二つ名が付けられており”剣聖”と呼ばれる、近接戦闘最強の冒険者。


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