スズガオカりばーす
仁
第1話 その男、帰ってくる
都内二十三区。その北部と隣接する埼玉県の市がある。
名は鈴ヶ丘市。都心まで電車に乗り継ぎなしで行けるとあって利便性は高い。その為都心に居住を構えることが出来なかった者共が妥協して選ぶにはうってつけで、そいつら相手の商売も盛んに行われていた。
酒、賭博、女。都を目指し、都から排除されたもの達は貪欲で劣等感の塊だ。ドブのような感情を満たす為の施設が跋扈するまで時間はそう必要ない。
かくして日本の一大闇市と化した鈴ヶ丘に一人の男が舞い戻る。
ただ、幸か不幸か彼には才能があった。どうしようもないほど融通の効かない度胸が。その時それが唯一合致したのがヤクザものの下っ端だった。
正義感も義勇心も無い彼にその職はまさに転職であった。やりがいも将来の展望もない中でただ暴れ回る。腕っ節が強いわけではなかったが、上の者が必要な時に必要な火種を起こすのには重宝されていた。何も無くとも理不尽に喧嘩を売る才能だけはあったのだから。
そんなことをしていたら命がいくつあっても足りはしない。事実、鈴ヶ丘で人知れず消される事件が起こるケースは少なくない。勇気を使っていたヤクザもそのつもりであった。いつでも切り捨てられるよう、ぞんざいな扱いをしていた。
それでも勇気は何故か生きていた。土手っ腹に穴が空いても指の二、三本吹き飛ばされても、顔の原型が分からなくなるほどぶん殴られても命だけは失うことはなかった。
そして気づいた時にはケツ持ちのヤクザの方が先に無くなっていた。ただただ不幸なことに他ヤクザとの抗争中にガサ入れされるという、それもある意味日常的な出来事だ。
ここでも勇気は幸運だった。切り捨て前提だったためそのヤクザ達との関係は無いものとされ、捕まることがなかったのだから。
それでも後ろ盾が無くなったことは痛い。それに気づけた勇気は誰もいなくなった組の隠し財産を奪い取って闇に紛れて街から姿を消した。
下っ端をしていた時に鍛えられた嗅覚で人の汚泥を見つける技能を得た勇気は、東京中を駆けずり回り小さなバーをいくつか持つことに成功していた。
とても繁盛しているとは言えない、薄汚れたバーだ。煌びやかな世界を知らない勇気にとって、夜の蝶が飛び交うのはともかく、一般受けする店を作るノウハウがない。田舎の土臭い貧乏農家育ちのためろくに味も分からないので、上手いものも出せない。
大した時間もかからず潰れてしまうだろう、とその時からの雇われ店長は言っていた。が思わぬところから需要は生まれるもので、誰もが忌避する店構えなはずなのに連日いくらかの客が居座っていた。
食事は当然ながら酒すらも頼まない。他店では到底客とは呼べない奴らが集まっていたのは、賭博や連れ込み宿、それら表に出せない事へのアリバイ作りなどだ。
結局のところ、何処へ行っても勇気が最初に頼ったのは
何度も危ない橋を渡っていると慣れくるものもあり、過去幾度もなく警察の摘発を受けることになるが、持ち前の胆力と善意の助言もあって本人がブタ箱にぶち込まれることはなかった。代わりに箱は都度都度無くなってしまっていたが、そこはヤクザが暗躍する町だ、代わりなどいくらでも用意できた。
そうして大きく躍進することも無く、ただ金に不自由することも無く勇気は日々を過ごしていた。
そんなある日、太い顧客の一人であるヤクザの若頭からある提案を持ち込まれていた。
「今度よぉ、鈴ヶ丘で商売するっつう話が上がってるんだわ」
「鈴ヶ丘ですか?」
懐かしい名前だ、と勇気は男の横で話を聞きながら思う。
もう十年以上あの地に踏み入ってはいない。行く理由もなかったし、当時を知っている者の存在が煩わしがったからだ。
たまたま手に入れた組の隠し財産を根こそぎ奪って雲隠れ。その金を宛にしていた者からしたら恨まれる理由になる。
それも殆ど杞憂なことも分かっている。組長以外知っているものがいるかも分からない財産を、所属しているかしていないかも分からない小僧が持ち逃げしたなどと、線で繋げる奴がいたらフィクション作品の見すぎか陰謀論者と笑われるだろう。
何せ自分でもどうやってその存在を知り、盗んだかを正確に思い出すことが出来ないからだ。我武者羅に逃げるうちにいつの間にか手の中にあった大金が隠し財産であることは分かっているのに、その直前までの記憶が深い井戸の底から上がってこない。
その事が鈴ヶ丘という土地に立ち入ることをただひたすらに敬遠させていた。
が、それも十年も前のこと。人の細胞が七年で入れ替わるという話があるように十年も経てば街の勢力図も変わってくる。
そもそも表に出るのは雇った人間にさせること。十二分にリスクは回避できていると考えていいだろう。
「それで、私に何を?」
ここ数年ですっかり身についた馬鹿丁寧な敬語で勇気は話す。少なくとも、チンピラのような話し方よりは相手に信用を持たせることが出来るのだから。
「話が早いな。とりあえずこういう箱をいくつか用意してくれればいい」
そういうと彼は電子タバコを咥えて、一息吸い込む。
昔と違ってライターを用意する手間がなくなったため、楽ができるとこの手の界隈では好評だがどうにも格好がつかず勇気は苦手であった。もちろんそんなことを口に出したら首一つ簡単に飛んで行ってしまうため言わないが。
なんにせよ、依頼は単純。いつも通り拠点を増やすだけでいいことに勇気は二つ返事で頷いていた。
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