第69話 悩みの解消

 カイルの後姿を見送りながら、エリックが不機嫌そうにため息をついた。


「あまり他の異性の心を弄ぶな。あのように来るものが増えたら心配で俺の心が持たない」

 嫉妬で心がざわついている。


 言い寄りに来たのがカイルでなければ排除したが、さすがに重臣の息子に手を下すわけにはいかない。


「弄ぶって、わたくしは何もしてないですよ?」

 エリックの物言いに心外にも程がある。


「カイル様も悪い人ではないのですが、超絶怒涛にくそ真面目なので、レナン様の噂話に素直に同情しちゃったのでしょうね」

 キュアは苦笑し、カイルに少しだけ共感した。


「先程の噂話のことで何かあるの?」


「レナン様は政略結婚で突然この国に召し上げられました。氷の王子と呼ばれるエリック様の伴侶としてきたのが、異国の美人な王女様。慣れない国で王太子妃として健気に頑張っており、それまで仲睦まじい様子を皆に見せていました。そんな中パルス国の一件でレナン様は一躍英雄となりましたが、そんな偉大な事をしたレナン様がここ最近寂しげなお顔をしている。それはエリック様がレナン様の力と人柄に嫉妬し羨んで、冷遇しているからではないかと憶測されていました。レナン様は好きでアドガルムに嫁いできたわけでもないのに可哀想だ、という話で流れていたんですよ」


「何それ?」

 自分が悩む姿で、そんな噂が作られるなんて。


 見る角度と印象の違いでそのような事を考えるものもいるのか。


「俺は嫉妬もしていないし、冷遇もしない。常に心配しかしてないのにな」

 悲劇の王女という格好の不幸話で面白おかしく脚色されたようだ。


 幸福話よりも不幸な話の方が皆が食いつくのものだ、こういう悪意ある噂は少なからず湧いてくるのは無理もない。


 人の性だ。


「他人の不幸を喜ぶものがいるのは仕方ない。そしてレナンの耳に入らなかったという事は、大して広まりはしてないものだ」

 事実一部にしかその話しは流れていなかったのだが、カイルに話がいくということは悪意がある。


 直情的ではあるものの、知識も豊富で地位もある、そんな男にわざわざ相談という体で話したのであれば、ただの冗談ではすまされない。


「事が大きくなる前に悪評は摘んでおかねばなるまいな」

 レナンを愛おしそうに見つめながら、体を撫でる。


「きっと大丈夫ですから、下ろしてください」

 急にエリックに抱えられた。


「心配事は早めに解消をしよう。まずは余計な噂の元になった憂い顔を晴らそうかと思ってね。本当は何に悩んでいた?」

 答えるまでは下ろしてもらえなさそうだ。


「……この前のエリック様が悩んでいた事を何とか解消したいと思い、考えてました」


「この前?」

 エリックは考え込むように目を伏せる。


 長い睫毛が目にかかる様子に少しドキッとした。


「レナンに負担をかけたくないから、俺は何もしないと言ったものだろうか? カイルにはああ言ったが、本当に今は手を出すつもりはない。もしも懐妊、出産となれば命がけの事だ。そのような大事な時に戦になり側にいられなかったら、俺が嫌だ」


「ですが、エリック様に我慢を強いるのはわたくしが嫌です」

 一緒には居るものの空虚を感じる時がある。


「わたくしが至らないばかりに、気ばかりを遣わせてしまっていて……」


(側室でもいたらエリックを慰めてくれるだろうか)

 その考えにどうしても至り、やはり寂しい。


「そういう顔をするから、勘違いされるのだ」

 エリックも心配になるような困り顔だ。


「本当はわたくしに飽きたとか、ありませんか?」


「そんな事はあるわけはない」

 はっきりと否定されホッとした。


 心に燻った思いはきちんと明らかにした方が良さそうだ、レナンは隠すのがどうも下手らしい。


「怒らないで聞いてくださいね。わたくしこういう時は側室がいれば良いのだと思っていました」


「そうか」

 前置きがなければ激昂したかもしれないが、一言添えられたので空気が冷たくなるだけに留まる。


「エリック様を慰める人がわたくし以外にいれば、あなたは何も悩むことなくわたくしの事を戦場に送れたのではないでしょうか。代わりがいれば、手を煩わせることもなかったのではと」


「君の代わりはいない」


「王太子妃の代わりがいないという事でしょうか? ですが、わたくし以上に有能な方はいるはずです。エリック様を公私ともに支えられる誰かが」


「これだけ一緒にいて、まだ理解していないのか」

 怒るというより、呆れているようにも見える。


「俺はレナン以外を愛することは出来ない、他の者をと言われても絶対に無理だ」


「ですが、エリック様はこの国に絶対に必要な人です。世継ぎも必ず必要となるでしょう」


「弟もいる、俺が必ずしも後継を継がなくともいい。戦で死んでも誰かがこの国を継ぎ続いていく、俺とて一つの駒に過ぎない。が、今はそのような話をする時ではないな」

 今はレナンの憂いを晴らす為の時間だ。


「本当に悩んでいることは何だ?」

 再度そう問われ、レナンは顔を赤くしつつも、エリックの耳元で囁いた。


「もっと前のように、触れてほしいです。寂しい」

 距離が出来たようで、不安だった。


 気遣ってもらえているのに、我が儘な気持ちが芽生え、このまま飽きられたらどうしよう、体が離れた事で他の人に気持ちも行ってしまったらどうしよう、捨てられたらどうしようと悩んでいた。


 しかも頼りの力もうまく扱えない、こんな女は面倒だろうと申し訳なく思っていた。


 何もかもが不器用で、上手くできなくて、エリックに助けられてばかりな自分が嫌だ。


 それなのに彼に縋って生きるしかない自分に悲しくなる。


 せめて彼に最初から側室がいれば、もしかしたらここまで悩まなかったのではないかとも思った。


 自分だけなどと期待しなければ、傷も浅く済むと思ったのに。


「本当は他の人に渡したくないんです、でも自信もなくて」

 実際に他の人と仲良くするところなんて見たら、きっと泣いてしまう。


 矛盾した考えばかりが頭を駆け巡っていた。


「気を遣い過ぎたか」

 エリックは優しく頬を寄せる。


 気を遣い、距離を開けたことで、より不安を与えてしまっていた。


 本末転倒な事だ。


「やはり戦には連れていけない、何とかする」

 ルビアを殺せば操られても皆元に戻るだろう、それでも駄目ならば邪魔をしに来るものを全員始末する。


 レナンが辛い思いをするよりマシだ。


「俺には君だけだ。何者も側には置かない。もし先にレナンが死んでも俺も後を追う」


「いえ、それは駄目です」

 王太子がそんな事をしてはいけないだろう。


「ならば俺がこれからも生きたいと思えるようにしてもらうぞ。戦も必ず生きて帰ると約束するから」

 いつもの少し口角を上げる意地悪な笑みだ。


 レナンはそれを見て、そして意図を知り、頬を染める。


「程々にしてくださいませ」

 ずーっと同室していたキュアはレナンの体を心配しながら、恭しく頭を下げた。





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