ギルバート第三王子の未来

 第三王子の婚約者であるヴィクトリアは、定期的にギルバートとの時間を設けている。これは婚約者としての義務だ。


 もしかして、ポーラが言っていた『独り占め』とはこれかと思うが、ただの愛人候補に文句を言われる筋合いはない。


 王城の一室。綺麗に背筋を伸ばして座すヴィクトリアに、ギルバートは優しく笑いかける。



「ヴィクトリア、ポーラが失礼なことをしたみたいで、悪かったね。僕から謝るよ」



 まさかそう来るとは思わなかった。



「……殿下が謝罪なさることではありませんわ」



 冷めた目をしているヴィクトリアの前に、紅茶とクッキーが置かれる。もちろん給仕はリアムだ。ギルバートの前にも、メイドがお茶を用意する。


 婚約者としてのギルバートに思うところはない。ヴィクトリアの方には愛など無いし、ギルバートもそうだろう。彼がヴィクトリアに優しく振る舞うのは、彼がただそういう性格だというだけだ。


 ギルバート第三王子といえば、三人の王子の中でも一番令嬢人気が高い。


 優し気で整った風貌に、誰に対しても物腰柔らかい性格。身分の差を気にせず人の話に耳を傾け、ほんの僅かに関わっただけの相手でも名前と顔を忘れない。


 王太子は現国王の性質を強く受け継ぎ、潔癖で厳格な性格だ。それを補佐する第二王子も、理論を重視し感情による決定を好まない。


 よくバランスが取れているのだろう。上の王子二人は、国の政治を行うにあたって理想的な性質をしている。そして、理論によってふるい落とされた民の声を聴くのは、優しく柔和な第三王子。


 悪い性質の人ではない。だから、結婚相手としては特に何もない。良いも、悪いも。



「殿下。婚約者として忠言いたしますが、周囲からの目を考えてほしいとは思いますわ。身分の差を気にしないのは殿下の美徳ではありますが」



 うん? とギルバートが首を傾げるのに、ヴィクトリアは一呼吸おいて言葉を続ける。



「わたくしは公爵家の人間で、殿下の婚約者です。そのための義務は果たします。ですが殿下がわたくし婚約者よりも彼女愛人を重んじるというのなら、その前提と秩序が崩壊しますわ」



 ポーラの言動を、ギルバートが代わりに詫びる。それは、ギルバートがどちらを重んじているのかを暗に示す行為だ。


 ギルバートは笑みを消して、ティーカップを持ち上げた。茶を一口含んでから、柔らかく目を細める。



「それはそうだろうとも。僕たちの間にあるのは愛ではなく、契約と使命だ」


「その通りですわ」


「だからこそ、僕がポーラを特別扱いしても、君はこうして冷静でいる」



 なんと、自分の浮気については自覚があったらしい。ヴィクトリアは眉を上げたけれど、何も言わなかった。


 自虐的な目をしたギルバートは、カップを置いて大仰な素振りで両手を広げた。



「だけどね、最近思うんだよ。僕がなすべきは、改革ではないのかとね」



 何を言っているのかと、ヴィクトリアもクッキーに伸ばしかけていた手を膝に戻した。


 改革。今この場に相応しい言葉とは思えない。



「おっしゃっている意味が分かりません」


「だろうね。君は改革とは正反対の人間だから」



 ギルバートが何を言っているのかは分からない。だが、この瞬間、蔑まれたことは明白だった。



「身分制度とはなにか。貴族と平民の違いは? 僕はずっとそれを考えている。僕らが今食べているこのお菓子や、贅を尽くしたこの部屋。本当に僕たちに必要なものなのか?」



 リアムが身じろぎした。


 ギルバートが何に影響されたのか、誰の目にも明らかだろう。少し口を挟むのが遅かったかと、ヴィクトリアは僅かな失望を覚えた。


 上の王子二人には及ばないまでも、心優しい、優秀な人物だと思っていた。王家に忠誠を誓う公爵家として、彼を迎え入れることが最善の選択だと。


 だが、仕方がない。この状況にはヴィクトリアにも非があるだろう。ポーラがギルバートに近づくのを、ただ眺めていたのだから。


 静かにヴィクトリアの後ろに控えたリアムに「何もしないで」と目配せをして、ヴィクトリアは居住まいを正した。



「殿下が何をもって改革とおっしゃるのかは、わたくしには想像もしえないことですわ。ただわたくしは、この国のために何ができるか、常にそれを考えていきたいと思っております。その思いは、きっと殿下と同じはず」


「そうであると、僕も思いたいね」



 ギルバートは立ち上がった。今日のお茶会はこれで終わりらしい。ヴィクトリアもドレスの裾を摘まんで、優雅に椅子を離れる。



「また学園で」


「ええ」



 ヴィクトリアは残った紅茶とクッキーを見て、ため息を飲み込んだ。






 アイラ公爵家へ帰る馬車の中で。



「失敗したわ。まさかギルバート殿下があんなに愚かだとは思わなかった」



 自嘲の笑みを浮かべるヴィクトリアに、リアムは案じるような眼を向ける。


 先ほどは我慢したため息を零して、馬車の窓枠にもたれかかった。人目のあるところでは決して見せない姿だが、今はリアムしか見ていないからいいのだ。


 ギルバートのことは、婚約者として何とも思っていなかった。条件を見れば悪くない。愛は持てないが、人としては尊敬できる部分があった。家のためにもなる。だからこそこの婚約に否を唱えなかった。


 けれど、もう。



「リアム……」


「なんでしょうか、お嬢様」



 見慣れた王都の街並みが、窓の外を流れていく。



「わたくし、決めたわ」



 いつも沈んだ顔をしているリアムが、珍しく晴れやかな笑みを浮かべた。


 言葉にしなくても分かるのだろう。ヴィクトリアの優秀な従者。



ギルバート殿下あの醜いお方は、我がアイラ公爵家に、必要ない」



 ヴィクトリアが伸ばした手を掬い取って、手の甲に己の額を押し付けるリアム。



「どうぞ、私をお使いください。ヴィクトリアお嬢様のためならば、どのような役目も引き受けます」


「うふふ。心強いわ、リアム。まずはお父様にすべてを伝えましょう。婚約を解消する方法を探さねばね」



 これから忙しくなる。けれどこの道は間違っていないと、そんな確信があった。

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