第30話

「いやぁね、わたしも娘と二人で暮らしているんですよ。今年ちょうど中学に入学したばかりの、やんちゃな子でしてねぇ。大橋さんは娘とひとつしか年が違わないのに、受け答えがしっかりしていて、大人ですね」


「そんなことないです。わたしはひとりっこで、友達も少ないから……今だってすごく緊張してるんです。こんなおとなが大勢いるビルに、一人で来たことなんてなかったから、変な目で見られていないかって、すごく不安なんです」


安住は笑顔のままうんうんと頷いて、テーブルに置かれたコーヒーを含んだ。


「焦らなくても大丈夫です。人間は思春期に入ると、自分の存在や他人の評価を気にして悲観的になりやすいんです。ましてや今のこの状況。普通の中学生なら緊張して当然です。なので、今の大橋さんのような不安定な感情を持たれるのは、人が成長していくうえで当たり前のことなんですよ」


そう笑顔で語った安住は、何かを思い出したのか、天井を見上げた。


「昔、カウンセリングの仕事を少しだけしていたことがあるんです。都内の若者を対象にした、『心身の教育プログラム』というものでしてね。わたしの会社にも数十人の男女が訪れて、将来についての話や、友人恋人についてなど、色々な相談に乗っていたんですよ」


そう言って、安住は胸ポケットから手帳を取り出し、カバーの中から一枚の写真を取り出した。


写真には二十人ほど若い男女が写っていて、中央に今と同じ顔をした安住の姿があった。


「もう二十年も前のことです。当時は携帯やインターネットが今のように活発ではありませんでしたから、こうしてみんなで集まっては、将来について話し合っていたんですよ。この中には、現在うちの会社で働いている子もいます」


 わたしは写真をまじまじと見つめた。この写真が、今から二十年前のものだとするのなら、現在の安住はいったい何歳なのだろうと思った。最初の感覚だと四十代半ばくらいだと思われたが、この写真を見るに、とても二十代の青年には見えなかった。


「懐かしいなぁ。ここに写っているこの人はね、今銀座でホステスを三つ持ってる経営者なんだ。そしてこっちの子は代官山のスタジオで衣装制作をしていて、そしてこの子は……」


と安住が言ったところで、


「主任。そろそろ大橋様の面接を始めてもよろしいですか?」


とわたしの隣から声がした。


「あぁ、すみません。だいぶ話が逸れてしまいましたね。では三浦くん、よろしく頼むよ」


安住のその言葉でバッグからファイルを取り出した三浦は、わたしの前に冊子を置いて、手元にある自分のを読み始めた。


「改めまして、わたくし株式会社サン・ヴェルディゲーム部担当の三浦と言います」


三浦はわたしの目を見て微笑んだ。


「当社は主に、3Dを専門とする事業を行っていまして、最新のメタバースを駆使したイベントや企画等の運営を行っております」


 メタバーストとは、VR(バーチャルリアリティ)を活用して作られる仮想空間のことだ。通常の世界とは別に、架空の世界を作ることによって、実世界で行うことのできないシミュレーションや、コミュニケーション。最近では国際的なコミュニティをより深く繋げることができるツールとして、今後さらなる産業利用が期待されていると、三浦は語っていた。


「専門とする3D事業の他に、株式会社オータムがリリースした『All Forth One』のプロゲーマー育成事業にもに参入していまして、情報通信技術におけるeスポーツの発展に尽力しています。そして今回、当社サン・ヴェルディゲーム部のリニューアルに伴いまして、有力なメンバーの勧誘を行おうと会議で話し合った結果、大橋様の名前が上がりまして、昨夜ご連絡差し上げた次第でございます」


三浦はひと通り話し終えると、コホンとひとつ咳をして、わたしのほうに顔を向けた。


「はぁ、そうですか」


わたしは苦笑いをして、彼女から目をそらした。


この時点で、わたしは来るところを間違えてしまったなと思った。メタバース?バーチャルリアリティ?わたしはゲームをするためにここへ来たのではないのか?次々浮かんでくる疑問を対処しきれぬまま、話は滞(とどこお)りなく進んでいった。わたしは冊子の上端に焦点を置いて、これから先のことを考えた。プロゲーマーになりたいなんて、突発的な思い付きでここまでやってきてしまったが、やはりわたしには無理だろう。学校の授業だけで精いっぱいのわたしに、専門的な知識や戦術など覚えれるはずがない。わたしは三浦が語る内容の半分も理解できていなかった。何とかメモを取ろうとカバンをまさぐってみるのだが、これまた運の悪いことに、筆記用具どころが、ペンひとつ入っていなかった。


彼女が話し終えたら、早々と辞めますと申し出よう。そして今まで通り、ひとり家にこもってゲームを楽しもう。それで十分ではないか。そうわたしは心の中で呟いた。


三浦はわたしのことなど見向きもせずに、坦々と言葉を続けていた。


「では簡単に、今後の流れについてご説明させていただきます。まず初めに、大橋様には簡単なアンケートと書類に目を通してもらいます。これは当社に所属するにあたっての注意事項や規則が書かれているものですので、くれぐれも読み飛ばしのないようにお願いします。次に、部屋を移動して数分間の面接を行ってもらいます。面接と言っても、簡単な質問をするだけなので、そう緊張なさらなくても大丈夫です。それを終えて、わたしと主任の方で最終的な判断を下します。すべて合わせて二時間ほどかかると思いますが、お時間はよろしいですか?」


「はい。大丈夫です」


さっきまで辞めようと思っていたのに、なぜだかわたしの口から了承の言葉が出てきて、思わず身体をびくつかせた。


「何かご不明な点などありましたら、遠慮なくお申し付けください」


上手く言葉を言い出せずにそわそわしていると、再び三浦が強くわたしを見つめてきた。


なにしてるのよ、わたし。早く辞めると伝えないと、事がどんどん大きくなって、チームに入れられてしまうではないか。わたしは唇を強く噛んだ。目線は冊子の上に置いているので、目の前に座っている安住の顔はわからなかった。けれどきっと、彼はわたしを娘を見るような目で見つめているのではないだろうか。まだ中学に入学したばかりの、初々しい娘を見る、穏やかで優しい顔。そんな娘が、いきなり家を出ていくなどと言ったら、一体彼はどんな顔をするのだろうか……わたしの頭の奥に、笑いながらも悲壮感を漂わせている安住の顔が写った。


「質問がなければ、アンケートの方をはじめたいと思います。では……」


「あの、」


わたしは下を向いたまま


「今日は面接だけで、実際にゲームはしないんですか?」


と聞いた。


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