21.雲域を守る箒星

 手始めに虚無の魔弾を、甲板から見える触手の先に打ち込んでみる。

 ディモスの指先から放たれた黒い球状の魔弾は、触れた物を虚無領域へ削り飛ばす。本来ならば相手の表皮や装甲など問題にならない絶対貫通攻撃で、魔装グリモローブ同士なら最強の鉾と成りえる物だ。

 しかし、今回は相手が巨大すぎた。

 連続で放たれた魔弾は期待通りに触手の表皮を裂き、当たった箇所は弾け飛んだものの、すぐに青みがかった白い粘液のようなものがその傷口を覆い、やがて魔弾が当たる前とあまり見分けがつかない状態にまで再生してしまった。

 これが、ガイトのパラダインが苦戦している理由のようだ。

「うわぁ……再生能力か」

『まあ、この見た目です。予想はしていましたが』

「それなら穴を直接ぶつけて……」

『大きさはありますが強度は弱いので、すぐに立ち消えてしまいますよ』

 真織とイヴが呑気に感想を述べていると、今再生したばかりの触手の先が、甲板からぐおん、と持ち上がる。

 何事かと眺めていると、次の瞬間それはディモス目がけて振り下ろされたものだから、慌ててその場を飛び退く。

「っとと……っぅえ!?」

 その少しテューポーン号から足が離れた瞬間、神秘マナの突風が吹き、巻き上げられそうになるが、慌てて飛翔翼を制御してディモスを船体に押し付け、体勢を持ち直す。

「何これ、少しでも船から離れると飛ばされちゃいそうなんだけど」

神秘マナの嵐の強い領域のようですね。船に触れているうちは、その力場の恩恵を受ける事が出来ますが』

 魔装グリモローブに乗っているとはいえ、この船から離れての戦闘は自殺行為という事だ。真織がどうしたものかと考えあぐねていると、再びイヴが口を開く。

『それと』

「何?」

魔法通信端末マナフォン、鳴ってますよ。アイラからですね』

「げ」

『げ、ってどういう意味かしら、マオ?』

『あ、マオは手が離せないと思ってディモスの端末に繋ぎ直しておきました』

 真織はしれっと余計な真似をするイヴを軽く睨みつけると、通話に応じる事にした。

「げ……元気?」

『さっきまで話してた相手にする話じゃないでしょう、それ』

「……ごもっとも」

『……まあいいわ。それで、大丈夫なの? 甲板の状況、良く見えないけど』

「あんまり大丈夫じゃないね。大きすぎて虚無の魔弾も効かない。反撃して来たし、痛くないわけじゃなさそうだけど」

 そこで、通話が途切れたかと思うような、沈黙。

 その間暴れる触手をどうにか捌きながらも、前後に長い箱型の船の、後端付近まで後退してしまっている。

『ねえ、マオ。もしかしてだけど』

「何?」

『また杖、使ってないんじゃないでしょうね』

「『あ』」

 真織とイヴが同時に、「今気づいた」とばかりに声を上げる。

『すみません、どうやらマオのスタイルに毒されていたようです』

「私のせいにしないでよ」

 杖に変換した神秘マナを保持しておけば、高出力、長射程等の大規模な魔法が使える。魔法使いメイガスとしては当たり前の話なのだが、今まで必要としていなかったが故に二人の頭から、すっかりいた。

『デイヴォの使っていた太刀杖ブレードロッドは失われましたので……長杖スタッフを呼び出します』

「お願い」

 ディモスの頭上に黒い穴が現れ、そして黒い金属の杖が半ばまで降りてくる。ディモスの手がそれを握ると、先端まで一気に引き抜いた。

 現れたのは金色の装飾に赤い宝石が先端に飾られた、魔装グリモローブの全高程の長杖スタッフ

 それをディモスの肩に担ぐと、真織は神秘マナの収束と変換を開始する。

「……何か恰好いい名前とイメージが欲しいな」

『またそんなのですか』

『……ねえイヴ、操縦席のマオっていつもこんな感じなの?』

「出力イメージと強度に直結するから大事なとこでしょ。……あ、デイヴォの二つ名、借りちゃおう」

 ディモスは右手で担いだ長杖スタッフを両手で持ち直すと、大きく頭上に掲げる。

「真・黒・剣!」

 杖の先端から、黒い稲妻のようなものが伸び、それはやがて長大な刀身と化す。その切っ先を正面の触手に向け構えると、放たれた圧に触手がひるんだ。

「タコ足斬りっ!」

『そこで何で残念な感じになるんですか』

 ディモスはそのまま一歩踏み込み、横凪ぎにその虚無の魔剣を振り抜くと、その刀身は触手のより根本、雲域の主の本体から魔法船マナシップに伸びているあたりを切り裂き、引きちぎる。

 本体から切り離された触手は力を緩め、ガイトのパラダインは今だとばかりに槍杖ランサースタッフを船体と絡んだ触手の間に差し入れ、引き剥がすことに成功した。

 しかし真織が本体を見ると別の触手が伸びてきているし、切り飛ばした触手も再生を始めているのが見て取れる。

「よし……アイラ、このまま逃げるよう船長に。相手してるとキリが無さそう」

『分かったわ』

 テューポーン号は加速を開始するが、しかし。

「ええ、意外と、早い!」

 伸びてくる触手が間近に迫るのを、ディモスとパラダインが必死に切り払って対処する。それでも、加速しきれていない船の速度に比べ、触手の接近速度があまりにも早かった。

 その触手が、吸盤が船尾を叩くかと思われたときに、彼方から伸びた一筋の光条が、触手の先端を再度切断した。

「ぇ、何?」

『今のは……銀星隊シルバーコメッツ?』

 この世界には天体としての星は存在しないが、時折、天陽から飛来する光る物体がある。それは神秘マナと反応して尾を引きながら雲域を通過し、やがて消えてしまうが、見た者の未来に幸福をもたらすと言う。

コメット」とは、その物体を示す言葉として使われている。

 そのコメットの名を冠する王国直属の雲域警護隊の乗機は、神秘マナの嵐に機動を左右される魔装グリモローブなどでは無かった。

 その銀色の三角形が3つ、神秘マナの嵐を切り裂いて現れ、瞬く間にディモスの――真織の眼前を横切っていく。

銀星隊シルバーコメッツ……雲域を守る箒星ほうきぼし……それじゃあれが」

『ええ。魔翔グリモブルームですね』


 魔翔グリモブルームの構造は、基本的には一般的な空翔ぶ箒フライングブルームと大差ない。

 但し大型化し、およそ鉛筆状の本体ボディ竿シャフトと操縦席を収め、推進用小杖ワンドを並べた翼状の装甲を取り付けたような形状だ。専用の魔導書グリモアによって魔法船マナシップ同様の力場を持つため雲域での活動が可能。戦闘に対応したものはさらに、攻撃魔法を中心とした魔導書庫アーカイヴと、それを発動するための銃杖ガンロッドを搭載している。

 魔装グリモローブ以前からの魔法機械であり、島の防衛等は比較的小型で汎用性も高く、高出力な魔法の扱える魔装グリモローブに取って代わられたものの、雲域内での迅速な活動には不可欠であり、銀星隊では母艦とする魔法船マナシップに様々なオプションを積むことで、多様な業務に対応していた。

 黒木真織は空翔ぶ箒フライングブルームについて調べるに当たり、この魔法機械の存在を知り、一度見てみたいと思っていたのが、思わぬ形で叶ってしまったのだった。


「こちら銀星隊シルバーコメッツ一番隊隊長、マイア・スワローテイル。テューポーン号さん、聞こえてるー?」

『こちらテューポーン号、オウラン・メダンだ。迅速な対応、感謝する』

 銀星隊シルバーコメッツ専用機『シンフォニア』の操縦席にいる、紫がかった黒髪をサイドテールに纏めた女性が、テューポーン号に通信を入れる。

 オウランからの返答に、マイアはその色濃い栗色の瞳をにこりと笑わせた。

「いやーそれがね。このタコチューさんの目撃情報があって、討伐のためにこの辺を探してたんだけどさー。その前にこんな事になっちゃってて、ごめんねっ☆」

『結果として、救助された此方が感謝する立場なのは変わりないぞ?』

「そう言ってくれると有難いけど。……それでちょっと提案なんだけど、そっちの黒い子、貸してくれない?」

『何?』

 マイアからの要請に、テューポーン側は一瞬の困惑を見せる。

『こちら白槍隊ホワイトランサーズガイト・レオン。魔装グリモローブが必要なら、自分のパラダインなら行けますが』

白槍隊員ホワイトランサーさんかー。ごめんね、欲しいのは魔法使いメイガスの技量じゃなくて、魔法の出力なんだよね』

 見かねたガイトの提案に、マイアはそう断りを入れる。確かに、原書オリジナル長杖スタッフの性能に物を言わせた先の大出力魔法は、量産型のパラダインで真似できる物ではない。


 操船室にてオウランの隣で通信を聞いていたアイラ・グラキエースは、オウランに代って応答する。

「こちらテューポーン号のオーナー、グラキエース家長女、アイラ・グラキエースです。黒い魔装グリモローブについては本人のやる気次第なので、通信を繋いで良いでしょうか?」

『やる気次第? え、その船で雇った魔法使いメイガスとかじゃないの?』

「あの子は私の……協力者です。ついでに原書オリジナルの所有者なので」

『ええ、面白いのに当たっちゃったなー! いーよいーよ、出来たら通信、オープンに繋いでくれると助かる☆』

「イヴ、聞いてた?」

『かしこまりました』

 そこまでの通信内容を魔法通信端末マナフォン越しに聞いていたイヴが、周辺の通信を繋ぎ直す。

『えー、はじめまして。グラキエース魔法学園、来年度より中等部三年になります、黒木真織です』

『はいはーい、銀星隊シルバーコメッツ一番隊隊長、マイア・スワローテイルだよ、よろしくー!』

 元気の有無の差異はあれ、両者の実に緊張感に欠ける挨拶に、アイラは思わず眉間を指で抑えた。

「それで、マイア隊長。真織に協力してほしい、という話で良いんですよね?」

『そうそう、さっきのでっかい剣、見えてたからさ。あれを使えば、ちゃっちゃと討伐できると思うんだよねー』

『でも、魔装グリモローブだとアレの近くまで行けないですよ』

『だいじょーぶ! あたしのシンフォニアの上に乗っかればいいよ』

『うーん、興味はあるけど……』

 今までの会話の傾向から言って、マイアは真織にとって苦手なタイプだ。

 マイアの圧の強さに、真織のどうにも渋っている様子を見て取ったアイラは、助け船を入れてみる。

「マイア隊長、協力報酬の提案をしても良いでしょうか」

『んー、出来るかわからないから、とりあえず聞かせてもらえる?』

『いや、アイラ、あのね』

 なおゴネようとする真織を無視して、アイラは言葉を続ける。

「討伐達成後、真織にシンフォニアの『魔翔の魔導書グリモア』を一冊、貸してほしいのです」

『!』

 通信機越しに、真織の息を飲む声が聴こえた。果たしてマイアの返答は。

『あー、そんな事? 母艦に予備積んでるから、それで良かったら構わないよー?』

『……わかった、やる』

 アイラ・グラキエースは、にっこりと、とても良い笑顔を見せた。



『一番隊副隊長、レナ・マーキーよ。よろしくね、真織ちゃん』

『あたしはカリーナ・ライシネディー。頼りにしてるよー!』

『母艦ファーストコメット号より、バックアップを務めます。アーヤ・ユリシスです。よろしくお願いします』

「あ、はい、どうも……」

 マイアの隊長機シンフォニアの、二等辺三角形に近い翼装甲にディモスの足を乗せた瞬間、他の銀星隊員シルバーコメット達から一斉に音声通信が入ったものだから、真織としてはたじろいでしまって、前髪を弄りながら零す。

「……元気な人たちだなぁ」

『マオのテンションが低いだけです。人の事は言えませんが』

「自覚があるのは大変結構」

 何となく先日のイヴの真似をしてみてから、真織はディモスの杖を構えさせる。

 その左右に、レナ機、カリーナ機がつき、後背はアーヤの乗る丸っこい母艦ファーストコメットが固めている。その母艦から、全機に通信が入った。

『作戦、と言えるかは分かりませんが……ディモス及び隊長機は討伐対象本体に突撃、レナ機、カリーナ機で援護、わたくしは母艦にて状況と相手の分析を担当します。テューポーン号の防衛はガイトさんのパラダインにお願いしますが……出来るだけそちらに攻撃が行かないように致しますね』

『まあ、この編成だとそうなるっしょ』

『真織ちゃん、マイアの無茶につき合わせちゃってごめんね?』

 カリーナが頷き、レナが真織を気遣う様子を見せる。それに応じ口を開くが、言葉を発する前にアイラが通信に割って入ってきた。

『マオも相当無茶なので、皆さんは気にしないで下さいね』

「……アイラ……さっきからちょっと扱い悪い」

『止めても聞かずに飛び出して行った自分を恨みなさい』

 アイラがピシャリと言うと、真織は黙るしかなく、銀星隊一同が笑う。


『それじゃ行くよー、銀星一番隊うぃずディモスっ! 作戦開始アターック!』


 マイアの号令に、三機の魔翔グリモブルームは一斉に、雲域の主目掛けて翔び立った。

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