8.そんなつもりじゃ

 エウル・セプテムは憂鬱だった。

 寮に帰らなくてはならない。しかし寮の部屋には、あの転校生も帰ってくる。お嬢様アイラと仲良くしているようだから、あの人もきっと優しい人なのだと思っていた。そう思っていた人から拒絶されて、どう接して良いのかわからなかった。

 向こうから絡んできたり嫌がらせされているという事は無いのだが、受け容れて貰えなかったというその事実が、この眼鏡の少女の気持ちを重くさせていた。

「あら、エウルちゃん。荷物、届いてるわよ」

「あ、はい」

 部屋に戻ろうとすると、廊下の掃除をしていた寮母さんから声がかかった。寮母室までぱたぱたと取りに戻ってしまったので少し待っていると、戻ってきた寮母さんから小さな小包を受けとった。

 寮母さんに礼を述べて部屋に戻る。

 勉強机の前に座って荷物を見てみると、差出人名は「ファムル・セプテム」となっていた。

「……お母さんだ!」

 大好きな母親からの荷物である。心持ち気がせいてしまうが、それでも包装紙を破らないように丁寧に開けた。小鳥の様々な仕草が描かれた、可愛らしい包装紙だったからだ。その包装紙は見覚えがある。だとしたら、多分。

 期待を胸に、中にあった小箱を開ける。そこにはカードと、緑色の石を抱えたウサギを象った、何かお守りのような物が入っていた。

「これって、『青い小鳥』の新作……!」

 エウルは雑誌の情報で読んで、それを知っていた。幸せを呼ぶお守りアクセサリーブランドの新作だ。

 魔法のような明確な効果のあるものではない、まじないの類は、この世界においても人気があった。そしてこれがエウルのお気に入りのブランドであることは、母も知っているのだ。

『少し早いけどお誕生日おめでとう。神秘マナがあなたのこの年に、幸福をもたらしますように。 母より』

 カードにはそう書いてあった。そういえばもうすぐ誕生日だ。

 失礼なルームメイトの事など忘れて、うきうきとしてしまったエウルは、そのお守りを鞄につけてみる。

「……ふふー、可愛い……!」

 箱の底に入っていた説明書きだと、この『ハピラビ』シリーズは何色かあり、緑の石は「よき友情を呼び込む」と書いてある。

 また新しい友達ができるのかもしれない。マリィやパティともっと仲良くなれるのかもしれない。だったら、ルームメイトの事はもう気にしなくていいだろうか。

 そんな事を思ってニマニマして居たら、戸口から音が聞こえた。

「……ただいま」

 一瞬の躊躇があるが、しかし黒木真織は必ず、この部屋に戻ってきたときにそう声をかける。部屋の中と出入口が離れているので、ノックだと気づかないかもしれない、という真織なりの配慮だったのだが、エウルはその声を聴くたびに、何か怯えたような気持になってしまっていた。

(どうしよう、どうしようっ!)

 浮かれた気持ちが急下降し、思考は停止する。落ち着かなくてきょろきょろしてしまうが、そんな事をしても逃げる場所も隠れる場所もないのだ。

 その間に、真織は部屋に入ってきて、何かに気づいたようにエウルの方をじっと眺めていた。

「……な、何……?」

 眼鏡の奥に怯えを見せながらも、恐る恐る訊いてしまうと、真織はいつもの無気力な顔を、少しだけ微笑ませた。

「それ、可愛い。セプテムさんにぴったりだなって」

 彼女の視線は、机の上の鞄と、それにつけられたお守りハピラビに向けられていた。

「あ……お母さんから貰った、誕生日プレゼント……」

 エウルは、ちょっとだけ嬉しくなって、答えた。真織の言葉は、自分が嫌われている感じではなかったし、母からの贈り物を褒められたのも嬉しかった。

「そっか、素敵なお母さんなんだ」

「うん!」

 素直に家族が大好きだと伝わる返事がとても『いいな』と思った真織は、一度にっこりとして、そして少し考えてから、意を決したように自身の勉強机の前の椅子をエウルの方に向け、そして座った。

「あのさ。ちょっと、話聞いて」


 真織は、アイラと話した内容をエウルにも話してみた。

 友達という『引紐リード』の事、それを繋いだ時に心がけること、自分にとってどういう事が『友達』なのかという事、『友達になりたい人』の事。

 その話題を出した時、ひとたびエウルの表情が強張ってしまったが、話を進めていくと、エウルも椅子を真織の方に向け、だんだん真剣な表情で耳を傾けているようだった。

「……っていうことで。うまく説明できなくて、嫌な思いさせて、ごめん」

「え、あ、いいよいいよ……! 逆に、私がごめんなさいだよ!」

 真織が頭を下げると、エウルはぶんぶんと首を振る。

「私、友達になるのは良いことだーって、思い込んでたから。クロキさんが言ってくれなかったら、分かんなかった」

「まあ私のは考えすぎだって、氷川さんには言われたんだけど」

「でも、そんなの人それぞれなんだなって思った!」

 真織の目に映る、拳を握りしめて身を乗り出して力説するエウルの姿は、「クロキさんは悪くない!」と全身で語っているようで、嬉しかった。

「私ね、怖がりなとこあるから、クロキさんに引紐リード繋いで、安心しようとしてたのかも知れない。だから、ごめんね」

「うん……ちゃんと話せて良かった。聞いてくれて、ありがと」

「話してくれて、ありがと! ……よかったぁ、クロキさんに嫌われてるんじゃなくって」

「ぇ……私がセプテムさんに嫌われたなって思ってたんだけど……」

 二人は顔を見合わせて、やがて同時に、くすくすと笑いだした。



 二日の休日を挟み、その翌日。真織とエウルは一緒に登校していた。

 真織が寝坊しかかったりはあったが、無事に教室の前までたどり着くと、「また後でねー」と手を振って、エウルは自分のクラスの教室に入る。

 真織もそうしようとしたところで、上品な笑顔がそこで待ち構えていた。

「うまくいったみたいね」

「おかげさまで。ありがと、氷川さん」

 このタイミングで声をかけてきたという事は、どこかで見ていたのだろうか、と思いながら、ちらりとエウルの居る教室内を見ると、エウルは鞄につけたお守りハピラビがクラスメイトに見つかり、嬉しそうにそれについて語る姿が見えた。

「それと氷川さん……その、ごめん。お金、貸して」

「? ブルーム買うのはまだ先じゃないの?」

「セプテムさん、もうすぐ誕生日だって」

「……ああ、なるほど。プレゼント……」

 にやにやと笑うアイラを前に、真織は何故だか少し居心地が悪くなる。

「そうね、向こうの暦で、6月1日になるかしら」

「ぇ?」

「私の誕生日よ。覚えておいてね」

「ぇ……分かり、ました」

 アイラの笑顔に圧を感じて思わず後退りながら答えると、アイラは一つ頷く。 

「よろしい。それじゃあ放課後、一緒に買いに行きましょう」

「ありがと。助かる」

「あ、でも、エウルさんと帰るんだったら……」

「今日はゴールドさんたちと、河原でお茶会だって」

「そう。それじゃあ放課後に」

 そのアイラの笑顔に、真織は手を振って見送った。


ブルーム、持ってきちゃったの?」

「うん、買い物の後に、そのまま練習しようかなって」

 放課後、校門で待ち合わせたアイラと真織だったが、真織は背中に長いものを背負っていた。

 空飛ぶ箒フライング・ブルームは魔法学園の学生たちには初等部から馴染みの深い、乗り物タイプの簡易魔法装置だ。概ね物質世界マテリアで伝えられている魔女の箒同様に手で持って跨って乗るもので、授業で練習もするし、島の中での移動にも使われる。

 ブルームとはいうが、清掃用に作られたわけではなく、基本的には飛翔の魔導書グリモア巻物スクロールに写したものと、そこから魔法を出力する細い枝のような小杖ワンドの束、巻物スクロールを収め小杖ワンド束を巻き付け、統合してコントロールする為の胴体である芯筒シャフトの部分が組み合わさって、箒のような形になるのである。

 その組み合わせや品質で速度が変わったり小回りが利くようになったり、強風下でも安定して飛べる出力パワーが得られたりとあるのだが、真織の持つそれは学生の練習用のもので、各部の品質は中の下といったところだろうか。

 街中での飛行は防犯上禁じられているが、街の外や平野や河原、学園の校庭グランドなどの開けた場所であれば、問題ないそうだった。

「了解、そっちにもつき合ってあげるわよ」

(……氷川さん、もしかして暇なのかな)

 真織はふとそんな事を思ったが、口にしたら怒りそうだと、何も言わずにアイラに商店街を案内されていた。

 ああでもない、こうでもない、と、案内される先で、物凄く既視感を感じる品物を見つけ、真織は足を止めた。

「これって」

「ああ、それね。を参考に、この島の企業が開発したのよ」

「……ぁー魔装グリモローブなんてのがあるんだから、これくらいは作れるんだ」

「そういうこと」

 真織とアイラは相談して、それを購入することに決めた。

 学園長タイガの協力が必要になるが、多分問題ないだろう。

 あとはブルームの練習場所だが、もしかしてエウル達と合流できるかもしれないと、河原に向かうことにした。



 グラキエース島に限らず、魔法世界マナリアでも人の住む島には大抵、川が流れている。

 当たり前だが水が無ければ人が生きられるわけはなく、その水はどこから得られるかと言えば、神秘マナの雲である。

 普通に雲として島に雨を降らせることもあれば、島の下面や側面の洞穴から取り込まれ、地下水のようになることもあった。

 そうした水が溜まったり湧いたりして、平地を川として流れ巡り、島の外の神秘マナの雲へと放出され、やがてまた雲になる。

 今では人が流れ落ちないよう河口に魔法の網ネットが張られるようになったが、これは人が住むようになる前からの、島の在りようだった。

「絶好のお茶会日和だねぇ、マリィちゃん!」

「……そうですわね」

 にこにことして、折り畳みテーブルの上にテーブルクロスを広げるエウル・セプテムに、マリィ・ゴールドは口元を扇で隠して静かに応じた。

 街を出てブルームでのんびり十分ほどの場所に、その河原はある。

 天気の良い日には建物の殆どない平野と、時期によっては雲間にうっすらと他の島の姿なども望む事が出来て、とても景色の良い場所だ。

「朝からご機嫌っスね、エウルっち。そのお守りのおかげっスか?」

「えへへー、そうかも!」

 ニタニタとして声をかけるパティに、エウルはくるっと踊るように回ると置いておいた鞄を持ち上げ、ハピラビのお守りを確かめてふにゃふにゃと笑っていた。


わたくしは」

 ぴしゃ、と扇を畳み、マリィは周囲に言い聞かせるように、声を上げた。

「……機嫌が悪いのですわ、エウルさん」

「ぇ」

 エウルの動きが凍りついた。そうさせるような、冷え冷えとした声色だった。パティは何か理解しているようで、腕組みしてうんうんと頷いていた。

「こないだ場所取りしてなかったっしょ? その前は買ってくるケーキ間違えてたっス。他にもいろいろ。ポンコツは知ってるっスけど、ちょっと凡ミス多くないっスか?」

「えと、それは、ごめんなさい……でもあのね、ケーキは、売り切れちゃって、て」

「言い訳ですわね。それにこのテーブルクロスの柄も、子供っぽくて私の好みではないのですわ。そんな体たらくで、ご自分だけ楽しそうにして」

「そんなつもりじゃ……」

 鞄を抱えたまま、しょげて目を伏せる。その姿を見据えながら、冷たい声はエウルを責め続けた。

わたくしは悲しいのですわ、エウルさん。あなたがわたくしを理解してくれなくて、あなたとの友情が、遠いもののように思えてしまいますの」

「そんなこと……! 私、マリィちゃんのこと凄いって思うし、大好きだよ!」

「でしたら」

 マリィはす、と手を、エウルの方に差し出した。

「そのお守りハピラビ。――わたくしに頂けるかしら?」

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