【優しくて暖かい命の終わりに願うこと】

まど

彼女の死は誰かの幸福たりえるか

01

 ―――九月二十日―――


世間が肌寒い夜風を受けて、夏の終わりを感じ始めたこの日、渋谷のとある雑居ビルの屋上から一人の少女が飛び降りた。


少女の名前は【結城ゆうきちとせ】国立大の法学部を卒業ののち、司法浪人中のフリーター。


彼女が飛び下りたビルの現場には特に争った形跡がなく、私生活においても他者とのトラブルなどの話は一つとして浮かばなかった為、警察はこれを自殺と断定。

二社の報道機関が夕方のニュースで淡々と報じた程度で、これといって世間の注目を集める事は無く、この少女の死は極めて事務的に処理された。


しかしただ一人、結城ちとせと親交があった橘 凛たちばな りんだけは、彼女の死の原因を探していた。


凛にとって、結城ちとせは特別な間柄にある人物ではなかった。

凛は彼女に異性としての憧れを抱いてはいたが、特段交際関係にあったわけでもなく、彼女が凛の好意に気が付いていたのかも分からない。


少なくとも凛が直接彼女に気持ちを伝えた事は一度もなかったし、彼女から見た凛はせいぜいバイト先の仲の良い後輩で、その評価は【不器用な可愛い子】程度の物だったと思う。


彼女が自殺したという話を聞いた時、凛の頭に一番最初に浮かんだのは


【信じられない】


と言う月並みな感情だった。


凛にとって、望まざるもバイト先のバルにおける同僚でしかなかった彼女のプライベートは深く知る由も無いが、それでも週に三日・四日は顔を突き合わせる間柄だったのだ。知らない仲ではないし、凛の知る限り結城ちとせは決して自死を選ぶ様な人間に思えなかった。

そんなイメージのせいだろうか、どうしても彼女の死を現実として受け入れられなかった、受け入れられないと言うよりも、どうにも現実感が無かった。


とはいえ警察が自殺と断定している以上、一市民に過ぎない凛にとって彼女の死は自殺だったと認める他に無い。

いや、仮に違ったとしても自分にはそれを調べる力も権利もない。

頭の半分で理解しながら、のこり半分の部分でやりきれない靄を払えない凛は、と言う疑問に取り憑かれ、そればかり考える様になった。


訃報を伝えられてから永遠と考え続けた凛は一つの考えに突き当たる。


【結城ちとせが自殺した理由を知る】


結城ちとせにとって赤の他人でしかない凛が、自ら命を断ったちとせの人生の足跡を辿ると言う行為は少々彼にとって後ろめたく感じる所があったが、こう決断したのには大きく二つ、理由があった。


まず一つ目は先述のとおり、どうにも【結城ちとせ】の【自殺】に納得出来なかった事。

凛は何度考え直しても結城ちとせが自殺をする様な人間だとは思え無かった。

果たして自ら死を決断する人間は、その気配を、雰囲気を、おくびにも出さず周りの人間に少しも疑問を抱かせないまま日々を生きていける物なのだろうか…


二つ目は9月20日に彼女とバイト先のバルの締め作業を終えた直後に、彼女が命を絶っていた事。

凛は自分が【結城ちとせと接した最後の人間】である事に、いいえぬ責任の様な物を感じていた。


二つ目の理由において、凛は生前最後に接触した人間として自殺当日に結城ちとせに変わった所が無かったかと、警察から事情聴取を受けていた。


今になって思い返してみれば、彼女の一挙手一投足に自殺へ繋がりかねない言動が有った様にも感じるが、凛はそれが【結城ちとせの自殺】と言う結果をふまえて感じている違和感なのか、受け入れがたい現実に理由を付けたい気持ちから来る物なのかに自信が持てず、結局警察には何も話さなかった。


果たして結城ちとせの死の真相を追うにおいて、まずは何から始めるべきか…

他人の自分に一体何が出来るのか…

彼女はビルの屋上から足を踏み出すその瞬間、何を考え、誰を思っていたのだろうか…


そんな事を考えながら凛はバイト先へ原付を走らせていた。


「さむくなったな…」


頬を掠める様に流れる夏の残り香を乗せた秋分の風が、結城ちとせの死を現実だと伝えている気がした。

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