第5話

 浩之の心配と迷惑を無視して、政雄は五日間居候状態を続けた。

 政雄は浩之邸の二階の八畳の和室に居座り、時々外出する浩之の代わりに掃除と洗濯、食事の支度をして過ごした。

 二階にもトイレと洗面台、それに浴槽はないが冷暖房付きのシャワールームがあるので快適だ。

 家事の合間には子供の頃とそれ程様変わりしていない故郷を散歩した。

 四十年近く離れていた砂町地区にもマンションなどが建設されているが、狭い路地が至る所に走っていて、大きな土地がないこともあってか、街全体の印象にはさほどの変化はない。

 変化と言えるのは、政雄たちが通っていた中学校が移転になり、跡地に図書館を中心にした文化センターに変貌したこと。

 それと、土手のように少し高い所にある貨物列車専用の線路を、蒸気機関車やディーゼル機関車が走っていた貨物駅が、大型ショッピングモールになっていることくらいだ。

 細い路地を縫って商店街に出た政雄は、おでんの種を売っている蒲鉾店で、自分の好きなものを中心に見繕ってから浩之邸に戻り、合鍵を使って家の中に入った。

 浩之は所用で出かけていて留守なので、買ってきたおでんの種をキッチンに持っていき、シンクの下の収納棚から出した土鍋に放り込んだ。

 陽が落ち始めて薄暗くなってきたのでリビングの照明を点け、テレビと炬燵のスイッチを入れてから定位置の座椅子に腰を下ろした。

 ニュース番組が映し出された画面をぼんやりと観ていると、人の家で何をしてるんだと、なんとも言えぬ不安な気持ちになった。

 着替えは洗濯をしているので困ることはないが、一度自宅に戻って優子の様子を見なければならないと思う。

 そう思うのだが、どうしても気が進まない。

 あれから優子から連絡はなく、政雄もコンタクトをしていない。

 離婚という言葉が出た時の優子の反応は、本心からのものだろうと、政雄には思えた。

 この歳で離婚というのはばつが悪いが、今後も優子と生活をする気力は既になくなっていた。

 会社に勤めているわけでもないので、周りの目を気にする必要はない。

 息子の政広も成人しているので、今更両親の離婚に反対をするようなことはないような気がした。

 政雄には家族以外で肉親と呼べる血縁者は、定年後に札幌に移住した兄が一人いるだけで、親しい付き合いのある親戚はいない。

 その兄とも母親の葬儀以来顔を合わせることはなく、年賀状のやり取り程度なので、親戚関係への気遣いも不要だ。

 マンションや預貯金の分与と、それらに関する事務手続きは面倒だが、今の状態で年齢を重ねていく自信は、先日の優子を見て完全に失っていた。

 取りあえず自宅で優子と生活を続ける気力はないので、住居の確保が最優先課題になるな、と政雄は考えていた。

 

 テレビにお笑い芸人がMCをしている番組が始まった頃に浩之が帰宅したので、政雄はかいがいしくおでんの準備をして、炬燵に入った浩之にビールを注いであげた。

「何かあるのか?やけにサービスがいいじゃないか」

 乾杯の後、グラスのビールを一息で空けた浩之が、眼鏡の奥から訝しがるような眼で政雄を見た。

「浩之、二階の部屋を俺に貸さないか?もちろん家賃は払う」

 政雄は空になった浩之のグラスにビールを注いでから、卓上コンロの上で湯気を立てている土鍋から大根を口に運び、ビールで流し込んだから言った。

「はあ?何ほざいてんだ……。家には帰らないつもりか?」

 口に入れかけた卵を取り皿に吐きだしてしまい、熱さに浩之は口を押えて政雄を見た。

「いいだろ?お前も独りで寂しいだろうし。俺がいれば月に一度の清掃業者も不要になるぞ」

「ふざけんな!なんで爺さん二人で片寄せ合って住まなきゃならねーんだよ!俺は独りで気ままに暮らしている今の生活に満足してるんだ!」

「そんなにムキにならなくたっていいだろ。単なる思い付きなんだから……」

 珍しく浩之が気色ばんだので、政雄は少し腰が引けてしまった。

「お前は一度家に帰って、奥さんと話をしろよ。これは友人としての忠告だ。このおでんを食ったら帰れ!」

 怒りに任せて絞ったチューブから大量のからしを出しながら、浩之は政雄を睨んだ。

「今日?これから?そんなこと言うなよ」

 捨て犬のような眼で政雄は浩之を見た。

「駄目だ。そんな哀れっぽい面をしても、今夜は泊めないからな」

「冷てーな。それでも友達か」

「友達だから言ってんだよ。とにかく奥さんと今後について話し合え!分かったな!」

 浩之は政雄の前にあった焼酎のボトルをひったくるようにして、自分のグラスに注いだ。

「あーそうですか。五十年以上の付き合いのある友達ダチを見捨てるってことだな」

 政雄もボトルをひったくり、ドボドボと焼酎を注いで毒づいた。

「あのなー、そういう言い方はよせよ。俺はお前たち夫婦のことを思って言ってんだ。それに俺だって独りになりたい時だってあるんだよ」

「独り?ホントに独りになりたいのか?」

 取り調べの刑事のように、政雄は疑念に満ちた眼で訊いた。

「ど、どういう意味だ?それになんだ、その変な上目遣いは?」

「洗面台の鏡の裏にある収納棚に、ピンクの歯ブラシがあるけど、あれは誰のですかねー?」

「へっ?」

 浩之は隠していたエッチな本を母親に見つけられた中学生のように、呆けた顔になった。

「化粧落としのクレンジングもあったし、コットンのパフ、その他うちの洗面台を占有しているカミさんのと変わらない物が沢山あるけど、あれは?まさかお前に化粧とか女装の趣味があるとは気が付かなかったよ」

 政雄は勝ち誇ったように言い、大好物のちくわぶを口に入れた。

「なんで洗面台の裏まで見るんだよ!」

「掃除をしたんだよ。俺が綺麗好きなのは知ってるだろ?単身赴任歴十年以上のベテランだからな」

「だからって、そんな細かい所まで……」

「なんだよ、一宿一飯の恩義があるから俺が好意でしたのに、いちゃもんをつけるのか」

「一宿一飯どころじゃねーだろ!俺ん家に何日いると思ってんだ!」

「まだ五日くらいじゃね?ははーん、だからこの前の日曜日は午後から外出したんだな。言ってくれれば俺が外で映画でも観て時間を潰したのに。でも、こんな広い家だから俺がいても彼女は気が付かなかったかもな」

「か、彼女って、なんだよ?」

「ピンクの歯ブラシの彼女のところに行ったんだろ?それは俺が悪かったよ。お前の安定した性生活を乱してしまって」

 政雄は言葉と裏腹に全く悪びれることもなく言い、おどけたように頭を下げた。

「な、なんだよ、安定したなんとかって?」

「いや、そりゃあまだ還暦を過ぎたばかりだから、中高生並みとはいかなくてもそれなりに欲求はあるわな……。気が付かなかった俺が悪い」

 政雄は自分の額をぺちんと叩いて、嘲るように再び頭を下げた。

「うるせー!もう頭に来た。とっとと帰れ!」

「そんなこと言うなよ。な、今晩だけでも……」

 政雄は両手を揉みながら、精一杯の愛想笑いをした。

「駄目だってーの!もうお前は出入り禁止にするからな!」

 浩之は顔を紅潮させながら、政雄に宣言した。


 久しぶりに見る自宅の玄関ドアの先に踏み込む勇気が出ず、政雄はポケットから出した鍵を持て余して、共用廊下に暫く佇んだ。

 腕時計の針は十二時を回っていて、既に日付が変わっていた。

 浩之の家を追い出されても真っ直ぐ家に帰る気分になれず、昨夜に続き〈EPITAPH〉に寄ってから、自宅マンションに戻った。

 道路から見上げた自宅の窓には灯りが点いていなかったが、優子がカーテンを閉めている可能性もあり、不在かどうかは判らない。

 玄関扉に神経を集中して様子を窺ったが、部屋からは灯りも音も漏れてこない。

 今夜の〈EPITAPH〉には、政雄の他には七十代くらいの品の良さそうな男性客が一人いた。

 その男性客は近くに住む常連らしく、普段はあまり喋らないマスターと冗談を交えて会話をしていた。

 政雄とその客がいた時のBGMは〈Eniguma〉で、七十代の男性客が「マスターは何を基準にBGMを選んでいるの?」という趣旨の質問をした。

 マスターはグラスを磨く手を休めずに、「特にありません。強いて言えば、日本語の歌詞の曲はかけませんね。歌詞が頭に入ってきて、お一人のお客様の考え事や、お二人以上のお客様の会話のお邪魔になるような気がして」と応えた。

 玄関扉を開ける決心がつかず、現実を逃避するようにどうでもいいことを思い出しながら、政雄はやはりホテルに泊まろうとエレベータに踵を返しかけた。

 その時、エレベータが止まり、やや黄ばんだ蛍光灯を背景に男性が降りてきて、ぎょっとしている政雄の方に向かって歩いて来た。

「親父、何してるんだ?」

 ネイビーのピーコートを着た息子の政広だった。

 手には黒い大きめのボストンバッグを提げている。

「お、ま、政広か?どうした、出張か?」

「そうだけど、これから出掛けるのか?」

 政広はおどおどしている目の前の父親に訊いた。

「いや、俺も今帰ったところだが、タバコが切れかけてたのを思い出して、コンビニに行こうとしてたんだ……。取りあえず寒いから入れよ」

 政雄は咄嗟の言い訳をして、数分前まで開けることが出来なかった玄関扉を勢いよく開けた。

 真っ暗な中、玄関の照明スイッチを押してから三和土にスニーカーを脱いで廊下に上がった。

 冷え切った部屋の空気で、優子が不在だということを確認し、政雄はいつの間にか溜めていた息を、息子に気付かれないように吐きだした。

 一旦、玄関わきの自室に着替の入ったバッグを置き、リビングに向かった。

 政広はテレビの前のソファに寝そべるようにして座り、リモコンのスイッチでエアコンとテレビをつけていた。

「何か飲むか?」

 冷蔵庫を開けながら政雄が訊く。

「ビールある?」

「あるよ」

 冷蔵庫に二本だけあった缶ビールを取り出し、政広に一本を渡してから政雄はダイニングテーブルの椅子に座った。

「どこか旅行でもしてた?」

 缶ビールを開けて、政広が訊いてきた。

「え、なんで?」

 政雄は開けたばかりのビールを一口飲んで訊いた。

「バッグ持ってただろ」

「……ああ、ちょっと友達のところに泊りがけで遊びに行ってたんだ」

「ふーん。おふくろは?」

 政広は当然の疑問を投げかけた。

「最近忙しいみたいで、帰ってくるのが遅いんだ。四月の人事異動の準備だろう」

 政雄は当たり障りのない回答をした。

「今朝早く、家に電話したけど出なかったぜ」

 政広はリビングの隅で、留守電のメッセージがあることを知らせる赤いランプを点滅させている固定電話を顎で指した。

「何時頃?」

「搭乗前だったから八時頃かな……」

「携帯にかければ良かったじゃないか?」

「朝七時頃に今日家に行くっておふくろの携帯にラインをしたけど、八時になっても既読になってないから家に電話したんだ。親父も出ないし、仕方ないから一応留守電にメッセージを入れといたんだけど。まあ、家の鍵は持ってるし、こんなのには慣れてるから」

 政広は何かを含むような言い方をした。

「そうか……。お母さんから連絡は?」

「まだないけど」

「ふーん。ところで、出張は会議か?」

「うん。来期の事業計画説明会……。要するに各部門、支社への年貢米のお達しだよ」

「どうだ、福岡は?」

「まだ良く分からないよ……。でも、いい街だね。当分は本社勤務はごめんだよ。東京こっちには帰りたくもないね」

「俺も福岡には三年いたけど、ホントに暮らしやすいよな。でもお前はまだ若いんだから、そんなこと言ってると置いてけぼりになるぞ」

「そん時はそん時だよ。流通業界の本社勤務なんて地獄だよ。店舗や支社の社員から嫌われ、取引先からは憎まれて、大して給料も良くないのに、上はなんであんなにしゃかりきに働くのかって、見てて不思議だよ」

「たった三年程度のキャリアで何言ってんだ……って、分かるような気もするけどな。でも、どの業界も似たようなもんだぞ。俺の会社だってそうだったし、お母さんのとこだって一緒だよ」

「まあね……。決算時期が近づくとプレッシャーが半端ないから、つい愚痴りたくなっちゃうよ」

 息子の一端いっぱしな言葉に、政雄は頬が緩んだ。

「明日は早いのか?」

「いや、年末から正月にかけて休みをほとんど取ってないから、明日はゆっくりしてから、夕方六時頃のフライトで福岡に戻る」

 缶ビールを一口飲んで政広は疲れた表情で言った。

「そうか、忙しんだな。お母さんを待っててもしようがないから、風呂でも入って早く寝ろ」

 そう言って、政雄は浴室に湯張りをするために向かおうとしたが、「おふくろ、帰って来ないんだろ?」と、呟くように言った政広の言葉に足が止まってしまった。

「なんで?残業か何かで遅くなってるだけだ」

 政雄は優子の母親としての体面を慮って、虚しい言い訳をした。

「親父たち……。この先どうするの?離婚するのか?」

 唐突な政広の質問に、政雄は酔いが吹っ飛んだ。

「何を言うんだ……。そんなこと、考えてもいないよ」 

 狼狽えた政雄はテレビ画面に視線を向けている息子の横顔に、力のない言葉を返した。

「いいんだよ、俺はもう子供ガキじゃないんだから。おふくろは何年も前から自由になりたがってたんじゃないのか?」

「なんでそんな風に思うんだ?お前、何か知ってるのか?」

 政雄は椅子に座り直した。

「だって、おふくろ、付き合ってるひといるだろ?」

「えっ!なんだそれ?」

 政雄の心臓は早鐘を打ち始めた。

「親父が単身赴任でいなくなり、俺が高校に上がった頃、おふくろの外泊が始まって、土日もカルチャースクールだゴルフだとか言って、ほとんど家にいなくなったんだぜ」

「ホントかそれ?」

「ああ、まあ俺も高校生で、おふくろとしょっちゅう顔を合わせるのが鬱陶しい時期だったから、かえって良かったけど……」

「だからって、付き合ってるのがいるとかって分からんだろ」

「見たんだよ」

「何を?」

 政雄は缶ビールに口をつけたが、中身がないのが分かり、缶を握り潰した。

「部活の練習試合が川口の方であった帰りに、秋葉原で地下鉄に乗り換えようとホームに降りようとしたら、仲良さそうに腕を組んだおふくろと知らないオッサンが乗り込んで来たんだ……。その日の朝、おふくろは残業の後、飲み会があって遅くなるので会社の近くの友達の家に泊まるから、あんた好きなもの買って食べてと一万円もくれたんだ」

 政広も缶ビールを握りつぶし、抑揚のない声で言った。

「声かけたのか?」

「いや、俺と目が合って慌てて顔を伏せた……。バカだよな、適当に言い訳でもすれば良かったのに」

「……お前はどう思ったんだ?」

 政雄は、息子というよりも一人の男に訊くような口調になった。

「そりゃあ、その時はちょっと嫌というか複雑な気持ちになったよ。でも、帰りの電車に乗ってるうちに、おふくろが汚いとかは不思議に思わなかったし……悪いけど、親父が可哀想だという気持ちにはならなかったな」

「……」

 政広の言葉に、政雄は反応できずに潰れた空き缶を見つめた。

「それから俺が大学に入ったばかりの頃にも、有楽町で仲良さそうに歩いているのを見かけたけど、その時はもう驚かなかったな……。ただ、なんて言うか……家ではあんな楽しそうな表情はしばらく見てなかったなって、変な感じだった……。親父は何か気付いてたりしなかったのか?」

「いや、十年近く離れて暮らしてたからな……。正直、そんなこと、これっぽちも考えたことはなかったよ」

 政雄は親指と人差し指で、小さく隙間を作った。

「ホントに?でもそんなもんかな……。親父も単身赴任を楽しんでいただろうからおあいこじゃないの」

 政広は大人びた表情で言って、少し笑った。

「俺はそんな余裕はなかったぞ。こう見えても品行方正だったからな……。まあ、今夜は疲れたろうから早く寝ろ。俺たちのことは気にするな」

 成長した息子の気持ちには絶対に刺さらない言葉を吐き、政雄はタバコを喫うために立ち上がってベランダに向かった。

「ああ、俺は中立だ。親父たちで結論を出せばいいさ」

 政広は小さく見える父親の背中に向けて言い、政雄の代わりに風呂の準備することにしてソファを離れた。

 

 息子のために作ったハムエッグと、早朝にコンビニで買ってきたサラダと野菜ジュース、それに食パンを食卓に並べてから、政雄は政広の部屋に声をかけた。

「もう少し寝てから食うよ」

 部屋からくぐもった声で政広の返答があったので、「冷めないうちに早く食べろよ。俺は少し散歩をしてくる。昼飯迄には戻るよ」と、ドアに向けて話しかけた。

 政広の部屋からの聞き取れない返事を背に、政雄はスニーカーを履きながら静まり返った優子の部屋のドアを見て、俯きながら玄関扉を開けて外に出た。

 駅前のコーヒーショップまでブラブラと歩き、注文したココアをトレーに載せて、タバコの煙と臭いが充満している喫煙ルームに入った。

 朝の八時を少し回った時間で、席はあらかた埋まっていたが、運良く離席した女性客のあとに席を確保することができた。

 熱いココアを一口啜ってからタバコに火をつけ、スマホでニュースを見た。

 だが、昨夜聞いた政広の目撃談が頭から離れず、ニュースの内容が頭に入ってこない。

 政広はそれ程ショックは受けていないようなことを言っていたが、多感な時期に母親が見知らぬ男と仲睦まじい姿で歩いているのを見た衝撃はあっただろうと思う。

 だが、そんな優子を責める自分自身にも、脱力感を伴う自己嫌悪が込み上げてくる。

 優子や政広に言われるまでもなく、単身赴任先で羽を伸ばし、家庭を顧みなかった自分にも責任の大半はある。

 政広が成長して、手がかからなくなったとはいえ、自分には帰らなければならない家庭があったのは事実だ。

 幸い政広は父親の自分が知る限りでは、学校や交友関係で問題を起こしたことはない。

 だが、政広なりに悩みや相談事はあったはずだ。

 それらを全て優子に押し付けて、自分は勝手気ままに過ごしてきた。

 家族のために赴任先で不自由な一人暮らしをしてるんだから、後ろ指をさされる覚えはないと、自分を正当化していた。

 昨夜、政広から聞いた話を反芻していくうちに、自分の無責任さに気付き、恥ずかしくなってきた。

 冷えたココアを飲み干し、二本目のタバコを取り出そうとしとした時、ラインの着信音がした。

『奥さんと、ちゃんと話をしたか?』

 浩之からだった。

『昨日は帰って来なかったよ』

 その代わりに息子が帰って来て、母親の浮気現場を目撃した過去があったことを告げられたよと、コメントしようと思ったが止めた。

『なんだか大変だなーお前』

『そう、大変なんだよ。頼りはお前だけだ』と、政雄はタヌキが両手を合わせているスタンプと一緒に送った。

『夫婦喧嘩に俺を巻き込むな!』

『冷てーな。俺は今日からホームレスになる』

『おっ!それはいい。まだ寒いけど風邪ひくなよ』

『お前の家の庭でホームレスをするから、炊き出しをしてくれ』

 浩之からは、ウサギがちゃぶ台をひっくり返すスタンプが返って来た。

 

 江戸川を超えた隣駅にある図書館で時間を潰してから、スーパーで鍋焼きうどんの材料を買って、政雄は自宅に戻った。

 玄関を開けると、政広の革靴はなかった。

 キッチンに買ってきた物を置き、政広の部屋のドアをノックして開けた。

 ベッドが綺麗になっていて、コートやバッグは無かった。

 リビングに戻ってテーブルの上を見ると、少し大きめの事務用の付箋が貼ってあった。

 〈朝飯美味かったよ。呼び出しがあったので、本社に寄ってから福岡に戻る。おふくろは一昨日会社に携帯を忘れて友達の家に泊まり、昨日は工場に直行したたので、俺のラインに気付かなかっただって(苦笑)。ミエミエだよな。今朝会社で携帯を見て、慌てて電話したなんて、可愛い言い訳だ。親父も好きなことしてちょーだい〉と書かれていた。

 政雄は久しぶりに見る息子の書いた文字を見て、鼻の奥がツンとなった。

 スマホのロックを解き、『仕事は大変でも、先は長いから、手を抜くコツを覚えるんだな』と、サラリーマンの先輩としての助言と、熊がファイト!と言っているスタンプを政広にラインで送った。


※最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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