「神議―②」

 「此処に居たか!」

 稲荷と大年が声の方へ顔を向けると、そこに立っていたのは二柱の両親であった。

 父・建速須佐之男命タケハヤスサノオノミコト、母・神大市比売カムオオイチヒメである。――以降、須佐之男、神大市と記す。

 「父上、母上! お久しゅうございます!」

 「一年ぶりですね、こうして家族が揃うのは」

 須佐之男は大年の、神大市は稲荷の隣に腰を下ろすのがこの家族の定位置となっていた。大年は父の盃に酒を注ぎ、稲荷は母の長い髪と、移動によって少し乱れた着物の丈を直した。

 「昨晩の内に親族同士の挨拶は済ませておきたかったが……こう数が多いとな」

 「先程、我々もその話をしていたのですよ」

 尊敬している父・須佐之男と久しぶりの談笑ができて嬉しい大年は、興奮してどこか忙しない。

 「あら。私の家族はあなた方のみですから。父や兄弟姉妹も居ますけれど、嫁いだ立場としては距離も遠いですし。たった三人の家族を探すことも、そう苦労はしませんでしたよ?」

 「あ、いやそれは……」

 「ああ、そうでした。そうでしたわ。須佐之男様と大年には、たくさんの妻子や孫がおられるのでしたね。それはそれは、お忙しくなるのも頷けます」

恐る恐る声を出した大年を遮るかの如く発せられた神大市の一言で、一瞬にしてその場に木枯らしが吹き荒ぶ。一足早い、冬の到来であった。

 「な、何を仰いますか母上!」

 「そ、それ……っ、それは、子孫繁栄のために行ったことであってだな!」

 「あら、致し方なかったと?」

 「うっ……」

 どこか棘のある言い回しに焦りを隠せない須佐之男と大年は、目を泳がせたまま膳から体を乗り出して意見するも見事に玉砕。しおしおと背を丸める他なく、すっかり静かになってしまった。一方で、この空気を作り出した張本人である神大市は気にする様子など微塵もなく、「おほほほ」と高らかに声を上げて楽しそうだ。

横目で静観していた稲荷は、小さく口角を上げる。毎年恒例となったこのやり取りに対しても、「いつも通りだ」と何処かで安心感さえ覚えていた。

 しかし、今年ばかりは少し違っていたようだ。

 「稲荷、お前はどうなのだ」

 先程まで神大市の黒い冗談に唸っていた須佐之男が、稲荷へと問いかけてきた。

 表現力が豊かで奔放な生活を送る大年とは違い、口数は少ないが優等生のような稲荷を須佐之男は黙認してきた。――と、格好良く言えばそうなるのだが、実際は彼が父親として指摘すべき点が稲荷には殆ど見当たらなかっただけなのだ。


 稲荷の父・須佐之男は、神とされながら暴君の限りを尽くし、実姉で気高いあの天照大御神アマテラスオオミカミ天岩戸あまのいわとへ引き籠らせたという『とんでも伝説』を持つ気性の荒い神でもあった。そんな自尊心が高いこの男神でも、妻であり肝っ玉かーちゃんである神大市には敵わなかったものだから、何とか威厳を取り戻したいと話題を逸らしたのだ。頑固一徹、亭主関白以外を認められない父による身勝手な突然の振りではあったが、稲荷は大人しく次の言葉を待った。

 「お前は神々の中でも性別が定まっていないだろう。ともなれば、男にも女にもなれるということではないか。時代は進み、今では我らも神話と化してしまったが……跡取りを残すことができなくなったわけではない。人間がこうして信仰を続ける限り、我らが消え去ることはないのだからな」

 須佐之男は盃に入った酒を一飲みする。

 「また今年もこの時期になった。我らが母を思えばこそ、こうして集い、神議を行おうとする。これを機に、お前も男子として妻を得るでもよし。女子として嫁に行くでもよし。我ら神は、八百万もおるのだ。この中から相手を探すのもよかろう」

 胡坐を掻いて腕を組み、眉間に皺を寄せて小言を口にしている姿はまさに頑固親父そのものである。しかし、独り身の子を思えばこその親心であることも、稲荷には重々理解出来た。……理解は出来た。出来はしたのだが。


 「出来ませぬ」


 姉に天照大御神、兄に月読命ツクヨミノミコトを持ち、『三貴子みはしらのうずのみこ』の一柱と呼ばれて名高い須佐之男へ反抗したことで、宴だと騒いでいた周囲の神々までもが静まり返る。

 「あの須佐之男に楯突いた者が居るそうな」「なんと」

 「一体誰じゃ、その命知らずは」

 「実子の宇迦之御魂だ」「なんと」

 ざわつく神々を他所に、稲荷は一呼吸おいて続けた。

 「私は、今のままで居たいのです」――と。


 静まり返る『十九社』の中で、最初に口を開いたのは母である神大市であった。

 「稲荷らしい言葉ですね」

 「うむ! 稲荷はそうでなくてはな」大年も母に続いた。

 「あなたはあなたらしく……それで良いのですよ」

 「ありがとうございます、母上」

 母と兄の優しい言葉に先程の冷えた空気は緩和され、周囲からは再び賑やかな笑い声が聞こえ始めた。――その時。


 「箸置けぇぇぇぇぇぇぇい‼」


 肩を震わせていた須佐之男が大声で叫び激しく立ち上がったことで、膳は揺れ、地鳴りが響き渡り、一瞬にして社内に静寂が戻った。

 「ち、父上……?」大年が困惑した表情で見つめた。

 須佐之男は稲荷に人差し指を向け、顳顬こめかみに青筋を立てて言った。

 「人間のためと力を尽くすのは実に良いことだ……しかし‼ 子孫繁栄に協力せぬとは聞き捨てならん‼ お前が儂の実子である以上、性を定め、立派な子孫を残し、儂の後を継ぐ! そう決まっておるのだ‼」

 「……そんな決まりありましたっけ?」

 「『古事記』にも『日本書紀』にも書いてないですよ、父上⁉」

 神大市と大年が冷静にツッコミを入れるも、頭に血が上った須佐之男には届かない。

 「それが嫌だと言うのなら……‼」

 「‼」

 「あ! 俺の瓢箪……‼」

 栓の抜けるような音が聞こえたので稲荷達が顔を上げると、須佐之男が大年の瓢箪を脇に抱えていた。入口からしゅうしゅうと音が鳴り、それは次第に大きくなってゆく。


 「稲荷よ‼ お前の力を吸収してくれるわァァァァァ‼」


 竜巻となった風が社内の配膳や神々を浮かせ、瓢箪の中へと吸い込んでゆく。

 ――時は平成、神在月。『十九社』の中は、阿鼻叫喚に包まれた。

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