第100話 決意
「……ん……」
暗闇の中にいた意識が、暗い水中からどんどん光のある水上に近づくように覚醒していく。
何か、多くの視線が自分に集中しているような…
そんな感覚を、朧気な意識の中で覚えてしまう。
多くの誰かに見守られている、そんなむずがゆい感覚の中、リンの閉じていた目が、開いていく。
「……?…ここ、は?……」
目を覚ましたリンが、最初に目にした光景。
それは、お世辞にも作りがいいとは言えない、藁葺の家屋の中。
密集して生えている木々の隙間に埋め込むように作ることで、簡素な藁葺の家でも雨風を凌げるように、と言う工夫の現れ。
しかしそれゆえに非常に簡素であり、暴風などが発生すればまず持たないであろうことが分かる脆弱性。
どうして自分が、そんな見覚えもない家の中で、横に寝かされているのか。
そもそもどうして自分は、意識を失っていたのか。
ぼんやりとした頭で、そんなことを考えていたところに――――
(リン、おきたのー!)
(リン、だいじょうぶなのー?)
(リン、よかったのー!)
(リン、ねがおもすっごくかわいかったのー!)
リンのことが大好きでたまらないフレア、アクア、ウインド、ソイルの四人の精霊娘達が、リンが目覚めたことを喜び、わちゃわちゃとリンの胸元へと寄り添ってくる。
そして、うんと甘えるかのようにすりすりと、リンの胸にべったりと抱き着いてくる。
「あ、あれ?ぼ、ぼく、ど、どう、して…」
精霊娘達が、自分の華奢な胸にべったりと抱き着いて甘えてくるのをくすぐったく思いながらも、リンはなぜ、自分がこんなところにいるのかが分からないでいる。
「旦那様!目を覚ましてくれた!よかった~!」
「旦那様!よかった!旦那様が無事で!」
そして、精霊娘達と同じようにリンの覚醒を心底喜び、リンの顔を覗き込むように近づいてくるベリアとコティの獣人娘達。
よほどリンが気絶して、その意識を失ってしまったのが怖かったのか…
その目にはうっすらと涙の痕が残っていた。
「あ……ベ、ベリア、さん、と、コ、コティ、さん……」
そんなベリアとコティの顔を見て、リンはなぜ自分が意識を失ってしまったのかを思い出すこととなった。
そうだ、自分はこの二人にべったりと抱き着かれて、そのまま…
それを思い出してしまったリンは、その幼く可愛らしい顔を青ざめさせてしまい…
無意識にその重度のコミュ障としての本能が、二人から距離を取ろうと身体を後ずらせてしまう。
そんなリンの反応に、ベリアとコティは心底傷ついたような表情を浮かべ、その目に涙が溢れて来てしまう。
「や、やっぱり獣人じゃ人間の嫁には、なれないのか?」
「あたい、旦那様なら絶対に、って思ってたのに…」
リンがそのコミュ障を発動して、怯えるように距離を取っている様子を見て、ベリアもコティも『やっぱり自分が獣人だから…』と、とても悲しい思いになってしまう。
まさにこの世に顕現してきた天使と言ってもいい、そんな存在であるリンならば…
獣人である自分達をも受け入れてくれる、そう思っていたところだっただけに、リンのこの反応には、心底傷ついてしまっている。
男勝りにならざるを得ない生活であった為、負けん気の強さはあるものの…
それでも根底では、もっと女の子らしいことがしたいと言う強い思いが、二人の心に根強く残っている。
『獣人だから』と言うだけで嫌われるのは、自分達が女の子じゃないと言われているような気がして、とても悲しくなってしまう。
ベリアもコティも、その溢れんばかりの涙を隠すことなく、それでもリンと触れ合いたくて、その心はどうしようもなくなっている。
だが、肝心のリンがそれを拒絶するような態度を見せてしまっている為、無理に寄り添うこともできない。
悲しくて悲しくて、涙が止まらなくなってしまっている。
「ち、違う、ん、です」
そんな二人を見て、その純粋で優しい心を痛めてしまうリン。
決して、二人が言うような理由で今、こうなっているわけじゃないと…
重度のコミュ障が発動してしまい、唇まで真っ青になってしまっているにも関わらず、決して二人が獣人だから、などと言う理由で拒んでいるわけじゃないことを、どうにかして伝えようと、その心を奮い立たせる。
「ち、違うって、何が?」
「何が違うんだ?」
もうすでに唇まで真っ青になってしまっているリンが、それでも言葉を紡ごうとしているのを見て、ベリアもコティも止まらない涙はそのままに、リンが紡ぐ言葉を聞こうとする。
「ぼ、ぼく……じゅ、重度、の、コ、コミュ、障、な、なん、です……」
「コミュ障?それって、誰かと話したり、触れ合ったりすることができないって言うやつ?」
「そ、そう、です……」
「!え……じゃあリン、あの時あたい達に抱き着かれて気絶したのって…」
「…ぼ、ぼく…だ、誰、か、と、触れ合う、ことが、ほ、ほとんど、で、でき、なくて……」
「あ、あまり、べ、べったり、って、さ、され、ちゃう、と、す、すぐ、き、気を、う、失っ、ちゃう、ん、です……」
顔全体が真っ青になりながら、どうにか紡がれていくリンの言葉。
それを聞いて、ベリアもコティも、リンが自分達が獣人だから、と言う差別意識でこんな拒絶反応を見せているわけじゃない、と言うことは…
なんとなくだが、伝わってきた。
「じゃ、じゃあそれって、同じ人間相手でも、ってことか?」
「は、はい…」
「な、なんで?なんで旦那様みたいな、天使のように優しい子が、そんなことに…」
「そ、それじゃあワタシ達みたいに、旦那様にぎゅ~ってしたいって思っても、旦那様はそれですぐ気絶しちゃう、ってことだろ?そんなの、悲しすぎるよ!」
そんなリンの独白を聞いて、ベリアもコティも、ますますその目から涙が溢れてきてしまう。
リンのような、まさにこの世に顕現した天使と言っても過言ではない程の、誰にも優しい人間が、誰ともまともに触れ合えないなんて。
自分達のように、どれ程リンを思って触れ合おうと思っても、リンにとってはそれが苦痛にしかならないなんて。
そんな性質を背負ってしまっているリンのことを思うと、涙が溢れて止まらなくなってしまう。
(リン、かわいそうなのー…)
(リン、あたしたちずっとリンのそばにいるのー)
(リンのこと、ひとりぼっちになんてさせないのー)
(リンはぼくたちが、い~っぱいあいしてあげるのー)
そして、それはベリアとコティだけではなく…
リンにくっついて離れず、むしろもっとべったりと寄り添ってくるフレア達精霊娘も、同じように悲しさに涙が溢れてしまっている。
契約して魔力が同調していることもあり、リンにとってはもはや身体の一部とも言える自分達なら、どれだけ触れ合ってもそんな苦痛はないだろうと…
フレア達はこれから、何があってもリンを一人ぼっちになどさせず、何があってもリンのそばを離れないと、その心に誓う。
「旦那様…旦那様はワタシ達を救ってくれた恩人なだけじゃなくて…ワタシ達がこの先ずっと触れ合って、尽くしていきたい…愛すべき人なんだ!」
「そうだ!だから旦那様!あたい何があってもぜ~ったい旦那様を愛してるし…ぜ~ったいに旦那様を幸せにしたい!」
そして、それはベリアとコティも同じで…
リンのような、自ら生涯の伴侶になりたいと思える存在に出会えることなど、今後絶対にない、とさえ言いきれてしまう。
何より、そんな存在が人と触れ合うことを禁じられている、まさに呪いのような性質を抱えていることがあまりにも不憫であり、むしろ全身全霊で愛してあげたい存在とまで、なってしまっている。
「ぼ、ぼく……」
重度のコミュ障としての本能が、二人との触れ合いに恐怖を覚え、拒んでしまっているものの…
それでも、こんな自分にそこまで言ってくれるのが、とても嬉しくてたまらない。
「こ、こんな…ぼ、ぼく、に、そ、そんな、こと、言って、くれて……ぼ、ぼく…う、嬉しい、です…」
まだ真っ青になっているその顔に、ふんわりとした笑顔を浮かべて、その思いを言葉にするリン。
「!!(だ、旦那様…可愛い…)」
「!!(こ、こんなの…抱きしめて、って言ってるようなものじゃないか!)」
(リン、だいすきなのー!)
(リン、ぜ~ったいにはなれたくないのー!)
(リン、これからもず~っといっしょなのー!)
(リン、かわいすぎるのー!)
そんなリンの笑顔に、ベリア、コティ、フレア、アクア、ウインド、ソイルはその心をきゅんきゅんとさせられ、ますますリンのことが好きになってしまう。
特にベリアとコティは、もうリンを抱きしめたくてたまらなくなっているのだが…
それをしたが為にリンが先程のような拒絶反応を見せたことを思い出し、なんとかこらえている。
「そ…それ、より、も…」
「?旦那様?」
「ど、どうした?」
「こ、この、辺り、に、す、住んで、る、のって、ベ、ベリア、さん、と、コ、コティ、さん、だ、だけ、ですか?」
簡素な集落ではあるものの、家そのものはいくつかはあった。
ここにいる二人が、一人ずつ家を持っていたとしても、まだ他に共生している亜人がいるのでは。
そう思ったリンは、意を決して二人に聞いてみる。
「!そ、それは…」
「…旦那様、聞いてくれるか?」
「は、はい」
「!コティ、それは…」
「ベリア、もうここのことは旦那様は知っちゃったんだから、聞いてもらった方がいいよ。それに、旦那様なら今の状況をどうにかしてくれる…そんな気がするんだ」
「…そうだな…旦那様、実は――――」
リンからの問いかけに、ベリアは戸惑ってしまったものの…
コティはリンならばと、今の現状を話そうとする。
こんな自分達を、ただの女の子として扱ってくれて、積もり積もった汚れも傷も瞬く間に消し飛ばしてくれたリンなら、むしろこの状況をどうにかしてくれる。
コティの直感が、そう告げている。
そのコティを見て、ベリアもリンを信じようと、現状を話すことを決意。
筋道立てた説明が苦手なコティに代わり、ベリアが丁寧にリンに説明していく。
ベリアの話によると、この集落はかつて、魔の森の奥部…
スタトリンよりもさらに危険度の高い位置にあった村の、ほんのわずかな生き残りが細々と暮らしている集落だということ。
今回あった、未曽有の大氾濫ではなく、以前にあった氾濫の際に多くの魔物に村が襲われ、村に住んでいたほとんどの亜人がその命を落としてしまったこと。
かろうじて生き残った、自分達を含む数人程が、命からがら逃げ伸びた先にあったスタトリンを見つけ、そこに住まわせてもらおうとしたのだが…
そのスタトリンも氾濫による大きな傷を抱え、まさに復興の真っ只中であり…
その上、多くの魔物に襲われた直後と言うこともあり、亜人に対して悪しき感情を向け、討伐しようとさえしてきたこと。
ふらつく身体にどうにか鞭を打ち、どうにかこの集落の場所まで逃げ伸びた生き残り達は、人族がまずこないということもあり、ここに簡易的に家を建てて住み始めたこと。
しかし、先の氾濫で受けた傷が深かった者は、その後すぐに命を落としてしまい…
結局、今となっては自分達の他にはあと一人しかこの集落にはいないということ。
しかも、その一人も氾濫で受けた傷が悪化してしまい、どうにか命を取り留めてはいるものの、今となっては身体を起こすことすら叶わない状態になってしまっていること。
その一人の介護をしながら、二人で細々と生きてきたこと。
ベリアは、そこまでをリンに丁寧に伝えていった。
「……」
「だ、旦那様?…」
「ど、どうした、の?」
ベリアの説明を聞き終えたリンは、真剣な表情を浮かべ、黙って考え込む。
そんなリンを見て、ベリアもコティも何が何だか分からず戸惑ってしまう。
何か悪いことでも言ったのだろうかと、恐る恐る声をかけてみるも、当のリンは全く反応がなく、ただただ考え込んでいる。
「(…二人がかなり汚れや細かい傷が多かったのを見ても、その人もとてもじゃないけど奇麗にできてるとは思えない…それに、スタトリンでそんな風に追い払われたのなら…ましてやここでこんな風に暮らしているのなら、医者になんて見てもらえるはずもない…おまけに立つどころか身体を起こすこともできないってことは、傷は足や腰の方にもある、ってことなのかも…早く、早くその人を助けてあげないと!!)」
リンは、この集落に住む最後の一人について、ひたすら考えていた。
非常に高度な医療の技能と魔法を有しており、それを他の為に使うことを己の使命と感得しているリンが、その使命感を燃え上がらせながら明日をも知れない身体のまま、ただ死を待つだけのその人の状態を、二人の状態から推察。
どう考えても、良い状態とは言えない。
むしろ、今すぐにでも治療を開始しないと命が危ない。
一刻を争う状態だ。
リンは、傍から見ればほんのわずかな時間でそこまで考え、そう結論付けた。
「…ベリア、さん、コティ、さん…」
「!な、なんだ?」
「どうした?旦那様?」
真剣な表情そのままに、その沈黙を破って二人に声をかけるリン。
そのリンの声に、二人は驚きながらも反応を返す。
「…ぼ、ぼく、を、そ、その、人、の、ところ、に、つ、連れて、って、く、くだ、さい」
何が何でも、助ける。
死なせることなんて、できない。
そんな魂からの訴えに、リンは行動を開始しようとする。
そんなリンを見て、リンならば集落に住む最後の一人を救ってくれるかもしれない。
否、絶対に救ってくれる。
そんな確信じみた思いになれたベリアとコティは、すぐに表情を引き締め…
リンをその人のところへと、案内し始めるのであった。
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