第7話 不和の女神と契約を結んで現世に戻るお話
上位魔族であるリリスとの対峙に緊張しながらも、シンイチは剣を構える。しかし相手は空を飛んでいるのだ。これではこちらの攻撃が届かない。
一方、リリスはそんなシンイチの様子を面白そうに見つめていた。そして突然笑い出す。
「キャハハ! 喰らいなさい」
そう言うと、リリスはその手に魔力を込めた。すると彼女の周囲に紫色に輝く魔法陣が出現する。
「なるほど、召喚術か……」
宰相がその様子を見て呟いた。魔法陣からは次々に魔物が現れる。リリスは召喚術によって多くの魔物を呼び出したのだ。リリスが呼び出せるのはあくまで下級レベルのものらしい。しかしそれでも数十体にも及ぶ数の魔物達を前に、王国の者達は動揺していた。
「くっ……なんて数なんだ。こんなの勝てるわけがない……」
一人の貴族が震える声で言った。だが、その言葉は今のシンイチには届かない。彼は今まさに、剣聖の剣を会得し極限の集中状態、無我の境地にいるのだから。
「凄い! 力が湧き上がってくる!!」
シンイチは突然高笑いをし始めると、そのまま両手を広げて天を見上げた。そして次の瞬間、彼の身体から白いオーラのようなものが現れる。
「なっ!?」
その様子に周囲の人々は絶句する。先程までとは比べ物にならない程の圧倒的な力を感じ取ったからだ。シンイチはリリスに向けて告げる。
「さあ始めようか? 僕とお前のどちらが強いのか……死力を尽くして来い!」
シンイチは辺りを見回す。先程リリスが召喚した魔物たち見て、シンイチはため息を吐く。
「邪魔だなぁ……。【消えろ】」
シンイチがそう呟いた瞬間に、魔物たちが瞬く間に塵となって消えた。リリスがそれを見て狼狽える。
「今、何を?」
「簡単だよ。言葉に魔力を載せただけさ」
「魔力だと? 見たところ、お前の魔力は中級魔法を一発打てるかどうかではないか? どうやった?」
「そんなことより、戦おうよ」
シンイチはリリスに向かって駆け出し、そして一閃、切り込む。
「ぐぅ!」
なんとかシンイチの一刀を自身の爪で受け止めたリリスだったが、そのあまりの力に吹き飛ばされてしまう。
「なんという膂力……。いや、見たところ筋力は然程ない。では、卓越した技術か……」
リリスはシンイチを分析し始めた。
それからも戦闘は続く。リリスはなんとか応戦するも、軍配はシンイチに上がろうとしていた。
「リリス。何を手こずっているの? さっさとその者を殺しなさい」
「はい、エリス様!」
女神エリスが不快そうに告げる。リリスはエリスの命令に返事をして、今度はリリスからシンイチの元へと向かった。
「悪いわね。私も本気を出すわ」
リリスの体が禍々しい黒いオーラーで包まれていく。そして次の瞬間、リリスの姿が消えてシンイチの前に現れると、そのまま彼の首を掴み持ち上げた。
「シンイチ様!」
エリスに操られた近衛騎士たちと戦っていたエルがシンイチを見て悲痛な声を上げる。だが、シンイチは抵抗などしていなかった。
「どうした、シンイチとやら。このままでは死ぬぞ?」
依然として、シンイチは、反応を見せない。だが、次の瞬間リリスはシンイチを放し、距離を取った。動揺するリリスは肩で息をしながらシンイチに訊く。
「何をした?」
「わからないか? 魔力がないのなら、ある者から借りればいい。元々お前とは戦うつもりなどなかったのだ」
「あさか、ドレインか?」
「あぁ。リリス、我に従え!」
シンイチが手をかざした。リリスの体が光で包まれていく。白い光だった。浄化されるような眩さの中で、リリスは自身が犯した罪が忽ちに赦されていくのを感じた。
「お父様、お母様……。私の罪は赦されたのですね……」
リリスは涙した。忌み子として生を受けたリリスを、それでも最期まで庇った両親。だが、目の前で親を殺され、次は自分の番となったリリスに救いの手を差し伸ばしたのは先の魔王であった。
魔王の手を取るしか生きる選択肢のなかったリリスは魔族に寝返るしかなかった。そして、それからは魔族がリリスの居場所だった。だが、魔王が代替わりしてからは、リリスの居場所はなくなりつつあった。
リリスは今、シンイチという新たな居場所を得たのだった。
「リリス。一緒に戦ってくれるか?」
「はい、主様」
その一部始終を女神エリスは心底不快そうに見ていた。
「それがヘラが与えた能力ねぇ。今日のところはこれくらいでいいかしら」
「待てよ」
シンイチは去ろうとする女神エリスに肉薄する。神を殺すには、神級魔法の上、虚空魔法を使う必要がある。シンイチには、馬車で移動している間に考えていた策があった。
シンイチはエリスに手をかざした。
「我に従え、だったかしら。私には効かないわよ?」
「知ってますよ。ただ、試したいことがあって」
シンイチの体が紫紺の光で包まれていく。魔力の中で最も高い次元の色である紫。それが示すものは一つしかない。
「虚空魔法……。あなた、まさか? でも、そんな魔力をどこから!?」
「全ての過去、未来の英霊たちから魔力を借りました。あなたにはここで滅んでもらいます」
今まで余裕振っていたエリスも流石に動揺していた。
「あなたそれでいいのかしら? 私の存在を消すために虚空魔法を使っても?」
「どういうことですか?」
「あなたの幸せの話をしているのよ。あなたは本当は元の世界に帰りたいのではなくて?」
「それはそうですが……」
「なら、その虚空魔法を私を殺すことじゃなくて、元の世界に帰るために使えばいいのではないかしら? そうすればこの世界のことはあなたとは関係がなくなるわ」
エリスの言うことはたしかに納得がいく。だが、シンイチは反論した。
「ですが、ここはミューが生まれ、育ってきた世界です。僕がミューとともに元の世界に戻ったとして、不和の女神であるあなたがこの世界で何をするかなんて分かりません」
「その点に関しては、一ついいことを思いついたわ。もしあなたが元の世界に、そうねぇ、ミュー・クリスタルとそこの火を吹く娘、そしてリリスの三人を同伴させるのなら、私はこの世界に干渉することをやめると誓うわ」
「その話を僕に信じれと?」
「そうなるわ。なら、契約を結びましょう」
エリスはシンイチと契約魔法を結んだ。内容は先のエリスの発言だ。
「契約成立よ。もし破ったら、私は神をやめることになる。いいわね? さぁ、その虚空魔法で元の世界に帰りなさい」
「仕方ないです。信じてみますよ。エル! ミューをこちらに連れてきてくれないか?」
「は、はい! ご主人様!」
ちょうどエリスの毒牙にかかった近衛騎士たちとの戦闘を終えたエルがシンイチの言葉に頷き、そして玉座の近くに控えていたミューの元に向かうと、掻っ攫うようにシンイチの元まで連れて行った。
今、紫紺の光に包まれるシンイチの周りにはエルとミュー、そしてリリスが、まるでシンイチがこの世界に来たときに三美神がそうしたように囲んでいる。心なしか、彼女たちから良い香りがした。女性らしい甘い香りだ。
「じゃあ、いってらっしゃーい」
エリスがシンイチたちに手を振っている。
「あぁ。お前が何を企んでいるかは分からないけど、まぁ、行ってくるよ」
シンイチたちはまたしても光に包まれていく。光の中に消えゆく四人を見送りながら不和の女神エリスは呟く。
「日本って、一夫一婦制なのよね」
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