第36話 二人と一人の帰り道

 藤宮と桐嶋がこの後彼女の家で勉強することを決めて教室を出たところ、彼らをずっと待っていてくれた人がいた。


「宏人君、文香。遅かったね」

「うん、ちょっとね……」


 もちろん待っていてくれたのは西条。この日のテストはすでに終わっていたので、藤宮と桐嶋が立ち話をしている間にほとんどの生徒がもう下校していた。廊下には西条以外は誰もいないという状況だったが、彼女は文句一つ言わずに話しかけてくれる。


「ごめんな、遅くなって。待ってくれているとは思わなくて」

「いいよ、私が待っていたかっただけだから」


 何ら気を悪くしたそぶりも見せず、西条は笑顔で彼を許した。いつものように彼女の優しさに甘えて会話を続ける。


「じゃあ帰ろ?」


 二人きりの帰路は急遽三人に変更されたが、特に気にとめることもなく彼は西条の後をついて行った。








 思えば三人でいっしょに帰るのは久しぶりだ。ここ最近は桐嶋と勉強会をしていたので、桐嶋と帰ることが多かった。そして、いつの間にか彼女との帰り道が勉強漬けの彼にとって楽しみの一つになっていた。普段はクールな表情をしていることが多いが、彼との帰り道ではいろいろな表情を見せてくれる。少しずつうちとけられている気がして嬉しかったし、普段は見られない表情を自分だけが見ることが出来るというのは一種の独占欲をあおった。


 もちろん西条と一緒にいるのも楽しい。もともと話すのが得意ではない藤宮のことを知ってか、西条はいつも話を振ってくれるので彼の負担はかなり減る。それに彼女は何だかいつでも楽しそうで、そんな彼女を見ると彼まで楽しい気分になる。


「そういえば、テストはどうだったの?」


 テストが終わった後の帰り道なので、やはり今日はテストが話題に上がった。西条は答えを促すように二人の顔を交互に眺める。


「私はけっこうできたよ」

「まぁそうだよね、文香はさすがだね~」

「別にそんなことはないけど……ありがとう」


 西条も桐嶋の出来がよかったことは想定済みという反応だ。彼女の視線は彼に移される。先ほどまでは悲壮感に溢れていた藤宮だったが、桐嶋のおかげで少しは心が晴れてきたので割と気楽に口を開く。


「あんまり出来なかったよ、世界史が酷くて。それ以外ならちょっとはマシだと思うんだけどなぁ~」

「……落ち込んじゃダメだよ、切り替えてね。テストはまだ終わってないから、ここで諦めたら今までの努力が水の泡になっちゃう」

「……うん、ありがとう。おかげで頑張れそう」


 西条はいつも優しい言葉をかけてくれる。傷ついてフラついてしまった自分の手を取って前に引っ張ってくれるのが桐嶋だとしたら、西条はふらついた自分を抱きしめ、いやしてくれる。二人は自分にはもったいないほどの存在だ、改めて彼はそう感じた。


「そういえば、綾乃はいつもどれくらい点数取れてるの?」

「う~ん、平均かな。けっこう勉強してようやく平均だから、あまり役に立てなくてごめんね」

「いや、そんなことないよ。綾乃はいつも優しいからそれだけで十分だ」

「嬉しいこと言ってくれるねぇ~。宏人君、女の子をのせるのがうまいなぁ」

「いや、そんなことないって」

「ご謙遜を~」


 話の流れで西条と軽口をたたき合っていると、桐嶋の家の近くにまでやって来た。最近彼女と帰っているとき、よくここで別れたので覚えている。だが今日は彼も桐嶋と同じ方向だ。


「じゃあ私はこっちだから」

「うん。文香、また明日」

「綾乃、またね。……それと藤宮君もこっち用事があったって言ってたよね?」

「え……ああ、そうだった」


 どうやら桐嶋はこの後の勉強会のことは隠したいらしく、さりげなく誘ってくる。確かに放課後に二人で桐嶋の家で勉強していると知られたら、あらぬ誤解を招きそうだ。だが、それなら西条にあらかじめ伝えておくか、または彼女も誘うかすれば解決しそうなものだが桐嶋はその方法はとらなかった。


「そうなの、宏人君?」

「うん、今日はこっちに用事があるから先に帰っていいよ」

「……わかった、じゃあ二人ともまたね」

「うん、バイバイ綾乃」


 理由は分からないが彼女がそれを望んだのなら従っておいたほうがいい。女子には女子の掟があるのだろう、たぶん。彼は正しさと危うさの孕んだ選択を取ることにした。しかしこの場合、どれを選んでもそうなってしまうが。


 西条に別れを告げて、藤宮は桐嶋の後に続いて彼女の家に向かう。初めて来た道だからだろうか、かすかにワクワクと緊張が生じた。二人はどこにでもあるような住宅街の中を進んでいく。ありふれた景色も今の彼にとっては特別だった。


 時々言葉が交わされるが、基本的に静かな道を歩む。横を歩く桐嶋の顔を見ると、やや緊張しているように見える。やはり異性を家に上げるのはそれなりに緊張するのだろう。表情がかたい。


(やっぱり緊張してるんだな、よかったぁ~)


 意識しているのが自分だけということはなさそうだ。もしそうならあまりにもかっこ悪い。やがて彼女は一見して見分けがつかない住宅街にある、ごく普通の白い家に向かっていく。


「あの……ここが私の家。今日は親は二人とも仕事で出かけてるから、変に意識せずにいつも通りでいい」


 彼女は平然とそう言うが、親がいないクラスメイトの女子の家。間違いが起こってしまっても仕方がないと言ったら怒られるかも知れないが、実際そういう状況なのは間違いない。


(ダメだダメだ、勉強するために誘ってくれたんだ。信頼してくれているんだから裏切っちゃいけない!)


 理性を働かせて混乱する頭を整理していく。そう、勉強をしに来ているわけだ。お家デートをしに来たわけではない、このことを肝に銘じて彼は彼女の家の扉に手をかけた。


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