第34話
目の前にある大きな窓から、外の様子がよく見える。きっと向こうからもこちらが見えていることだろう。老若男女、小学生に上がる前後の子どもの姿も後ろの方に見える。その子はガラス越しに僕らをじっと見つめていた。
隣接する小学校の方から、別の怒鳴り声が聞こえてきた。徐々に近づいて来る。このまま区役所の前で衝突されると、少々面倒臭い。
「今のうちに、強引に出よう」
「ここでやり過ごした方がいいんじゃないか?」
「いや、さっさと出て離れよう」
駿はまだ涼んでいたいのか、渋々といった様子で、床に下ろしていた荷物を背負い始めた。少しでも早く動けるよう、手荷物やバックパックの装備を手伝った。ようやく全員の準備が整ったタイミングで、別団体の先頭が通りの角を曲がる。彼らは、最後尾にいた女の子の向こう、「機械反対」の旗を睨みつけていた。
両団体による一波乱まで、もう間もなく。秒読み段階というのに、彼らが対峙している北港通へ出ていく以外の出入り口がない。
幸か不幸か、鉢合わせした両団体は一触即発の雰囲気は醸しながらも、口火を切る様子はない。何食わぬ顔で出て行っても、案外何とかなるかも知れない。たまたま出て行くところだったおじさんの後に付き、思い切って外へ出てみる。
両サイドから険しい視線を浴びながら、彼らの間を縫って元の工程に復帰しようとすると、後ろの方でさっきの女の子と、機械支持派側の小学生ぐらいの男の子が、突き飛ばされたように尻餅をついた。
「おい」
反対派の団体から、僕らに声がかかった。ほぼ同時に、支持派の団体からも「ぶつかっておいて、ダンマリか」と野次が飛んできた。僕は後ろにいた駿、桂花さんの方を見て、思い当たる節がないか、目で尋ねた。二人とも、首を傾げながらも、それぞれ目の前にいた女の子や男の子に「大丈夫?」と手を差し出した。
僕は二人とも立ち上がるのを確かめ、目の前で道を塞ぐ二人に「すみません、先を急ぐので」と何度も頭を下げながら、我ながら随分卑屈だなと思う顔と声で頼み込んだ。
「謝れよ」
「そうだ、謝れ」
僕の言い方が癇に障ったらしく、両サイドから僕に「謝れ」の声が浴びせられる。本人にはきちんと謝ったじゃないかと思いながら、そこでへこへこ頭を下げていると、今度は背後で悲鳴が上がった。
鈍い打撃音が二つ聞こえ、ゆっくりそちらを振り返ると、さっきまで少年少女の相手をしていた駿、桂花さんの手が、血塗れの警棒を握りしめていた。無惨な死体となった二人の周りに、小さな人の輪が作られた。
駿は警棒に付着した体液を、その場で軽く振って払いながら、「行くぞ」と僕に耳打ちした。桂花さんは「ごめんね」と遺体に向かって小さく言いながらも、僕の肩を軽く叩いて駿に続いた。
「ひ、人殺しだ」
両団体から、僕らに向けて非難が飛ぶ。捉えようとする手を掻い潜りながら、変わりかけていた目の前の信号を走って渡る。車道の車が動き出し、向こうにいる彼らは叫びはするものの、追っては来れない。ただ、目の前には、消防署と警察署とが並んでいた。
駿は警察署の看板を見上げ、冗談めいた口調で「出頭するか?」と言った。
「例の実験体だと判断して、的確に処理したつもりだったが間違いだったかな」
駿にそう言われて現場を振り返っても、ここからでは具体的なことは何も分からない。「他の人に襲い掛かりそうだったから、私もつい強めに」
桂花さんはまだ興奮した様子で、息を整えながら言った。彼らの言葉を検証する術はないが、二人がそういうのなら間違いないのだろう。一見、普通の子供に見えたのに、そんなところにも彼のトラップが仕掛けられているとなると、本当に油断ならない。
片側三車線と中央分離帯を挟んだ向こうでは、まだ僕らのことを「人殺し」や「捕まえて」だの叫んでいる。それをジッと聞いていたのか、警察署の入り口に立っていた警官がこちらに近付いて来た。
「アレは、本当かな?」
駿は、声をかけてきた人の顔をジッと見る。僕も彼のことをよくよく観察すると、どうも肌の色が少し変な気がする。おまけに、両目の眼球に虹彩がない。
「マズい、離れろ」
駿はしまったばかりの警棒に手をかけ、僕の襟元を掴んだ。目の前の男が腰に手を回したタイミングで、僕の身体ごと後ろに引っ張る。僕は腰の銃を引き抜いてセーフティを外し、狙いを定めて眉間を撃ち抜いた。銃声が辺りに響き渡る。
近くを通りかかった自転車に乗っていた女性が、大きな叫び声を上げ、信号待ちをしていたスーツ姿の男性も、こちらを振り返りながら後退りする。
駿は銃を構えたままの僕を見て、「お前も同罪だな」と笑った。
「さ、行くぞ」
彼は僕の肩を軽く叩いて、早々に目の前の道を走り始めた。桂花さんもそれに続く。僕は自分が殺した人物に後ろ髪を引かれながらも、銃を握りしめたまま二人の背中を追いかけた。
信号が変わると、向こうで足踏みしていた人たちが追いかけてくる。できるだけ跡を追われないよう、目に付く角をどんどん曲がる。必死に足を動かして、先頭にいる駿との距離を詰める。
「なあ、どんどん戻ってないか?」
先を行く彼の直感に従って、乱雑に走り続けている。法則性が読めない分、撹乱の効果は期待できそうだが、せっかく慎重に迂回してきた野田駅の前を通り抜け、徐々に中央市場の方へ近付いているような気がする。
「もしかして」
「その通り。分かってるなら、黙って走れ」
僕は、息が上がってしゃべりにくいのを我慢しながら声を出したのに、駿はピシャリと会話を打ち切った。だんだん走る速度が上がっていく。桂花さんはそれに難なく付いていくが、僕は既に限界スレスレ。さっきの水分補給や昼食が仇になったのか、吐き気も催してきた。
騒動の現場から大分離れたように思うが、まだ追跡は続いているらしい。駿の意見に素直に賛同しにくいが、一旦どこかへ身を潜めてやり過ごした方が良さそうだ。そうするためには、できるだけ広く、隠れやすそうな場所が良い。この辺りで、その第一候補となるのは、コンビニの向こうに見えている巨大施設。走って入るには向いてなさそうな、車用の出入り口から敷地内に入った。
中での騒動は大分沈静化した様子だが、日常の業務レベルには戻っていないらしい。人通りも、業務用ロボットの行き来もあまりない。中で誰かが話す音は聞こえるが、作業音はそこまで賑やかではない。
走るのを辞め、平静を装って普通に構内へ入る。このまま何でもなかったように市場へ入って、適当にタイミングを見て外へ出よう。状況が悪化するようなら、一旦本部へ連絡を入れたっていい。
「必死に大回りしたのに、戻って来ちゃったな」
僕と桂花さんが息を整える間、駿はケロッとした顔で言った。そのまま、周囲の様子を探っている。沈静化が上手く行っているらしく、朝のような雰囲気も特にない。その代わり、ここで部外者丸出しで息を潜めている姿は浮いている。
場内警備のロボットに発見、通報される前に、一般の人もいそうなエリアへ移動したい。不審がられずに移動できれば最高だけど、周囲の視線を鑑みるに、それは難しい気もする。
人気が少ない場所で立ち止まり、周りの様子を入念に確かめてからインカムで本部を呼び出してみる。しばらく待つと、米利刑事の声が聞こえて来た。
「どうした?」
「福島区役所の近くで、ちょっとやらかしちゃって」
「ああ、例の件ね。こっちにも情報は届いてる」
警察署の目の前の出来事なだけに、流石に情報の流れは早いらしい。米利刑事は冷静に「それで?」と続きを促した。
「現場の事後処理と、市民団体への対処をお願いしたくて」
米利刑事は時々相槌を入れながら、「なるほど」と挟み、「ふむ」と考えるような声を漏らした。一瞬彼の声が遠くなり、「どうだ、行けそうか」と向こうのやり取りが微かに聞こえる。しばらく待っていると、「待たせたな」と米利刑事の声が大きくなった。
「頼まれた件は、こっちで何とかする」
「よろしくお願いします」
「で、そっちの状況はどうだ?」
米利刑事の言葉に、素直には答えづらい。駿が横から割って入り、「まだ中央市場だ」と伝えた。それが聞こえたはずの米利刑事は、しばらく何も言ってこない。
「なんか、余計な時間を使っててすみません」
沈黙の時間がいたたまれず、つい謝ってしまった。それに対して米利刑事は優しい口調で、「何の問題もない。気にするな」と返してくれた。
「ただ、そっちの沈静化は完了してなくてな。長いやり取りは危険かもしれん」
米利刑事の言葉に、すっかり緩めていた緊張感を締め直す。駿と桂花さんにも、周囲の警戒を強化するようお願いした。僕も周りを気にしながら、米利刑事とのやり取りに戻った。
視覚的にも聴覚的にも、特に目立つ異常はなさそうに思える。場内の監視カメラにばっちり取られているが、人やロボットの死角にはなっている。
「引き続き、健闘を祈る」
米利刑事は、そこでサッと通信を切った。これからどちらへ進むべきか相談したり、周辺状況の確認なんかも、まだまだ聞き出したかったのに。
足元を警戒していた桂花さんが、一瞬ビクッとした。僕も一緒に驚いてそちらに視線をやるが、物陰から出て来たのは場内を行き交うお掃除ロボット。二人でホッと一息ついていると、駿は口の前で人差し指を立て、静かにしろと合図した。
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