第19話

「元気そうじゃないか。無事なら何よりだ」

 電話口の米利刑事も、声の様子からすると調子はそれなりのようだった。結局、入浴や夕食でバタバタしてしまい、連絡がついたのは午後八時を過ぎていた。流石に帰宅していたらしく、警察の内部で電話を取り次いでもらって今に至る。

「ご両親への連絡は、友達の分も合わせて、署の方からしておいてもらった。なんとか誤魔化してあるから、気にするな」

 僕は、向こうのテーブルでトランプ遊びに興じている駿の方に視線をやった。江辺野さんと二人で楽しそうにはしゃいでいる。僕は視線を逸らして、ひとまず「ありがとうございます」と伝えた。

「真境名のことはすまなかった。そっちへ行ったらしいな。何事もなくて良かったよ」

「その後の足取りは?」

「ものの見事に撒かれて、今も追跡中だ。奴が盗んだ衣類も、先ほどクリーニングされて手元に戻ったらしいから、クリーニング店を当たればもしやとは思うが」

「ジャミングを使えるとなると、無理ですよね」

 さっきより気落ちした声で、「まあな」と相槌が返ってきた。チャルカ教関係者の衣類が盗難に遭い、その日のうちに証拠も一緒にクリーニングされている。でも、ジャミングが使えるのなら、最初からそんなことをする必要もない。僕はその疑問をそのまま、米利刑事にぶつけてみた。

「単純な話で、有効時間、持続時間が短いんだよ。使いやすい場所も極めて限定的だ。どこでも使えるシロモノじゃない」

「逆に言えば、どこで使えば有効なのか。使いどころがよく分かっている?」

「そういうことだな。この街の特性を、隅々まで熟知している可能性もある」

 道に詳しいとかいうレベルとは格が違う、土地鑑があるのだろう。例のマークも含め、街中に散らばったものを上手く活用し過ぎな気もする。

「真境名が、ザ・シティの関係者という線はないですか? チャルカ教か、ザ・シティに恨みを持つ者の犯行、とか」

「現時点で、否定もできんが、肯定もできんな。行動の背景も意図も、奴の素性すら、まだ何も掴めていない」

 警察の捜査に圧力をかけて中断させるほどの力を持つ秘密の組織、ザ・シティ。秘匿されているはずの技術、装置の活用も含め、『街』の使い方も上手すぎる気はする。全くもって無関係な人物に、そこまでのことができるとはとても思えない。

 ただ、こっち方面に表立った捜査ができない彼からすると、裏取りのしようもない情報には、白とも黒とも判断つかない、もしくはつけないのが最良の選択肢だというのも、よく分かる。

「ちなみにその後、街の様子はどうですか?」

「割と落ち着いてるよ。過激なのは極一部。大半は、難しいことを考えることもなく、日々の生活を営んでる。そうそう、交番に連れて行かれた君らの同級生だが、今日のところは厳重注意のみで、お咎めなし。今頃、無事にお家でお勉強中じゃないか?」

 稲荷さんと、テッちゃんのことか。何にもないなら、何よりだ。

 米利刑事は少し間を置き、「ただな」と声の調子を落として言った。

「二人とも、極めて微量の妙な薬物が検出されている。カフェインのような興奮作用と、葉っぱを吸った時のような高揚感をもたらす、モロに合法のドラッグらしい。噂話を聞いたことは?」

「ないですよ、もちろん」

 あの二人、特に小さな頃から知っているテッちゃんに、薬物依存の話なんて聞いたことがない。学校教育での啓蒙にも真面目に取り組んでいる奴だ。誘われたって、そんなものに走るとはとても思えない。

 不良連中との接触も、なかったように思う。

「尻尾を掴めない妙な薬物が蔓延したら、小競り合いや喧嘩も、止めようがなくなるかもしれん」

「いつ何が起きてもおかしくないってことですか」

「そういうことだな」

 それを撒いたのが誰かは分からない。軽い興奮と高揚感が何を引き起こすかも、全く予想がつかない。決め手に欠ける分、かえって厄介な状況になりつつあるのかも。チャルカ教の狙いも、ザ・シティの思惑も、真境名の目的も、ますます見えなくなっている。

 僕の困惑をよそに、米利刑事は「じゃあ、またな」と爽やかに電話を切った。会話を続ける気力もなくなりつつあったが、急に会話を切られてしまうと、心の支えまで失ってしまった気になる。なんとか有線の受話器を戻し、通話ブースから離れた。

 二人ではだんだん遊びの幅がなくなって来たのか、駿も江辺野さんも、さっきより元気がなさそうに見える。

「なんで二人が疲れてんのさ」

 僕は駿の隣に空いていた椅子に腰を下ろした。彼は僕が加わったというのに、散らかったトランプを箱にしまい始める。

「田舎の古い温泉宿みたいなアナログな娯楽しかないから、遊ぶのも一苦労だよ」

「オセロも将棋も、全然勝負にならなかったもんね」

 駿の向かいに座っていた江辺野さんは、作務衣みたいな館内着の乱れを整えた。浴衣とはまた違う、ドキドキ感がある。一見隙のない感じに、かえって想像力をくすぐられる。

「修学旅行じゃ見れないもんな。しっかり見とけ」

 駿は僕の顔を見ながら言うと、立ち上がってどこかへ向かう。慌てて取り繕いながら、僕がどこに行くのか尋ねたら、トランプを元の場所へ戻してからトイレに立ち寄るのだとか。遠ざかる駿の背中から視線を戻すと、江辺野さんにジッと観察されているのに気がついた。

「やっぱりちょっと、ヒョロいよね。もうちょっと鍛えようとか、思わないの?」

 テーブル越しに、彼女の手が伸びて来た。僕の肩から上腕にかけて、服の上から半分揉まれるような手つきで触られる。僕の抗議も意に介さず、今度はその手で、自分の腕周りを確かめた。

「私の方が太いかなぁ。ほら」

 彼女は、僕にも触れと言わんばかりに右腕を差し出した。

 今はまだ大浴場にいるとは言え、彼女のお父さんも近くにいる。彼女はジリジリと無言の圧を高めるが、迂闊なことはできない。しばらくすると、駿が戻ってくるのが見えた。彼女は、「つまんないの」と少し膨れっ面になりながら、腕を引っ込める。少しだけ不服そうな表情は、すぐに改められたが、僕の方は見てくれない。身体ごと、明後日の方へ向けられた。

「あっちの方に、家庭用レトロゲーム機のコーナーもあったぞ」

 駿はこちらの空気を気にすることなく、僕に「行こうぜ」と誘いをかけた。

「お前も行こうよ」

「お前って言い方は、どうかなぁ。江辺野桂花って名前があるんだし」

 駿はゆっくり後ろを振り返った。お父さん、江辺野空湖さんが2回目のお風呂を終え、僕らの元へ戻って来たらしい。

「運動部で勢いのある男子が、女子のことをそう呼びたくなるのも分かるし、私の同級生にもいたけどさ。親としては気分良くないよ」

「あ、ごめんなさい。すみませんでした」

 駿は、空湖さんと桂花さんに深々と頭を下げ、しっかり謝った。空湖さんは、「いいよ、いいよ」と言いながら、近くの給水機で小さなカップに水を取り、桂花さんの隣の席へ座った。ゆっくりと、入浴後の水分補給をしている。

「別のそこまで怒ってるわけじゃないから。礼儀の問題というよりは、ただ単に、私の気分の問題だし」

 空湖さんの言葉に、駿はゆっくり頭を上げた。空湖さんは笑顔を浮かべ、「気にしないで」と駿を労いながら、カップに残った水を飲み干した。

「さて、寝るにはまだちょっと早いけど、どうする?」

「どうするって言われても、他の選択肢は」

「特にない。あ、トレーニングルームはあるよ」

 彼は駿に、トレーニングルームの方を指差した。大浴場とトレーニングルームは、夜は23時まで、朝は6時には開いているらしい。汗をかいても風呂に入れるのは、ちょっと嬉しい。

 駿は、「ウエイトは今別に」と言いながらも、運動不足を気にしているようだった。本当は、キャッチボールやバッティングとかをやりたいのだろう。

「球技とか、バットは残念ながら」

 空湖さんは、両手で大きなバッテンを作った。凶器になり得るものは極力置かないようにしているのだろう。さっきのトランプも、紙でできていた。筆記具、ペンにも全部、頑丈な紐がついている。

「SNSもインターネットもテレビもないけど、寝るか」

 駿の一言に、僕は渋々頷いた。

 修学旅行のデモンストレーションと思って、早めに寝よう。同室になった彼のいびきに耐えられるか、それが最新かつ最大の懸念となった。

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