第9話

 下校途中に何者かに尾行されていると思ったら、自宅の近くまで来たところで、ラフな格好の米利刑事が「よう」と片手を挙げた。昔から駅前にあるスーパー銭湯の割引チケットの期限が二十日までらしく、行けそうなのは今日だけらしい。

 同僚なり友達なりを誘えばいいのに、知り合ったばかりの高校生を誘うとは。彼の誘いを受け、スーパー銭湯に行ってくると告げて家を出てきた。その結果、人がそこまで多くない平日の夕方から全裸になって、オジサンと並んで大きな風呂に入っている。

「お互い、手持ちのカードを使い切っちゃったな」

 僕が湯船に入るなり、彼は本題を切り出した。最も、慰めや労いを言いに来た雰囲気でもない。「いやぁ、参った参った」と朗らかに笑みを浮かべる。

「誤解のないように言っておくが、俺に衆道の趣味はないし、未成年に不埒なことを働く輩ではない。残念な同業者もたまにいるけどな」

 米利刑事は、歯を見せてニッと笑う。そのわざとらしい笑顔は、逆効果に思う。

 真っ白でモヤシみたいなひょろ長い身体に、化粧ノリも悪そうで美形とは程遠い顔の僕に、わざわざ白羽の矢を立てる物好きも少ないか。ただし、彼の引き締まった隙のない身体で押さえつけられたら、抵抗は難しい気もする。風呂に浸かっているのに、無警戒にリラックスすることもできないとは。

「まあ、いいや。その調子で聞いてもらおう」

 彼は小さくため息をついてから、真面目な表情を作った。

「持ってる情報も、ぶち当たってる壁も、ほとんど一緒だ」

 真境名に振り回されてやっと入手した情報、把握した状況は、彼らが握っているものと大差ないとは。さすがは公的機関と言うべきか、たかが高校生の能力を過大評価しすぎと言うべきか。自己評価は高くない認識だったけど、人並みに自惚れていたのか。

 米利刑事は身体の向きを変え、露天風呂がある方、大きな窓の外を向いた。空模様がだいぶ怪しくなっている。彼は「梅雨だもんなぁ」と独りごちる。

「で、アイツはここへ来る前に、北海道にいたという足取りだけは分かった」

 米利刑事は顔だけこちらに向け、「ただし」と付け加えた。

「身分証が本物で、マキナダイゴ本人だった場合、だ。あの外見なら、容姿も顔も本物かどうかは分からない」

 両腕も義手、目は両方とも義眼。指紋も虹彩も本人確認に使えない。外科的処置を施しただけのネフィリムなら、僕らみたいな識別番号もない。米利刑事の言い方なら、身分証が偽造されたものかどうかも、確証を持てないのだろう。

 新しい情報提供はそれまでで、サウナにも誘われたけど、僕らに対応していないタイプだったから、諦めた。早々に切り上げ、服を着て銭湯を出た。外は既に雨が降っていた。

 折り畳みの傘も持っていなかった米利刑事は、風呂に入ったばかりだと言うのに、「じゃ、またな」と雨の中を突っ切り、駅まで走っていった。僕は念の為に持ってきていた傘を取り出し、雨の中、駅とは反対方向に歩き出す。真っ直ぐ帰っても、夕飯にはまだ早い。ここ数日のモヤモヤを何とかするためにも、ちょっとだけ寄り道しよう。


 海の方へ向かって十分ほど歩くと、ハチ公タワーの麓に広がる海浜公園に出る。公園と言っても、だだっ広い遊歩道として整備されているだけ。海を眺めながら歩く分にはオススメらしい。

 流石に雨が降っていると、人通りは少ない。手すりの向こうに広がる灰色の空と海とをボーッと眺めながら、モヤモヤが少しでも減れば良いんだけど……。

 海上を走るフェリーや貨物船は、もっと南の方へ行く。遠くに見える船は、神戸や九州にでも行くのだろうか。少なくとも、この辺りに大小含めて船舶が接岸する場所、乗り降りする場所はなさそうに見える。さっきまでいた駅も、タワーが立ってから開業したらしい。

 真下から見上げても先端が見えないハチ公タワー。東京のハチ公像との関係はイマイチ分からない。飛行機の航路もなさそうなのに、誘導灯っぽい灯りが向こうの方で点滅している。

 口を開けて上空を見上げていると、下の方から金属音が聞こえて来た。慌てて口を閉じ、音のする方を見る。ハチ公タワーの中から、作業着を着た男性が二人出てきた。一人はヘルメットを外しながら、どこかへ歩いていく。その場に残ったもう一人は、今出て来たドアの方を向いている。しばらくすると、指を差して何かを確認していた。

 大都エンジニアリング(株)と車体に書かれたバンが入って来た。作業着の男性は、ハーネスを外しながら後部ドアを開け、肩に担いでいたケーブルと共に、荷物を車の中へ放り込んだ。後部ドアを閉め、小走りで助手席に乗り込んだ。

 大都エンジニアリングの社用車にも、例のマークと若干意匠違いのものが付いている。作業員二名を乗せたバンは、周囲にしっかり気を配りながら、すぐ脇を走る大通りへ出て行った。無駄のない動きで、スムーズに遠ざかっていく。

 車の行く先をぼんやりと眺めながら、ハチ公タワーの本体に近付いた。彼らが出て来たところへ近付いてみると、点検用っぽいドアがついていた。ダメ元で手をかけ、軽く引いてみる。しっかり施錠されていて、びくともしない。

 雨粒がついた黒い壁に手を置く。ひんやりと冷たい。ドアをノックするように軽く叩いてみると、耳馴染みのある金属音が返ってくる。そこまで特殊な鋼材、構造でもないらしい。人が中に入れて当然だけど、これのメンテナンスにも例のマークが関わっている。

 公園の運営やタワーの管理自体は、万博関係の会社か府や市の管轄だと思っていたけど、下請けや孫請けに『塔』が関与している?

 例のスポーツメーカーも、ラムネの製造元も、決して大手ではない。ただ、着実にどこかへ関与している。目立つことなく、ひっそりと。掴みどころの無さ、正体不明さだけが増していく。

 真境名も、『塔』も分からない。オレは何と向き合わされている?

 モヤモヤを少しでも吐き出す、吹き飛ばすために海浜公園まで来たのに、悩みも迷いも増えてしまった。ここまで思惑が外れて、雨脚も徐々に強まってくるとなれば、長居は無用。公園近くの売店で売っていた鯛焼きを一つ買い、暖をとりながら帰路に着いた。


「ハチ公タワーの内部見学、昔行かなかったっけ」

 海浜公園のホームページを見ていたら、テッちゃんが横から声をかけて来た。見学ツアーがあることを知らなかった僕が一人で驚いていると、そばにいた駿はテッちゃんに同意して、「ああ、そう言えば行ったな」と興奮気味に言った。

「多分、お前も一緒に行ったぞ。幼稚園だか、小学校だかの遠足か、社会科見学で」

 彼は僕を指差すが、そんな前の話は覚えていない。テッちゃんが頷くからには、間違いないのだろう。

「ちょっと、男子。何やってんの?」

 江辺野さんより丸顔でほんわかしている稲荷さんが、彼女には珍しくピリッとした口調で注意した。近くにいた江辺野さんと、怠そうにガイド本を捲る嶋田さんが一瞬こちらを見る。

「ちゃんと調べてよね。折角の自由行動なんだから」

 稲荷さんの剣幕を、駿は「へいへい」と肩の力を抜いて躱した。僕も慌てて、「北海道観光ガイド」と記されたロードマップを開く。駿もテッちゃんも、適当にページを捲っている。

「秋口の北海道ねぇ……。どうせなら、沖縄の方が良かったなぁ。海にも入れるし」

「現役JKの水着姿も見れるしね」

 嶋田さんは稲荷さんの方を見ながら、「凄いのよ、この娘」と言った。

「甲斐くん的には桂花かな? この娘もスタイルいいよ」

  江辺野さんに「ちょっと、花梨」と注意されると、嶋田さんは悪びれる様子もなく、「ごめん、ごめん」とケタケタ笑った。

「お前らのちんちくりんな姿見ても、なんとも思わねぇよ。なぁ、テッちゃん」

 駿に話題を振られたテッちゃんは、「僕は二次元専門だからね〜」と顔も上げず、寄りたい場所に付箋を貼っていく。嶋田さんと真面目そうに、項目を別紙に書き出した。

「お前もそうだよな?」

 駿の矛先が僕に向く。同時に、江辺野さんがチラリとこちらを見た。回答に窮した僕は、手元の雑誌に集中しながら必死に考える。ドラマや映画のロケ地や舞台、聖地みたいなところもピックアップされていた。

「逃避行って、なんで北に行くんだろう?」

「はあ?」

「南に行ってもいいのに、東北とか、北海道に行かない?」

 野球一筋の駿には、イマイチピンと来ないらしい。

「あったかい島国に行くより、寒くて広い場所の方が合うんじゃない?」

 文学少女の稲荷さんが、さっきまでの真面目さを他所に、乗っかってきた。僕は、「なるほどね〜」と頷きながら、横目で向こうの江辺野さんを見る。彼女はこちらを気にすることなく、嶋田さん、テッちゃんの作業に協力していた。

 稲荷さんの妄想混じりの見解に適当な相槌を打ちながら、修学旅行のグループ行動が決まっていく様を遠巻きに眺めた。

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