プロポーズの言葉ではない

 オルトロス事件から二日が経った。


 一時はどうなることかと思っていたブリジットだけど、すっかり回復して元気になっていた。


 むしろ前よりもエネルギッシュになっている雰囲気すらある。


「サタ先輩っ!」


 収穫を終えたトマトの撤去をしていると、家の方から猛烈な勢いでブリジットが走ってきた。


「頼まれた薪割りは終わったぞ!」

「……え? もう?」


 農作業に出る前に薪割りをお願いしたのだけれど、まだ十分も経っていない。


 動物たちが山から持ってきた丸太は十本くらいあったし、流石にこの時間で終わらせるのは無理じゃないか?


「十本全部?」

「もちろんだ」

「ちょっと凄すぎませんか?」


 気のせいかと思っていたけど、やっぱり前よりパワフルになってる。


 これも瘴気浄化の合わせ付与の効果なのかな?


「あの洞窟での事件があってから、体の奥から力が湧き出てくるのだ。これもサタ先輩の付与魔法で作った作物の効果だろうか?」

「いや、僕の付与魔法っていうより瀕死の状態から回復したから戦闘力がアップしたんじゃないかな?」


 ほら、某漫画の戦闘民族みたいにさ。


 ブリジットなら有り得そうじゃない? 


「……? すまない、どういうことなのだろう?」

「なんでもないから気にしないで」


 そんなネタ、解るわけないよね。


「それじゃあ、収穫を手伝ってくれる?」

「ああ、お安い御用だ」


 ブリジットにナイフを渡して収穫をお願いして、僕はキュウリの摘芯作業をやることにした。


 摘芯作業は伸びてきた脇芽を切る作業で、摘芯をすることで上に伸びていこうとする栄養を実の成長に回すことができる。


 これ如何で収穫量が大きく変わる、とても大事な作業だ。


「しかし、なぜオルトロスの体から瘴気が吹き出してきたんだろうな?」


 ピーマンとシシトウを収穫しながら、ブリジットが尋ねてきた。


「そんな話は魔導院でも聞いたことがなかったが」

「そうだね……」


 院の職員は呪われた地に赴くことを禁止されているが、一方で王国各地から様々な情報が流れてきていた。


 瘴気が人体に与える影響。


 作物を枯れさせる時間。


 食べ物を介した瘴気の二次感染。


 だけれど、「モンスターから瘴気が出た」なんて話は一度も聞いたことがない。


「あの状況から推測するに、オルトロスの体内に尋常じゃない量の瘴気が溜まっていて、死んだことでそれが解放されたんじゃないかな?」

「しかし、あの量の瘴気を体内に蓄積していたら、普通は生きていられないぞ?」

「まぁ、普通ならね」


 相手は普通じゃないモンスターなのだ。常人なら一瞬で死んでしまう量の瘴気を抱えていてもなんら不思議じゃない。


 それに、モンスターは瘴気に耐性がある動物や亜人だったという推論が当たっているとしたら、十分あり得る話だ。


「何にしても、今回の件で瘴気を浄化できることがわかったのは収穫だったよ」

「そうだな。先輩が今回の件を論文にまとめてみてはどうだろう?」

「やらないよ。僕はもう研究者じゃないんだし」

「……そうか」


 ブリジットの声には、どこか落胆の色が見えた。


 その話はそこで終わり、僕たちは黙々と作業を続けた。


 一時間ほどで収穫と摘芯作業を終え、大量の野菜を持って自宅へと帰る。


 採れた野菜は家の地下にある貯蔵庫に運ぶことにしている。


 ララノも知らなかったみたいだけど家の地下に小さな部屋があって、そこを貯蔵庫として利用しているのだ。


 地下なので陽が当たらず、湿気もないので野菜の保管に最適な環境なんだよね。


「……そういえば、どうするの?」


 野菜を貯蔵庫にしまっているとき、ふと思い出してブリジットに尋ねた。


「どう、とは?」

「いつまでここにいるのかなって」


 ブリジットの今後については、オルトロス事件があったので保留になっていた。


 結局、開くつもりだった晩餐もまだだ。


「もちろん、ずっといるつもりだが?」


 当たり前のことを聞くな、と言いたげに即答するブリジット。


「本気で院には戻らないつもりなの?」

「何度も言っているが、サタ先輩が院に戻るというのなら一緒に帰るぞ」

「…………」


 やっぱり平行線。


 う〜む。どうやって説得すればいいのだろう。


 叱りつけて追い返すことはできるけど、そんなことはしたくないし。


 結局、このときも彼女を説得できる妙案は浮かばなかった。


 重い足取りでリビングに戻ると、ララノがお昼ごはんの準備をしてた。


 そうだ。ララノに協力してもらおう。


 ブリジットのおもてなしをすることには賛成してくれたけど、滞在することには否定的な感じだった。


 面と向かってララノに拒否されたら流石に引き下がるかもしれない。


「ララノ、ちょっといいかな?」

「……はい? なんでしょう?」


 ララノが料理の手を止めて首をかしげる。


「ブリジットの件なんだけど、キミはどう思う?」

「ブリジットさんの件?」

「この農園に住みたいって話しだよ。ブリジットをもてなす話はしてたけど、ここに住ませるかどうかの話はしてなかったじゃない? だからララノの意見を改めて聞きたいと思ってさ」

「そうですね……」


 そう言ってララノはしばし天井を見上げて考える。


 僕たちの間をグツグツと煮込みの美味しそうな音だけが流れる。


「私は居候なので偉そうに言える立場ではありませんが、ブリジットさんがここに住みたいというのなら歓迎したいと思います」

「……えっ?」


 予想外の返答だった。


「い、いいの?」

「もちろん構いませんよ。はじめは少し嫌だなって思ってましたけど、でも、地位も名誉も擲って追いかけてきた人を追い返すのって、なんだか可哀想じゃないですか」

「ラ、ララノ……っ!?」

「……ひゃいっ!?」


 ブリジットが柱の陰から飛び出してきて、後ろからララノをハグした。


 どうやら聞き耳を立てていたらしい。


「ちょ、ちょっとブリジットさん!?」

「すまない、私はお前のことを酷く勘違いしていたようだ。てっきりララノは私の敵だと思っていた」

「て、敵!?」

「そうだ。私とサタ先輩の恋路を邪魔する、いわゆる『恋敵』だ」

「こっ、恋っ……ちちち、違いますからっ! あと離れてくださいっ!」

「あ、以外と尻尾がもふもふしていて気持ちいいな」

「く、くすぐったいですってば!」


 怒っているのかボワッと膨れているララノの尻尾にブリジットが顔を埋める。


 少しだけ僕もやりたい。


「と、とにかくですね!」


 ララノは尻尾をモフられながら、続ける。


「ブリジットさんが農園で暮らしたいというのなら、私は反対なんてしません。でも、この農園の主はサタ様なので、サタ様のお気持ちを優先させてください。もしブリジットさんを追い返したいと仰るなら、私はその意見に賛成します」

「……なっ!?」


 ブリジットがララノの尻尾の中でギョッとする。


「や、やはり貴様は敵だったのか!?」

「だから違いますってば! というか、尻尾から離れてくださいっ!」


 やいのやいのと騒ぎ出すブリジットとララノ。


 そんな彼女たちをよそに、僕はララノに言われたことを静かに考える。


 僕の気持ち、か。


 そう言えば、一番大事な部分を深く考えていなかったな。


 ブリジットに「ここに住ませて欲しい」と言われたとき、彼女の使命や周りの事ばかり考えていた。


 周りのことは一旦忘れて、僕自身はどう思っているのだろう。


 僕は一体、どうしたい?


 一番大切なのは、僕の気持ちだろう。


「……わかったよブリジット」


 結論は、意外とあっさり出てきた。


「キミを歓迎しよう」

「……っ!?」


 そう答えた瞬間、ブリジットが猛烈な勢いで詰め寄ってきた。


「ほっ……ほ、ほ、本当か!?」

「ただし、キミにもちゃんと農作業とか手伝ってもらうからね? まぁ、仕事ってわけじゃないから、のんびりやってもらっていいんだけど」

「ああ、もちろんだとも! 私のことは奴隷だと思ってこき使ってくれ!」

「いや、だからのんびりやってもらって大丈夫だって言ってるじゃない」


 僕の話をちゃんと聞いてくれ。


 それに、やんごとなき名家のご令嬢をこき使えるわけないでしょ。


 デファンデール家の人たちに知られたら殺されてしまう。


「とにかく。ええと、改めてよろしくね、ブリジット?」

「……ふおぉっ!?」


 握手しようと手を差し出したら、両手でがっしりと掴まれた。


 馬鹿力で掴まれたのでちょっと痛い。


「サ、サタ先輩っ! こっ、こっ、これはプロポーズの言葉として受け取っていいやつかっ!?」

「全然よくない」

「なわけないでしょ」


 ウザすぎる勘違いに、僕とララノが同時に突っ込んだ。


 う〜ん、どうしよう。


 つい許可しちゃったけど、やっぱりブリジットには王都に帰ってもらったほうがいいかもしれないな。

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