対抗心
馬車に戻った僕たちは、すぐに農園に向けて出発した。
パルメザンにブリジットを送り届けようとしたのだけれど、「サタ先輩に付いていく」と激しく抵抗されてしまったのだ。
なので、渋々ブリジットを農園に連れていくことにしたのだけれど──少々気になっていることがあった。
瘴気を吸ったブリジットの体調のことだ。
ぱっと見た感じだといつもとわからないウザさを発揮しているけれど、ある程度瘴気を吸ってしまったはず。
となると、多少なりとも体の自由が効かなくなるはずなんだけど──。
「これと言って体調に変化は無いぞ」
ブリジットは涼しい顔でそう返した。
「でも結構長い時間、瘴気にさらされてたよね? あまり濃い瘴気じゃなかったけど、流石にマスク無しだと手足に痺れくらい出るはずだけど」
「そうだな。私もそう思ってずっと息を止めていた」
「……は? 止めてた?」
「む? 知らなかったか? 私は長時間の無酸素運動が出来るのだ。無呼吸で百メートルを全力疾走することもできる」
「あ、そうなんだ」
色々とメチャクチャだな。流石は王都剣術大会の最短優勝記録保持者。
というか、全然平気だったのなら助ける必要はなかったじゃないか。完全に無駄骨だった。
「しかし、オルトロスをぶん投げたときのサタ先輩は凄くかっこよかったぞ」
「あんなスマートじゃない方法はやりたくなかったんだけどね。僕らしくないっていうか」
「大丈夫だ。先輩からの愛の告白だったら、スマートじゃない方法でも受け止められる自信はある」
「うん、何の話?」
すぐそっち方面に話題を脱線させるのやめてくれないかな?
ブリジットがチラリと僕の隣に座っているララノを見る。
「それでサタ先輩、そちらの獣人の女性は?」
「ああゴメン、紹介がまだだったね。彼女はララノ。僕の農園を手伝ってくれているんだ」
「ふむ。手伝いか」
スッと立ち上がったブリジットは敬々しくララノに頭を下げる。
「はじめましてララノ。私はブリジット・デファンデールだ。私のことは『サタ先輩の将来の奥さん』か『サタ先輩の婚約者』と呼んで欲しい」
「おいやめろ」
どういう呼び方だよ。ララノが困惑しちゃうだろ。
案の定、目をパチクリとさせているララノに説明する。
「ブリジットのことはさっき少しだけ話したけど、魔導院時代の僕の後輩で、錬金術と瘴気に関する研究をしていたんだ」
「へぇ……」
「あと、一応言っておくけど、僕とブリジットは親密な関係ってわけじゃないからね?」
「…………」
説明が聞こえていないのか、無反応のララノ。
目が座っていて、ちょっと怖い。
「長いんですか?」
「え?」
「サタ様と、ブリジットさんの交友期間です」
「え〜っと、魔導院に入ってからだから……大体二年くらいかな?」
「そうだな。二十年に近いほうの二年だ」
二十年に近いほうってなんだよ。二年は二年だろ。
冷めた視線をブリジットに投げつけたけれど、彼女は意に介する様子もなく、ララノに尋ねる。
「ちなみにララノはサタ先輩と知り合ってどれくらいなのだ?」
「まだ二ヶ月くらいですね。でも、サタ様がどういう料理が好きなのかとか、寝起きに何が飲みたいのかとかは熟知してますよ」
「…………」
え、何その補足情報。
全く要らないと思うんだけど。
「……ふむ。なるほど。そういうことか」
ズゴゴゴゴ……と、ブリジットの背後に激しく燃え盛る嫉妬の炎を感じた。
これはちょっと話題をそらさないとマズい気がするな。
「そ、そんなことよりも、なんでブリジットがこんな辺境の地にいるのさ? 院はどうしたの?」
「魔導院か? 辞めたてきたが?」
ブリジットがさらっと、まるで「お昼ごはんはカレーにしようと思ったけどラーメンにしました」レベルの軽さで言った。
しばし、馬車に沈黙が流れる。
「……ごめん。今、なんて言った?」
「愛するサタ先輩を追いかけるために、院は辞めてきた」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「ちょ、ちょっと待って!? 院、辞めたの!?」
「な、なんだ? 驚くほどのものでもないだろう? サタ先輩と私は赤い糸で結ばれた連帯保証人なのだから、そうなって然るべき流れだ」
「色々驚くようなものだよ!」
赤い糸でなんか結ばれてないし、連帯保証人でもない!
というか、連帯保証人の使い方間違ってるだろ!
「そもそも私はサタ先輩がいなくなった魔導院になどこれっぽっちも興味はない」
「はぁ!? 『私は瘴気の危機から世界を救いたいのだ』っていつも僕に話してたじゃない!?」
「ああ、あれか。あれはサタ先輩の気を引くための方便だ」
「…………」
絶句した。
「いや、私とて少なからず瘴気から世界を救いたい想いはあるぞ? 瘴気のせいで大勢が苦しんでいるのを見てきたからな。だが、サタ先輩の偉大なる存在と天秤にかけるほどのものではない」
ん〜、何だろう。
ここまで正直だと、むしろ清々しい。
大義名分を掲げてる人間よりも信頼しちゃいそうだ。
「それに、あの上司の下で働くのは、もう限界だしな」
「上司……ってラインハルトさんのこと?」
「そうだ。あの男、先輩のことを『犯罪者』だと断言したのだぞ? 信じられるか? この天使のような慈しみを持つ、ゴッド・サタ先輩を!」
「ゴッド・サタ先輩って何」
「ん? 神のような存在という意味だが?」
「……いや、みなまで言わなくてもわかるから」
説明されて逆に僕が恥ずかしくなっちゃった。
しかし、そう言えばラインハルトさんは僕のことを「瘴気を人為的に生成しようとしている犯罪者だ」と院長に直訴してたっけ。
二ヶ月前の話だけど、遠い昔のように感じてしまう。
「あ、あの……」
と、恐る恐る声をかけてくるララノ。
「初耳だったんですが、サタ様ってそんな言いがかりで院を辞めさせられたのですか?」
「あ〜、いやまぁ、そうだね。あはは」
魔導院に居たということは話していたけど、理由までは説明してなかった。
僕としては「追放されてラッキー」くらいに思ってたけど、普通に考えるととんでもない理由だよね。
「まぁ、衛兵に突き出されなかっただけありがたいと思わなきゃね」
「……おおっ」
ブリジットが感嘆の声を上げた。
「流石サタ先輩! その寛容な姿勢には感服してしまうな! きっとサタ先輩は皿にふたつしか残ってない肉を見て『まだふたつもある』と言うタイプだな! ちなみに私は追加で十個注文するタイプだ!」
「あ、そうなんだ」
うん、キミも大概ポジティブだね。
というか、男顔負けの健啖家なのは相変わらずか。
ま、どうでもいい話だけど。
ブリジットはコホンと咳払いを挟んで続ける。
「とにかく、そういう理由で私は院を辞めてサタ先輩を追いかけてきたというわけなのだ」
「わけなのだって……悪いことは言わないから、院に戻りな?」
「いやだ」
即断するブリジット。
「私は絶対に戻らない」
「そんな駄々っ子みたいなこと言わないでよ。そもそも、ご両親は大丈夫なの?」
デファンデール家は王族と深い関わりがあるし、ブリジットのお父さんは護国院の騎士団長を務めている人間だ。
その愛娘がどこの馬の骨とも知らない男を追って院を飛び出した……なんて噂が流れてしまったら、ご両親の逆鱗に振れてしまうんじゃないだろうか。
「心配に及ばんぞ」
しかしブリジットは飄々とした表情で頭を振る。
「父も母も『私たちのことは気にせず、ブリジットの好きなようにやりなさい』と言ってくれた。なんと理解のある方たちだと改めて感動したよ」
「……さいですか」
なるほど。デファンデール家の人たちって、放任主義なんだな。
いや、これはある意味、放棄主義というべきか。
「というわけで私は院には戻らない。しかし、サタ先輩が王都で私とひとつ屋根の下で暮らしてくれるというのなら、考え直さなくもない──」
「ダメです」
間髪入れずに答えたのはララノだった。
彼女は感情の起伏がないすご〜く冷めた声で念を押してくる。
「いいですかサタ様、そういうの、絶っ対ダメですからね?」
「わ、わかってるよ」
その気迫に思わずたじろいでしまった。
そもそも追放された身なんだから戻りたくても戻れないし。
というかララノさん、顔が怖いです。
「心配する必要はないよ。ラインハルトさんから戻ってこいって言われても戻る気は無いし。それに、農園スローライフは僕の夢だったんだから」
「農園スローライフ? なんだそれは?」
ブリジットが首をかしげる。
「話してなかったっけ? 以前から田舎で農園を開くのが夢だったから、こっちに土地を買ったんだ。今はそこでのんびり野菜を育てたりしてる」
「……や、野菜を育てている、だと!?」
ブリジットが目を丸くして立ち上がる。
「な、何を言ってるのだサタ先輩! 気を確かに持て! まだ隠居するような歳ではないだろう!?」
「いやいや、年齢関係なくスローライフって最高だよ? 対人関係で気を病むこともないし、何をやっても自由だし。それに、付与魔法の研究もできちゃう」
「付与魔法の研究……あっ」
その言葉でブリジットは何かを思い出したらしい。
「そう言えば、あの論文の実証研究はどうなったのだ?」
「論文? って、ラインハルトさんにもみ消されたやつ?」
「そうだ。確かタイトルは『不毛の地における付与魔法の有効性』だったか」
そういえばそんな論文を出そうとしていたっけ。田舎の付与師が論文を出すなど生意気だとかなんとか言って、握りつぶされちゃったけど。
院にいるときは早く実証研究をしないとって焦ってたけど、すっかり忘れちゃってたな。
「まぁ、今やってることがある意味『実証研究』みたいなものだし、どうなったかは農園を見ればわかると思うよ」
「……?」
そう答えた僕を見て、ブリジットは首を捻った。
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