獣人の女の子 02

 川沿いにしばらく上流に向かって歩いていると、再びモンスターの声がした。


 さっきよりも近い。


 腰に下げていた短剣を握りしめ、念入りに付与魔法をかけておく。


 短剣に筋力強化と俊敏力強化の合わせ付与。


 それから自分自身に物理防御力を上げる持久力強化と、生命力を上げる生命力強化、そして素早さを上げる俊敏力強化のフルコース。


 これだけ付与しておけば不意の襲撃を食らってもなんとかなるだろう。


 あとはビビってる心を落ち着けさせたいところだけど、そんな効果がある付与魔法がないのが残念すぎる。


 魔力量を上げる「精神力強化エンチャント・マインド」で胆力が強化されたらいいんだけどな。


 などと考えながら、ゴツゴツとした石だらけの川辺を歩いていく。


 上流に行くにつれて川岸が赤紫色になってきた。多分、川を流れてきた瘴気が滞留しているのだろう。


 不気味な光景に、緊張感が高まっていく。


「……こ、来ないでっ!」


 すぐ近くから女の子声がした。


 さっきの獣人の子かもしれない。僕は急いで声がした方へと走る。


 両岸にそそり立っている壁の一部が崩落したのだろう。


 川辺に転がる大きな岩の影に、巨大なモンスターとピンク色の髪をした獣人の少女の姿があった。


 腰を抜かしているかのようにペタンと座っている少女が、威嚇するように付近の小石をモンスターに投げている。


 しかし、あのモンスターは何だろう。


 見た目は巨大な青黒いビーバーだ。そういえば、水辺に危険なビーバーのモンスターが現れるって院で聞いたことがあるな。


 確か名前が「アーヴァンク」だったっけ。


 土手を壊し畑を水浸しにして、牛馬を水の中に引きずり込んで溺れさせるとかいう凶暴なやつだ。


 その話を聞いたときは「いやいや、ビーバーにそんなことができるわけがない」って思ったけど……なるほど。あの大きさなら余裕だな。


 ていうか、見た目がすごく怖い。ビーバーって癒やし系の動物のはずだけど、愛嬌がある見た目はどこに行った?


「う、ううう……っ! あ、あっちへ行ってっ!」


 女の子がジリジリと近づいてくるビーバーに怒鳴っているけれど、その声はどこか弱々しい。


 やっぱり変だ。獣人の身体能力があれば、さっきみたいに逃げ出すことも可能なはずなんだけど。


「……いや、今はとにかく助けないと」


 事情は後で本人に聞けばいいし。


 でも、どうやって彼女を助ける?


 素直に飛び出しても、こちらには見向きもせず少女をガブリといきそうだ。


 どうにかしてモンスターの注意を僕の方に向けないと。


 黒魔法の加護を持つ魔導師だったら火属性の魔法でも放って注意を引けるんだけど、生憎、僕が持っているのは付与魔法の加護だけ。


 何か大きな音を立てられるものは無いか?


 テントから鍋とフライパンを持ってきてガンガン鳴らせば多少は注意を引けるかもしれない。いや、取りに行ってる間にあの子がやられちゃうか。


 ああもう、ごちゃごちゃ考えている時間はないよっ!


「お、おらぁあぁぁぁぁああっ! こっちじゃあああああっ!」


 僕の口から放たれたのは「奇策」ではなく「奇声」だった。


「ひゃあっ!?」


 狙い通りにビーバーが僕を見てビクッと体を震わせたが、モンスター以上にビックリしていたのは少女だった。


「お、お前の相手は僕だっ!」


「わ、私の相手!? 何の!?」


「……え? あ、いや、違う! 僕が相手したいのはキミじゃなくてモンスターのほうですっ!」


 むしろキミは助けたいというか!


「と、とにかく、こっちだモンスター!」


 転がっていた石に筋力付与をして思いっきり投げた。


 モンスターの頭部に命中した石が「ドゴッ」と痛そうな音を上げる。


「ギィイイィッ!」


 付与魔法で強化された石が相当痛かったのだろう。


 モンスターの注意が完全に僕に向いた。


 あ、最初からこれで注意を引けばよかった感じですか?


「キミはここにいて!」


 少女を巻き込まないように距離を取ったが、モンスターの動きは予想外に素早かった


 地面を蹴ったかと思うと、その巨体が空に舞い上がる。


「マ、マジで!?」


 いくらなんでも、予想外すぎる。


 警戒すべきはあの鋭い爪と牙だと思っていたけど、あの巨体に押しつぶされたら一巻の終わりだ。


「だけど、今の僕ならっ!」


 なにせ、チート魔法の俊敏力強化によって脚力が格段に上がっているのだ。


 一投足で安全な位置へと移動。


 瞬間、さっきまで僕がいた場所にモンスターが落下してくる。


 粉塵。地鳴り。


 それを見て、もう一度地面を蹴る。


 猛烈なスピードで、今度はモンスターとの距離が縮まっていく。


「たあっ!」


 短剣をモンスターの左腕へと振り下ろす。


 金属がかち合ったような音が響く。多分、あの青黒い針金みたいな体毛は、文字通り鋼並みの硬さだったのかもしれない。


 だけど、筋力強化で切れ味を上げている僕の短剣を防ぐことはできなかった。


 バラバラっとビーバーの左腕から体毛が落ちたと思った瞬間、ブワッと赤い血がほとばしった。


「ギィイイイィ!?」


 甲高いビーバーの声。


 まさかこんな小さなナイフで斬られるとは思っていなかったのだろう。


 ビーバーはしばらくあたふたと慌てたあと、悲しそうな声を上げながら川の上流の方へと逃げて行った。


 後を追いかけようかと思ったけど、留まった。


 今の一撃で僕が危険な存在であることはわかったはず。


 もう農園には近づいてこないだろう。


 ……多分。


「でも、はじめて戦闘で使ったけど、すごい威力だな……」


 改めて自分の付与魔法にビビってしまう。


 以前に一度だけ模擬戦で使ったことはあるけれど、モンスターに使ったのははじめてだ。


 これなら王宮魔導院の護国院に所属している重装騎兵の装甲でも簡単に貫けるんじゃないだろうか。我ながら、恐ろしすぎる。


「……と、そんなことよりも女の子を助けないと」


 先程、少女がいた岩陰へと急ぐ。


「あ……あれ?」


 岩陰に少女の姿があったが、どうやら気を失っているようだった。


 もしかして戦闘の巻き添えになっちゃった!? 


 ──と心配したけど、特にこれといって外傷はない。原因はわからないけど、ただ気を失っているだけだろう。


「でも、どうしよう?」


 モンスターは逃げちゃったから、もう危険はない。


 けど、このまま放置するのも可哀想な気がする。


「とりあえず、テントに連れていくか」 


 再び自分の体に筋力強化を付与して、少女を背中に担ぐ。


 女性を背負う前に筋力付与をするのは失礼かなと少し思ったけど、念の為ね。


 だってほら、僕って貧弱だし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る