桃宇統也は、そこに居る。

ツカサ

第1話 白衣を着た男

生者 : 市後華実いちごはなみ 20歳


 歩を進める度、露出した肌に、舐めるように草々が当たっていく。こそばゆいような、なんとも気持ち悪い。さらに、私の足元ではバッタがピョンピョン跳ねている。虫嫌いの私としては本当に勘弁してほしい。 


「なんで私がこんな所に来なきゃならないんだ!!」


私の叫びは、突風に吹かれて消えていった。

 大学2回生の夏休み。私は1人で、弟が忘れてきたスマホを取りに来ている。

 事の発端は、昨晩に遡る。


「うわーマジか!あーーー・・・」


23時頃、弟が帰ってくるなり玄関で絶望の声を上げた。風呂上がりで扇風機を独占していた私は、弟のその声を聞きつけ、玄関までわざわざ様子を見にいってやったのだ。


「どうしたの奏斗かなと。」


華実はなみ姉ちゃん・・・撮影場所にスマホ忘れて来たんだよ!」


弟である奏斗は、駆け出しの高校生YouTuberである。要するに、今日は撮影で、その撮影場所にスマホを忘れて来て絶望しているわけである。


「ほんとついてないわ・・・。」


「明日取りに行けば?」


私はごく当然のことを言ったつもりだった。しかし。


「俺、明日は補習があんの!!バックれたらマジやばいんだって!」


奏斗は、この夏、期末のテストで赤点を取りまくって補習に出ることになってしまったのだった。

 ちにみに私も高校生の頃は補習をくらってるので、馬鹿にはしない。


「補習が終わってからは?」


「デートがあんの。」


ガッデム。どうしようもない奴だ。さらばである。


「・・・・姉ちゃんさ、明日、バイトも休みで暇だよね?」


リビングまで引き返そうとしたところで、奏斗の視線がすこーしずつ私をとらえた。


「無理。」


「お願い!お願いお願いお願いお願いお願いお願い!!マジでお願いします姉上様ぁ!今度スタバ奢りますんで!」


「嫌だ!行かない!いらない!!暑いし熱中症になる!」


「水分補給代は出すから!!」


奏斗は自身の財布から200円取り出すと、私に握らせた。


「じゃ!ね!これでお願いします!場所はねー・・・・」


————————・・・・・・・・・・・・・


「やっっと、着い、たっ・・・!」


 最後の草をかき分けると、大きく崩れた廃墟が現れた。

 私は、弟のせいでこの心霊スポットである廃墟にスマホを取りに来る羽目にになったのである。


 斜めに崩れた建物は、フロアの中を見せていた。

 ここまで大変だった・・・あとは弟のスマホを探して帰るだけだ。 


 「それにしても、すごい崩れてる所だなぁ。老朽化?中に入っても空丸見えじゃん。」


ここは昔、病院だったらしい。しかし、今はその面影など無い。

入口から入らずとも、どこからでも侵入できてしまう。残っている部屋の区切りに沿って、スマホを探しながらひたすら歩く。が、スマホらしき物は一向に見つかる気配が無い。


「無いじゃん、あっつぅい・・・もー帰ろかな・・・」

日差しは時が進むにつれて強くなる。

壁の残り物で作られた日陰に避難し、その場にしゃがむ。炎天下のせいで体力は大きく削られていく。もう限界だった。


「ねぇ」


 男の人の声と共に、目の前に革靴が現れた。

見上げると、白衣を着た男の人が、私の目の前に立っていた。


「ねぇ、もしかしてさ、あれ探してる?」


男の人が山道に続く草むらを指さしている。


「あれ、って?」


「だから、あそこに落ちてるスマホ。赤いカバーしてるやつ。」


「えっ?!」


私はバネが付いているかのように俊敏に立ち上がり、その草むらに駆け寄った。

そしてそこには・・・あった。赤いカバーを付けた、弟のスマホだった。


「あったぁ~!やっと帰れるぅ~!!」


 スマホを持って、来た方向を見ると、あの人は私がさっきまで居た日陰の中から、ひらひらっと手を振った。

やばい、お礼を言う前にどこかに行ってしまうかもしれない。急いで草むらから元の場所に戻る。


「あっ、あのっ、ありがとうございました!このスマホ探さないと帰れなかったんです。」


「そう、良かったね。でも大丈夫?壊れてない?この日差しが強い中にずっとあったんじゃない?それ。」


男の人に言われてハッとする。そうだ、昨晩から今までこの炎天下の中にあったということになるのだ。別に私のではないが、恐る恐るスマホの電源ボタンを押す。

スマホは、真っ黒い画面の中に私の顔を映したまま、変化は無い。


「・・・まぁ、電源切れてるだけかもだし。帰って充電してみなよ。」


男の人は私の沈黙で察したのか、慰めるように言った。


「そう、ですね。そうしてみます。」


男の人の顔を見上げて無理に笑顔を作ってそう言った。

この時、初めてまともにこの人の顔を見た。色白の肌、薄く笑みを浮かべる表情。なんというか、整っている。

しかもこの炎天下の中だというのに、汗ひとつかいていない。羨ましい。


「どうしたの?俺の顔に何かついてる?」


「あっ、いえ。すみません、じっと見ちゃって。えっと、白衣、暑くないのかな~・・・なんて・・・・・ん?」


 急いで白衣に視線を逸らした。その時、何か違和感を感じた。

いや、そんな訳はない。これは日陰の形だ。しかし、そんなことはおかしい。だが明らかだ。

 仕草、男の人の揺れる髪。こんな所に白衣姿の人が居るなんて、最初から違和感しか無かったが、そうか。ここは、この廃墟は・・・元々、病院。


「あぁ、うん。暑くないよ。君は暑そうだね。熱中症になる前に、ちゃんと水分、摂るんだよ。」


そして、ここは心霊スポット。

 私の目の前にいる男の人は、少し、透けていた。


「どうしたの?顔色が急に・・・・・・あぁ、なるほど。気づいちゃったのか。」


男の人は、足音も立てずに私に近づいた。私の周りだけ、少し、気温が下がったような気がした。


「何を考えてるの。俺のこと?」


優しいはずの声が、恐ろしい声色に聞こえる。


「あっ、の・・・・・わた、わたし・・・」


「・・・ハァ」  


男の人の小さいため息が聞こえた。


「まあ、そうだよね。そうなるよね。怖がらなくていいよ。呪ったりしないから。」


そんなことを幽霊に言われても、怖がらない方が無理だ。私の目の前に居るのは、死んだ人間なのだから。


「俺の名前は、桃宇統也もものきとうや。お察しの通り、幽霊だよ。死因は、えっと、病死?いや、事故死・・・覚えてないや。君の名前は?」


幽霊に自己紹介されて、幽霊に名前を聞かれている。


「い、市後華実いちごはなみです。」


「そう。イチゴさんって呼んだ方がいい?」


桃宇統也・・・桃宇もものきさんは相変わらずの薄ら笑顔で言った。イントネーションが完全に七五三じゃないか、と考えてしまい、そのおかげか、少しずつ落ち着いてきた。


「華実でいいですよ、桃宇さん。」 


「分かった。華実さんも、俺のことは統也とうやでいいからね。」


統也さんの表情は、薄ら笑顔から、嬉しそうな明るい笑顔になった。誰かと話せたのが嬉しいのだろうか。


「ねぇ、統也さん、生きてた頃って、お医者さんだったんですか?白衣着たまま幽霊になってるってことは、生前、白衣を着るような仕事だったんですよね?」


「あー・・・うん・・・多分?」


「覚えてないんですか?」


「実は、うん。覚えてないんだ。気がついたらここに居たし、ここに遊びに来る人達が、ここのこと廃病院って言ってたし、俺、ここの医者だったのかな。んー。」


統也さんは腕を組みながら考える仕草をしていたが、本気で考えるつもりは無いように見える。どこか仕草が嘘くさいと思った。


「そんなことよりも。華実さん、帰らなくていいの?スマホ見つけたんだし、日照りが強くなってるし。」


統也さんは私が持っているスマホを指差した。

そうだ、この壊れてるのか充電切れなのか分からない、弟のスマホを持って帰らなくては。


「そうでした、帰らないと。」


「気をつけて帰るんだよ。」


「はい、気をつけます。あの、最初、すごい驚いてしまって、ごめんなさい。統也さんは優しい幽霊です。」


「ー・・・!」


統也さんは、キョトンとしていた。しかし、すぐにまた、あの薄ら笑顔に戻った。


「ありがとう。華実さんと話せて、すごく楽しかった。また、暇な時にでも会いに来てくれたら嬉しいな。」



 また、来た時と同じように、草をかき分けて進む。

振り向くと、廃墟のてっぺんに座って、手を振っている統也さんが見えた。幽霊相手に、また会いたいと思ったのは、生まれて初めてだった。

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