獏と赤い月

ミドリ

第1話

 牛の化け物みたいな立体の影、としか言い様のないモノ。


 シェンがそれを縦に真っ二つに叩き斬ると、影は音もなく掻き消えた。己の想像力で具現化した細身の長剣をブン、と振ってから、鞘に収める。


「リョウ! こっちは片付いたぞ!」


 別の影と目下交戦中の相棒に、自分の無事を伝えるべく声を掛けた。


 かなり遠くから、リョウの返事が聞こえる。


「おう! こっちももうすぐ片付くぞ!」


 半壊した家屋の脇を通り抜け、声がした方へと向かった。


 先程リョウは、シェンが戦っていた影よりも遥かに大きな影と対峙していた。影だけど足許に影が伸びていたから、アレがこの世界に紛れ込んだ異分子なのは間違いなかった。


 大丈夫かな、なんて、本人に言ったらデコピンされそうなことを考える。


 廃墟を通り抜けると、元は集落の集会場と思われる広間に出た。ぽっかりと空いた空には、星ひとつない暗黒の闇に赤い月。ここが夢の中であることの証拠だ。


 てっきりリョウがいると思ったら、姿が見当たらない。すると、広場の反対側にある崩れ掛けた家屋の中から、がっちりした体躯の男が転がり出てきた。


 くるくると回転し、そのまま華麗に立ち上がると、馬鹿みたいにどでかい大剣を構える。


 扱いにくそうだとシェンが言ったら、「ばあか、これは男の浪漫だ。お前はまだまだだなあ」と鼻で笑われたやつだ。


 シェンにとっては、見た目の格好良さよりも確実に敵を屠れる方が重要だったが、自分の考えをリョウに押し付けるつもりは毛頭ない。


 怪我したら笑ってやるよ、そう言うと、リョウは屈託のない笑顔を見せた。


 リョウの後を追う様にして、家屋の中からのそりと大きな影が出てくる。牛の頭に人間の体を持つ巨大な影だ。その手には、これまた影で出来た牛刀が握られている。もしかしたら、この夢の主に取り憑いたバクは牛かもしれないな、とシェンは思った。


 動物が獏となった症例は聞いたことがなかったが、先程シェンが屠った影も牛の形をしていたから十分あり得る。それか、もしくは牛飼いかもしれない。いずれにしろ、牛に何らかの思い入れがある者だろう。


 シェンがそんなことを考えている間にも、大剣対牛刀の戦いは続いている。


 自分よりもふた周りは大きい影相手に、リョウは固そうな筋肉を感じさせない滑らかな動きでどんどん影を切り刻んでいく。


 長い真っ直ぐな黒髪が宙を舞うその姿が実は格好いいと思っているなんて、リョウには言ったことがない。


 男らしい横顔、笑うと途端に子供っぽく見える実は整った顔も見惚れることがあるなんて、言える訳がなかった。


 相棒であるリョウに「実は憧れてます」なんて言ったら、その後嫌ってほどからかわれ続けるのは目に見えている。


 影の牛刀を持つ右手が斬られ霧散すると、影は左手に牛刀を持ち替えてリョウに襲い掛かる。


 リョウが戦う姿は、さながら水を得た魚だ。いや、魚なんて可愛らしいものじゃない。龍神と言った方が近いだろう。


 以前、リョウに戦いが好きかと聞いたら「馬鹿なことを言うな」と太い腕で首を絞められたけど、少なからず高揚はあるとシェンは見ていた。


 大剣がブオォン! と空気を斬り裂くと、影の左腕が肩から消える。大剣ごと一回転したリョウは、勢いをつけて影を上下に真っ二つに切り裂いた。


 下半身が霧となって消える。獏の核があるのは、上半身のどこかなのだろう。


 影の倒し方は、こうやって切り刻んで核の場所を明確にし、的確に核を壊すことにある。地面に落ちた影の首を斬ると、頭だけが残った。


 リョウは躊躇いなく頭部に大剣を打ち付けると、キイイイインッ! と耳をつんざく様な音がした後、影が消えていった。


 直後、闇の中心にあった赤い月に白昼の様な光の切れ間が浮き出る。


「シェン!」


 伸ばされたリョウの手を掴むと、リョウはシェンを肩に抱えた。走って助走をつけたリョウは、段々と開いていく瞼に向かい大きく跳躍し、ようやく目覚めた始めた人間の夢の外へと飛び出たのだった。

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