逃げるのも作戦の内


―――


 越前、天筒山城、柴田軍



「信長様はまだ到着していないか?」

「えぇ。まだのようです。」

「そうか。でもこの調子では信長様が着く前に勝敗が決まりそうだ。」

 勝家はそう言って、目の前の天筒山城を見上げた。


 朝倉義景の家臣である朝倉景恒が籠城していた天筒山城だが、数日間の睨み合いにとうとう我慢が出来なくなった柴田軍の攻撃によりやむなくといった感じで戦闘が始まった。

 しかし威勢が良かったのは最初だけで、先鋒隊が崩れるとまた門を固く閉ざして柴田軍を城に入れないという作戦に出たのだった。お陰で何もする事が出来ずにいたのだが、最初の籠城と合わせて半月は城に籠っている計算になるのでそろそろ食料がつく頃だと勝家は睨んでいた。


 食べる物が無くなれば敵は降参して出てくるしかない。そうすれば一気に城主の景恒のいる本丸に駆け込んで首が取れる。

 勝家はその様子を思い浮かべてニヤリと笑いながら指を鳴らした。


「勝家様!信長様がいらっしゃいました。」

 その時家臣が慌てて走ってくる。ハッと後ろを見るとちょうど馬から降りた信長と目が合った。


「どうだ?戦況は。やけに静かだが。」

「はい。一旦は戦闘が始まったのですが、また籠城してしまいました。敵に隙を与えるなど不甲斐ない。」

「籠城も作戦の内さ。しかしそろそろ食う物が無くなる頃だ。その内城を明け渡して降伏を申し出るだろう。だが情けは禁物。全員皆殺しだ。」

「わかっています。久し振りに腕が鳴りますなぁ。はっはっは!……おっと、蘭丸も一緒に来たのか。」

 指の次は肩をぐるぐる回して笑っていた勝家は、信長の後ろに蘭がいるのを見て言った。

「は、はい。お世話になります……」

「お前は相変わらず変な奴だな。まぁ、怪我せんように大人しくしとれよ。」

「何ですか、それ!変な奴って……」

「おーい!景恒が逃げたぞ!!追いかけろ!」

「……え?」

 勝家の『変な奴』発言に抗議しようとした時、遠くの方から声がした。勝家が慌てて陣から出ると、柴田軍の何人かが城の裏手に向かって走っていた。


「信長様!逃げたってまさかっ……」

「あの方角なら金ヶ崎城だ。蘭丸、行くぞ!」

「え、あ、はい!」

 信長は蘭を馬に乗せると自分も乗った。

「信長様!俺も行きます!」

「勝家。お前は残れ。」

「しかし!」

「お前はこの軍の総大将なのだぞ。お前が離れたらここにいる家来達はどうすればよいのかわからなくなる。相手が逃げた事を気にする前に、自分のやるべき事をやれ!」

「……わかりました。それでは信長様。必ず景恒の首、討ち取って下さいよ。」

「当たり前だ。どんな事をしても絶対に取る。」

 力強くそう宣言すると、信長は馬に乗って猛スピードで山を下っていった。



「信長様。金ヶ崎城って?」

「天筒山城とは稜線伝いになっている城で朝倉の持ち物だ。景恒が逃げるとしたらそこだと思ってな。」

「へぇ~……」

「念の為に金ヶ崎城方面にサルと家康を行かせてある。景恒が捕まるのも時間の問題だろうがな。」

 信長はそう言うと馬のスピードを少し緩めた。


「……長政にはこの越前出兵の事は知らせた。あいつが俺に味方して共に朝倉を討つのなら、俺はあいつを許そうと思う。破綻した同盟関係も修復する。」

「信長様……」

「ただし、一度だけだ。二度も裏切るなら俺は容赦はしない。」

 後ろからでも鋭いオーラを感じて、蘭は身震いした。


「ところ、で……っ!?」

「え?何ですか?」

 話題を変えようとしたのか明るい声で何かを言いかけた信長が急に動きを止めた。


「どうしたんですか?」

「……静かにしろ。市からだ。」

「えっ!」

 大声を上げてしまって慌てて口を押さえる。恐る恐る信長の方を見ると、信長は目を瞑っていた。


「…………そうか。わかった。長政に伝えてくれ。次に会う時は戦場だとな。」

「!!」

 驚き過ぎて目がこれ以上開かないというところまできている蘭を余所に、信長は冷静に手綱を握り直すと元来た道を戻り始めた。


「信長様!何処に行くんですか?」

「岐阜に戻る。」

「えぇっ!?」

「逃げるのも作戦の内、という事だ。……サル。」

「はい。」

 蘭が慌てて見下ろすと、秀吉が馬の足元に膝まづいていた。


「長政が裏切った。小谷城から出陣してこちらに向かっていると、先程市から連絡がきたから確かな情報だ。景恒の事は家康に任せてお前はここで殿を務めろ。俺はその間に逃げる。」

「承知致しました。この秀吉、立派に務めてみせます。」

「頼むぞ。」

「はい。」

 秀吉は深く頭を下げると、自分の軍の方へ戻っていった。


「やっぱり歴史は変えられないのかなぁ……」

「呆けた顔してないでさっさと掴まれ。落ちるぞ。」

「え?あ、ちょっと待っ……わあぁぁ!」

「おい!蘭丸!!」

「助けてーーー!!」

「蘭丸!」


 信長の服を掴む前に馬が発進してしまい、その振動でバランスを崩した蘭は狭い山道の脇の崖から転落した。


「蘭丸!!!」


 慌てて馬から降りて崖を覗き込んだ信長の目には、どこまでも続く岩肌しか見えなかった……



―――


 美濃、岐阜城



「で?」

「で?とは?」

「それで蘭を見捨てて帰ってきたの!?どうして?私言ったよね?危ない目に合わすなって。そしたらあんた、こう言った。責任は取るって。何で責任持って探してくれなかったの!?」

 蝶子が震えながらそう怒鳴ると、流石の信長も意気消沈した様子で肩を落とした。


「そう信長様を責めないで下さい、帰蝶様。俺が渋る信長様を無理矢理連れて帰ってきたのですよ。本当は信長様も蘭丸を探そうとしたのですが、浅井の軍が近づいてきていたのでやむなく……」

 勝家が庇っても蝶子は相変わらず鋭い目に涙を溜めて信長を睨んでいた。


「サルが……サルがまだあの辺にいるはずだ。蘭丸が落ちた事は家臣全員に知らせてあるから必ず誰かが見つけてくれる。」

「誰かって誰!?そんな他人任せでいいと思ってんの?」

「…………すまん。俺のせいだ。すまん……」

「はぁ~……もういい。私が探しに行く。勝家さん、一緒に来て。」

「ダメだ!」

「何でよ?大切な人がいなくなったのよ?居ても立ってもいられないじゃない!?」

「わかった。わかったから。……俺が帰蝶を連れて行く。」

「えっ……信長様自ら?危険です。あの辺は盗賊や忍者が多く生息していると聞きます。それに浅井や朝倉の残党もいるかも知れない。万が一の事があったら……」

「しかし蘭丸が……」

「信長様!!」

「どうした!?」

 三人で言い合いをしていた時、突然家来の一人が慌ただしく入ってきた。


「蘭丸が……」

「えっ……!蘭が?ま、まさか……」

「見つかったそうです!足に怪我はしていますが、元気な様子だと……」

「……はぁ~~~……よ、良かったぁ……」

 蝶子が畳に崩れ落ちる。思わず信長が背中を支えてあげたのだが、容赦なくその手は叩かれた。


「秀吉様が見つけたそうです。少し熱が出ているので下がったらすぐに連れ帰るとの事です。」

「わかった。ご苦労であった。」

「はっ!」

 その家来は90度のお辞儀をすると、そそくさと部屋を後にした。


「蘭……早く帰ってきてね。顔見ないと安心出来ないよ……」

「…………」

 蝶子の涙混じりの呟きは余りに切なくて、信長と勝家の耳にも入ったけれど、二人とも聞こえていないフリをするのが精一杯だった……



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