花屋さんと小説家

 住居の裏にぐるっと回ると、たしかに花屋が出ていた。

【野平生花店】というシンプルな名前で、店先には瑞々しいカーネーションやスイトピーを入れたブリキのバケツが並んでいる。


「いらっしゃいませ……」


 そこで店番をしていたのは、若い女性だった。多分二十代くらいで、髪をシュシュでひとつにまとめている。シャツにデニムの上にエプロンをしていて、エプロンには園芸ばさみや電卓が突っ込まれているようだった。

 私が近付くと、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「いらっしゃいませ……どのようなご用件ですか?」

「えっと。こんにちは。私は大家の孫の三葉です」

「あら? 大家さんの?」

「ええっと、おばあちゃんはしばらく入院しないと駄目で、私がしばらく大家代行なんです。これはお近付きにどうぞ」

「まあ、まあまあまあ! ごめんなさいね。業者さんと打ち合わせに言っている間にそうなってたなんて……花子さん大丈夫なんでしょうか……」


 途端に野平さんはおろおろとしはじめた。ワンテンポ遅れているというか、おっとりしているというか、不思議な雰囲気の人だなあと思う。でもおばあちゃんを花子呼びというところからして、仲はいいんだろう。


「おばあちゃん、ただのぎっくり腰ですから大丈夫ですよ。もうちょっとしたら帰ってくると思います」

「まあ……だといいんですけど」

「これ、店子さんたちに配っているんです。よろしかったらどうぞー」


 私はそう言いながら、お母さんがご近所さんに配るように言っていたお菓子をひとつつみ差し出す。多分中身は、ご近所で有名な黒糖饅頭だ。それを見た途端に野平さんはにっこりと笑った。


「それはそれはご丁寧に……ええっと……私もそうなんですけど、ここに住んでる人は少々変わってますけど……悪い人はいないんで、仲良くしてあげてくださいね……」

「はい? わかりました。ありがとうございます」

「あっ、他の店子さんにはもうお会いしましたか?」

「ええっと……動画撮影をされてらっしゃる日吉さんには、さっきお会いしました」


 そういえば日吉さん、いつ帰ってくるんだろう。あのときは引っ越しのことで頭がいっぱいで、お菓子を渡し忘れたなあと思う。

 私の反応に野平さんは「そ、そうですかあ……」と返してきた。


「残ってる方は、更科さんに、扇さんですね……更科さんは先程出かけてらっしゃいましたから、今は留守かと思います」

「ありがとうございます。なら扇さんに……」

「扇さんは、ちょっとだけ待ったほうがいいと思います」


 野平さんにきっぱりと言われて、私は思わず首を捻ってしまう。


「お菓子を渡すだけですけど……」

「ええっと……扇さんは小説家なんですけど……その、すぐにスランプ? 書けない書けないって苦しみ出す奴になってしまうんで、扱いがひび割れガラスみたいな方なんです」

「はあ……」


 取り扱い注意物ってことなんだろうけれど、ひび割れガラスみたいな人なんて言い方は初めて聞いた。

 野平さんはパタパタとポットを取ってくると、コーヒーを淹れはじめた。


「先程から、扇さん唸り声を上げてらっしゃいますから、もうちょっと落ち着いてから行ったほうがいいですよ。よろしかったら飲み物でも飲んでから行ってください。ちなみにコーヒーにはなにを入れますか?」

「はあ、ありがとうございます……ええっと、私普段は牛乳入れてるんですけど」

「わかりました。牛乳取ってきますね」


 そう言いながら、小さな冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、私にコーヒーを出してくれた。ちょっと独特のテンポの人だけれど、いい人なんだと思う。

 私は「ありがとうございます」と言いながらコーヒーを飲む。その間も野平さんは注文していたらしい花を冷蔵庫に入れたり、ハサミで花の茎先を切ったりと忙しそうにしていた。花屋さんって花に囲まれていて優雅なイメージがあったけれど、水にはたっぷり触るし、結構重そうなバケツは運ばないと駄目だしで、こちらが思っている以上に大変そうだ。

 それにしても。


「あのう、私だけコーヒーをもらうのも難ですから、私が扇さんのお仕事終わるのを待つまでの間だけでもいいですから、野平さんも休憩しませんか?」


 私にだけコーヒーを出してくれたのが申し訳なくて、そう声をかけたけれど。

 野平さんときたらあからさまにビクンッと肩を反応させて、固まってしまった。


「わ、私はいいですよ? 大丈夫です。先程休憩取りましたし……」

「ええ? でも……」

「本当にお気遣いなく! 私は大丈夫ですから!」


 野平さんはおっとりした人だと思っていたのに、存外に語気荒くまくし立ててくるので、私も目を白黒とさせてしまう。


「はあ……なら、わかりました」

「はい」


 私が諦めた途端に、野平さんはおっとりマイペースな雰囲気に戻ってしまった。

 今のはいったい? とりあえず私はしばらくは花屋のカウンターでコーヒーをいただいてから、扇さんのお仕事が終わるのを待っていた。

 ……先程からずっと天井から唸り声が聞こえてくるけれど、もしかして、これがスランプが原因という奴なのかな。


****


 私は野平さんに「コーヒーごちそうさまでした」とお礼を言ってから、引き続き扇さんに挨拶に行く。チャイムをブーと鳴らすと、扉の向こうからカシャンとチェーンを外す音が響いた。そして、ギギギと扉が開いた。


「ああ、君か」

「はい?」


 なぜか初対面とは思えない変な間を取られて、私は思わず変な声を上げる。

 出てきた人は、丸眼鏡に作務衣。人の考える小説家というイメージそのまんまの人だった。部屋の向こうは座椅子に和机という、これまた教科書の端っこのコラムに出てきそうな文豪スタイル。なによりも驚いたのは。


「……今時、手書きですか?」

「私もパソコンで書いて送ったほうが楽だと思うんだけどねえ。編集たちと来たら『先生の字には味がありますから、これをパソコンでなくしてしまうのはもったいない』と、デジタル移行させてくれないんだよ」

「はあ……お疲れ様です」

「まあいいこともある。原稿が埋まらなくってイライラしたとき、パソコンに八つ当たりしたらデータが飛んでしまうけれど、原稿用紙を丸めたりビリビリ引き裂いたりベシンベシンと踏んづけたとしても、それで気が晴れるし気分も切り替えられるからね。物は考えようだよ」

「はあ……」


 小説家がなるというスランプというものはよくわからないけれど、原稿用紙を破いたり丸めたりするのって本当にするんだ。踏んづけたりするのはよく知らないけど、扇さんなりのスランプ脱出法らしい。

 私がしばらく玄関に立ち尽くしていたら、「それで三葉くん」と呼ばれて、私はあれっとまたしても首を捻ってしまう。


「私、名前名乗りましたか?」

「花子さんのお孫さんで、しばらくはまほろば荘の世話をしてくれるんだろう? 祖母孝行はいいものじゃないか。できる間に大切にしてあげなさい」

「はあ……ありがとうございます」


 この人ずっと小説を書いてたし、それこそ野平さんところにいる間、ずっと唸り声を上げていたから部屋にいただろうに。どうしておばあちゃんがしばらくいないことも、私が大家代行をすることも知っているんだろう。

 どうしてなのか聞いたほうがいいのかなと思ったけれど、扇さんと来たら、私が持ってきた黒糖饅頭に目が釘付けだった。


「ええっと……食べますか?」

「いただこう。執筆活動に疲れたら甘い物がいいよ。ついでに玉露。あとまほろば荘の近くのコンビニに着払いで宅配便を頼めないかな?」

「……おばあちゃん、いつもそうしてたんですか?」

「してくれなかったよ。『自分の足で歩ける内は歩かないと、かかしになってしまうよ』と怒られていたもんさ」


 もしかしなくっても、扇さんはただの出不精で、おばあちゃんに叱られていただけか?

 考えた末、私は「下からずっと唸り声聞こえてましたよ」と注意をしながら、お湯を沸かして玉露を淹れてあげることにした。先程野平さんにコーヒーを淹れてもらったお礼を、扇さんにしておこう。

 扇さんは座椅子であぐらをかいてのんびりとしている。


「いや、ありがとう。まほろば荘の女性陣は皆冷たいから、久々の優しさが染み渡るよ」

「そりゃどうも……でも女性陣って? おばあちゃんと野平さん以外にもいらっしゃるんですか? 日吉さんは男の人ですし」

「いるよ。今日は休日出勤だけれど、更科さんが」

「まあ……ああ、そうだ。私、挨拶回りに行っているんですけど、先程日吉さんは撮影で出かけましたし、更科さんはいらっしゃらないとしたら、おふたりはいつ戻られますか?」

「用事を頼まれてくれるかな?」

「……」


 これは「用事してくれたら教えてあげる」という奴なのか。それとも「用事している間に帰ってくるだろう」と言っているのか、どっちだ?

 出不精の扇さんを思わずジト目で睨んでしまうけれど、できれば挨拶回りは今日中に済ませてしまいたいなあと思う。だって明日は平日だし、私も学校がある。そうなったら次の週末まで挨拶ひとつできず、大家の部屋に不審者がいるって言われかねない。根回しは大事だと思う。


「……わかりました。コンビニでいいんですか?」

「頼むよ。受け付けてくれている宅配会社は、ここの……」


 ひとまず玉露を淹れて出してあげると、扇さんは大袈裟なほど喜んでくれた。


「いやあ、花子さんの淹れてくれた玉露も美味いけど、三葉くんの淹れてくれたものも美味いねえ!」

「いや、普通に淹れただけですけど……」

「謙遜しなくていいさ。玉露というものはね、美味く淹れるのにはコツがあって、わかっていてもこれがなかなかできないものなんだよ」

「……なんでもいいですから、封筒くださいよ。行ってきますから」


 持たせてくれた封筒はズシリと重く、なるほど、この人は本当に小説を書いてたんだなと納得した。受け取った伝票の字は、まるでパソコンで打ったフォントのように綺麗だ。汚い癖字だったらいざ知らず、これだけ綺麗な字だったら、たしかに手書き原稿くれってなるかもしれない。

 仕方なく私は「それじゃあ行ってきますね」と頭を下げて、扇さんの封筒を手提げ袋に突っ込む。

 扉を閉めるとき、扇さんのポツンと呟いた言葉が耳に飛び込んできた。


「さてさて、これが吉と出るか凶と出るか……」


 ……なんの?

 扇さんとしゃべっていて、どうにもペースが掴めない人なのに何度も首を傾げながらも、ひとまずコンビニに出かけることにした。

 ここの店子さんたち、癖が強過ぎやしないかと、そう思わずにはいられなかった。

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