第5話 地下格闘技

「なんでこんなことに……」


 嘆きをそのまま口にする史季が立っている場所は、地下格闘技場のリングの上。

 史季が立つ青コーナーの反対側――赤コーナーには、Tシャツにハーフパンツという、動きやすい服装という意味ではジャージ姿の史季と似たり寄ったりの、茶髪の男が立っていた。


 不良というよりはお調子者という風体をした茶髪が「応援よろしくぅ!」と観客ギャラリーはやし立てる中、史季はリングに立つハメになった経緯を思い返す。



「僕にリングに立てって言うの!?」



 悲鳴じみた声を上げる史季に、アリスは事もなげに「はいっす」と答える。


「それがぼくの、折節先輩への〝お願い〟っす」

「いやいや待って待って、さすがにこんな危険なことやらされるなんて聞いてないんだけど!?」

「そりゃそうでしょ。だって言ってないっすもん」


 またしても事もなげに言うアリスに、史季はいよいよ閉口してしまう。


「そんな心配そうな顔しなくても、折節先輩なら大丈夫っすよ。見た目と違って詐欺みたいに強いし、そもそもこの地下格闘技場は、勝てる奴がいないからって獅音兄を出禁にする程度のレベルっすから」


 だからアリスは、会員証が生きているかどうかは賭けだったと言っていたのかと、得心できたことはさておき。

 斑鳩が出禁をくらった話にはちょっと興味を引かれるものがあったので、抗議を中断して質問を投げかけてしまう。


「斑鳩先輩も地下格闘技場ここの試合に出てたの?」

「はいっす。知ってのとおり、獅音兄は周りから〝ケンカ屋〟なんて呼ばれちゃうくらいのケンカ大好き人間っすからね。こんなケンカし放題な場所があるって知ったら、そりゃ~ほっとくわけがないっすよ」

「それはまあ、そうだろうけど……斑鳩先輩は、どういう経緯でこの場所を知ったの?」


 途端、アリスの表情が露骨にムスっとする。


「当時獅音兄と付き合ってた、ギャンブル狂いの女に教えてもらったからっす」


 アリスが突然不機嫌になった理由を、得心できたことはさておき。

 斑鳩の〝ケンカ屋〟とは別の渾名――〝マインスイーパー〟に恥じない地雷女の引きっぷりに、史季は思わず顔を引きつらせてしまう。


「とにかく、獅音兄はケンカしたさに地下格闘技場ここに出入りするようになって、獅音兄一人だけだと何やらかすかわからないということで、ぼくとも付き合うようになったってわけっす」

翔兄しょうにい?」


 聞き慣れない名前に思わず反応する史季に、アリスはコクリと首肯を返す。


服部はっとり翔って名前で、ぼくと獅音兄の幼馴染で、実質斑鳩派のナンバー2になるのが翔兄っす。あ、翔兄は他の人らと違ってケンカ好きでも何でもないから、ケンカ売られる心配ならしなくていいっすよ」


 斑鳩派のナンバー2という言葉を聞いて不安が顔に出てしまったのか、アリスはフォローするように付け加えた。


「それに、折節先輩とケンカしたい人はみんな獅音兄にから、獅音兄以外の斑鳩派が折節先輩にケンカを売ることは、絶対にないと思っていいっすよ」


 夏凛が「斑鳩派に限ればもうケンカ売られる心配はない」と言っていた上に、史季自身もそうだろうとは思っていたが、それでも、こうして斑鳩派の人間に明言してもらえたことは、史季にとっては朗報だった。


「話を戻すっすけど、獅音兄にとってこの地下格闘技場は、出禁になってもそこまで惜しくはないって程度のレベルっす。その獅音兄がタイマンしたくてたまらないってレベルの折節先輩なら、大丈夫っつうかむしろ余裕って感じのレベルっす。てゆうか、そうでないとぼくが困るっす」


 最後の言葉を聞いた瞬間、史季は、理解したくもないアリスの〝お願い〟の全容を理解してしまう。


「僕が試合に出て、その僕にアリスちゃんが賭けることで、斑鳩先輩のプレゼント代を稼ぐ……アリスちゃんの〝お願い〟って、つまりはそういうことだよね?」

「だ~いせ~いか~い❤ 折節先輩見た目はクソザコだから、賭け率オッズが高くなってボロ儲けできると思うんすよね~❤」


 もう勝った気でいるアリスの目は「¥」になっていた。

 そこまで信頼してもらえるのは、そう悪い気分ではないが、その信頼が泡銭あぶくぜにを稼ぐためであることを考えると(なんだかなぁ……)と思わずにはいられない。


 兎にも角にも、こうして史季は地下格闘技場の試合に出場するハメになった。

 運営スタッフに控え室に案内されるも、アリスにあれだけクソダサいと言われた芋ジャージに着替えて登場リングインしようものなら、物笑いの種になる予感しかしなかったので着替える気にはなれず。

 窃盗が起きることが当たり前になっているのか、軒並み鍵が破壊されたロッカーに貴重品を保管する気にもなれず。

 使いみちが見当たらない控え室をさっさと後にした史季は、多少以上の不安を覚えながらも、財布とスマホ、クソダサジャージの入った紙袋をアリスに預け……現在、こうしてリングの上で茶髪の男と相対していた。


「なんでこんなことに……」


 再び、嘆きをそのまま口にする。

 負けたらその時点で終わりだが、勝ったら勝ったで最大五回まで連戦が可能であることは、運営スタッフから説明を受けている。


 可能という言葉からもわかるとおり、連戦するかどうかは勝者の意思に委ねられているわけだが、アリスからは当然の如く五連勝するよう言い含められているため、史季の意思でリングから下りることはできない。

 本当に「なんでこんなことに」と思わずにはいられなかった。


 そうこうしている内に、天井のそこかしこに吊り下げられている無数のモニターに、史季と茶髪のオッズが表示される。

 会員証を用意する程度にはしっかりとした運営なだけあって、名前を表示するような無配慮はやらかしておらず、コーナーの色で選手を区別する形でオッズが表示されていた。


 オッズは茶髪を表す赤が一・四倍に対し、史季を表す青は三・一倍になっていた。


 途端、史季のはるか後方――観客の中に埋もれているアリスの「キタ――――っ!!」という黄色い声が聞こえてきたことはさておき。

 見た目がお調子者っぽいとはいえ、明らかに不良だとわかる風体をしている茶髪に対し、史季はケンカなんてろくにしたことがなさそうな一般人パンピーにしか見えない。

 そんな人間がリングに上がる姿は、観客の目には、肉食動物の檻に放り込まれた草食動物のように映ったことだろう。

 当の史季も、オッズが偏るのは仕方ないと思っているくらいだった。


「両者! 準備はいいな!」


 リング中央にいる審判が、史季と茶髪に向かって声を張り上げる。


 これがちゃんとした格闘技の試合ならば、史季たちは一度リング中央に集められてルールの説明を受けていたところかもしれないが、今から行われるのは格闘技は格闘技でも頭に〝地下〟が付く格闘技。

 運営からは、相手の意識を絶つかギブアップさせたら勝ちであることと、武器の使用を禁ずることは説明されているが、それ以外は何も禁止されていない、何でもありのデスマッチ。


 だから審判は何の説明もせずに、ただ一言、


「始めッ!!」


 と叫ぶと、さっさとリングの外へ退避していった。


「よーしお前ら! 俺っちの雄姿、とくと焼きつけろよ!」


 茶髪が見た目どおりに調子に乗った宣言をかましてから、青コーナーの傍でボサッと突っ立っている史季に突貫してくる。


「おぉおおぉおおりゃぁあああぁッ!!」


 叫びながら繰り出してきたのは、大振り全開のテレフォンパンチ。

 夏凛とのスパーリングごっこに加えて、不本意ながらも数多くの実戦ケンカを経験してきた史季にとって、当たる方が難しいくらいのお粗末なパンチだった。


 史季は、半身になってパンチをかわしながら思案する。

 茶髪の強さは、史季とアリスがこの地下フロアに足を踏み入れた際に試合を行っていた、ボクサーパンツの男と胴着の男よりも明らかに見劣りしていた。

 そのことを鑑みると、史季を見た運営が「こいつは弱い」と判断し、その弱い奴と試合が成立しそうな程度に弱そうな茶髪を、対戦相手としてあてがったといったところだろう。


 などと考えている間にも茶髪は次々とパンチを繰り出してくるが、史季はその全てを易々とかわしながらも思案を続ける。


 ただ茶髪に勝つことは、そう難しくない。が、あっさりと勝ってしまったら、次の試合では運営が強い相手をあてがってくるかもしれない。

 アリスはこの地下格闘技場について「折節先輩なら、大丈夫っつうかむしろ余裕って感じのレベル」と言っていたが、正直鵜呑みにする気にはなれない。

 五体満足で五連勝するには作戦が必要だ。


(一年最強決定戦が終わってからも、何か良い初見殺しはないか考えてみたけど、結局何も思いつかなかった。けど、小日向さんが言うには、僕のキック力は初見殺しとしてはけっこう機能しているという話だから……)


 今相手をしている、わざわざ初見殺しなんてする必要がない茶髪には、キックを使わずに勝つのが得策というもの。

 キック力という初見殺しを温存できることに加えて、ここで多少手こずってみせることで運営にこちらの強さを誤認させ、次の試合もあまり強くない相手をあてがってもらえるかもしれない。


 それに、こういう時のために特訓を続けてきた、パンチを試す相手としてもちょうど良い――などとはさすがに思わないが、強い人を相手にぶっつけ本番でパンチを試す度胸は史季にはないので、内心で失礼を詫びながらも、あまり強くない茶髪を相手にパンチの実戦投入を決意する。


「クソがぁッ! ちょこまかとッ!」


 攻撃が当たらなさすぎて苛立ってきたのか、茶髪のパンチがますます大振りになっていく。


 頃合いと見た史季は、顔を傾けるだけでパンチをかわすと同時に、しっかりと握り締めた右拳を茶髪の左頬に叩き込む。

 史季自身、狙ってやったわけではないが、お手本のようなクロスカウンターだった。

 だったから、一撃で意識を刈り取られた茶髪は、くずおれるようにリングに沈んだ。


「……え?」


 思わず、呆けた声を漏らしてしまう。


「勝負あり! 勝者、青コーナー!」


 審判が史季の勝利を宣言する中、


「マジかよ!?」


「クソが! 見た目に騙された!」


「俺の一万がぁああぁあぁぁッ!!」


 茶髪に賭けていた輩どもの怨嗟の怒号が、フロア中に響き渡った。

 そんな中、


「や~ったやった~っ!!」


 狂喜乱舞するアリスの叫びが、いまだ自分が勝ったことを飲み込めないでいる史季の耳に、いやによく響いた。

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