第21話 ほんの始まり

 どれほどの時間が経っただろうか。

 天を切り裂く漆黒の巨刃が消失していく。

 そんな中で、刀を振り切った姿勢のまま、切臣はまるで時が止まったかのように固まっていた。


「はぁ……はぁ……ぜっ……」


 しかしやがて硬直も解け、少年は息を荒けてその場に膝を着く。手にした黒刀を杖代わりにして、どうにか倒れ込むことだけは堪えた。


 自身の握り締める刀へと視線を送る。

 赤黒い輝きを放つ刀身は、まだ暴れ足りないとばかりに、主たる魔剣士を見返していた。




 夜叉綱やしゃつな

 それこそがまさしく、黒野切臣が保有するこの魔剣のである。

 能力は『込められた魔力の増幅と放出』。刀身に注ぎ込んだ魔力を何倍にも増幅し、黒い刃として外へと放出するというもの。

 切臣にとって言うなれば外付けのブースターのようなものであり、込めた魔力量が多ければ多い分だけ、放出される刃も無限に大きくなる。




 切臣は自身の持ち得る魔力を、ありったけ込めて打ち放った。その結果、魔力の刃は数千の血槍瀑布を全て呑み込み、高く天に届くほどに巨大化したのだ。

 もし市街地で使用していれば、確実にビルの数棟は斬り飛ばされて大惨事になっていただろう。

 そう言う意味では、ここが上空に遮蔽物のない山の中で良かったのかも知れないと、切臣はぼんやりと考えていた。


「加減のやり方、覚えねえとな。こんなもんポンポンぶっ放してたら地形変わっちまう……」


 切臣は薄ら笑いを浮かべて呟いた。


「切臣、大丈夫!?」


 背後に座り込む蓮華が切臣に問う。

 同じくして、ようやく群がるアンデッドを殲滅したうづきが、こちらに駆けつけてきた。


「お嬢様、ご無事ですか!?」


 彼女らしからぬ切迫した様子で、蓮華の安否確認をするうづき。蓮華はそれに頷きながら、


「私は平気。でも切臣が……」


「俺も問題ねえ。それより、まだ気を抜くな」


 肩で息をしながらも、切臣は油断なく前方を見る。

 巻き上げられた土煙と残光で霞んだ視界が、徐々にクリアになっていく。


 これほどの規模と威力の攻撃である。

 如何な十三貴族とて、無事で済むはずがない。

 それでも三人は固唾を飲んで、ジュリアスのいた場所を睨んでいた。




「……やってくれるじゃねえかぁ」


 やがて、蛇のように粘着質な声が切臣たちの耳に聴こえてきた。

 視界が晴れる。果たしてそこにいたのは、


「まさか血槍瀑布を纏めて消し飛ばすとはなぁ。腕も片方どっか行っちまったし、散々だぜ全くよぉ」


 槍を手にしていた右腕を根本から失い、夥しい鮮血に塗れた破滅のジュリアスが、されど依然として凄絶な笑みを浮かべて立っていた。

 切臣が忌々しげに表情を顰める。


「ジュリアス……ッ!」


「でも残念だったなぁ。確かにすげえ一撃だったが、俺様を殺すまでは至ってねえ。おまけにその様子じゃもう魔力はスッカラカンみてえだし、どうやらここまでみてえだなぁ?」


 ジュリアスの言葉は的を射ていた。

 切臣は夜叉綱の能力発動にありったけの魔力を注ぎ込んだため、空っぽのガス欠状態である。手酷くやられた出血も含めて、もはや意識を保つだけで精いっぱいな有り様だ。

 確実に倒し切るための判断だったが、完全に裏目に出てしまった。


「いやあ、実際惜しいところまで行ったと思うぜぇ? こんなに焦らされたのは何十年ぶりだろうなぁ。腕が残ってりゃあ、拍手の一つでも贈ってやりてえくらいだぜぇ」


「強がってんじゃねえよ。テメェだってその傷、もう限界だろうが」


 と、切臣は吐き捨てるように言う。

 半ば希望的観測も込められている響きだが、ジュリアスはその言葉を酷くあっさりと肯定した。


「確かになぁ。さっきの血槍瀑布は本気の本気だったし、そうでなくてもこの傷じゃあもうまともに戦うのは無理だなぁ。……でもよぉ」


 その時、またしても暗黒回廊が開き、アンデッドたちが大挙として押し寄せてきた。

 うづきが蹴散らした数と同じかそれ以上に多いそれらは、あっという間に切臣たちを取り囲む。


「ボロ雑巾みてえなお前らぶち殺すのに、わざわざ俺様が身体張る必要ねえよなぁ? こいつら下っ端共に嬲り殺しさせりゃあそれで済む話なんだよぉ!」


「テメェ!」


「恨むんなら俺様を殺し損ねた自分を恨むんだなぁ! そら、楽しい楽しい虐殺ショーの始まりだぜぇ!」


 ジュリアスが告げると、アンデッドたちが一斉に切臣たちに向かって猛然と襲いかかった。

 三人はどうにか迎撃体勢を取ろうとするが、ろくに身動きもできないこの状況ではあまりに多勢に無勢。


 迫り来る暴威に、切臣は思わず目を閉じる。

 しかし、




「━━いや、悪いがもう時間切れだ」




 次の瞬間、轟くような雷光がアンデッドたちに降り注いだ。

 猛威を振るう電熱によって亡者の大群は瞬く間のうちに焼き焦がされ、全てが灰に還っていく。


「なっ……!?」


 白髪の少年が目を剥いた。

 切臣たち三人は弾かれたように、声のした方向へと振り返る。

 黒い球体に閉じ込められていたはずの竜宮寺厳志郎が、サングラスを指で押し上げながら、堂々たる佇まいでそこにいた。


「お爺ちゃん!」


 蓮華が安心したように叫んだ。

 厳志郎は軽く手を挙げて、その声に応じる。


「やあ蓮華、それに切臣くんとうづきも。済まなかったな。奴の結界が想像以上に頑丈だったもんで、破るのに苦労した」


「にしても、もう少し早くに出てきて頂きたかったものですが……」


 うづきが小声で毒づく。

 だけどやはりその口調には、多分に安堵の色が含まれていた。


 一方の切臣はと言えば、厳志郎の魔術により一瞬で消滅させられたアンデッドの様子を見渡して、ぼんやりと呟いた。


「すげえ……」


 あれだけの数を一瞬のうちに蹴散らし、尚も余裕綽々の様子で涼しい顔をしている厳志郎。その圧倒的な実力の片鱗を肌で感じ取って。


 これが、竜宮寺家当主の実力。自分たちの頂点に君臨する存在。

 切臣はゴクリと喉を鳴らした。


「オイオイオイふざけんじゃねえぞぉ! 計算じゃあと一時間は足止めできる設計だっただろうがぁ! まだ三十分も経ってねえぞどうなってやがる!?」


「貴様の計算よりも、私の技量の方が上だっただけの話だろう」


「……ッ!」


 憎々しげにジュリアスは舌打ちをする。

 厳志郎は切臣たちを守るように前に出て、十三貴族と対峙した。ピリピリとした張り詰めた気配が夜の山道に漂い始める。


「破滅のジュリアス。風情が、よくもまあ舐めた真似をしてくれたものだな。私の可愛い孫と弟子たちを痛め付けてくれた罪は重いぞ」


「まんまと出し抜かれたくせに、偉そうなこと抜かしてんじゃねえよぉ。このモンペが」


「それはお互い様だろう。格下だと侮っていた相手に手痛い反撃を受け、片腕まで吹き飛ばされた。その無様な姿で私を笑えた義理かね。あと私はモンスターペアレントじゃない。どちらかと言えば放任主義だ」


「どうでもいいわンなもん」


 減らず口を叩きながらも、ジュリアスが焦っているのは傍目からも見て取れた。

 ニヤニヤとした薄ら笑いは鳴りを潜め、全神経を厳志郎の一挙手一投足に集中させている。その様はまるで手負いの狼だ。決して油断してはならない。


 そう理解しているのか。竜宮寺厳志郎が、その全身に紫電を纏い始めた。


「さて。いかにの貴様であろうと、このまま放置するのは少々厄介だ。ここで狩り取らせてもらうぞ」


 厳志郎が一歩近づくと、その分ジュリアスは一歩引き下がる。

 ほぼ満身創痍の十三貴族と、全く無傷のブラック級魔術師。

 勝敗は火を見るよりも明らかだ。そのことを分かっているからこそ、彼も苦い顔をしているのである。

 しかし、やがて何かに気がついたように目を見開くと、再び口角を不気味に吊り上げた。




「一手遅かったなぁ、ブラック級魔術師さんよぉ。こっちも時間切れだぁ!」




 ジュリアスが声高に言い放つ。

 途端、彼を中心にして正体不明の青い炎が勢いよく燃え上がった。


「これは火炎……いや、空間転移か!」


 炎に巻かれた厳志郎が驚いたように叫ぶ。

 ごうごうと燃え盛る蒼火の向こう側から、ジュリアスの忌々しい高笑いが聴こえてきた。


『仕方ねえ、今回は俺様の負けってことにしといてやるよ。さすがにこの状態で竜宮寺厳志郎とやり合うのは得策じゃねえからなぁ』


 分厚い炎のカーテンに遮られ、あちら側の様子が何一つ窺えない。白髪の少年の声だけがまるでエコーみたいに、頭の中に直接響いてくるのだ。


『だが忘れんなよ。これで終わりじゃねえ。ここにいるテメェら四人とも、俺様の獲物確定だぁ。特に魔剣士のガキと竜宮寺のメス、確か黒野に蓮華っつったなぁ? テメェらは必ずこの俺様が直々に喰ってやるから覚悟しやがれ』


 やがて火の手が弱まり、光景が露になる。そこにはもうジュリアスの姿は影も形も見当たらなかった。

 最後に捨て台詞の如く、耳障りな声がもう一度だけ残響する。




『忘れんな。これは、ほんの始まりだ』




 それきり、声はもう聴こえなくなった。

 周囲を満たしていた異様な空気は完全に立ち消え、虫の鳴く音だけが木霊する元の山道に戻っていた。




「逃げた、のか……」


「そのようだな」


 切臣の独り言を厳志郎が拾う。

 それを受けて、切臣はようやく大きく息を吐いて、その場にへたり込んだ。


「つ、疲れた……てか身体中が痛え……」


 緊張が解けたことで、忘れていた疲労や全身の激痛が一気に押し寄せてきて、急激に力が抜けていくのを感じる。

 比喩抜きでもう一歩も動けそうにない。そんな彼の背中に、ぽすん、と何かがもたれかかってきた。


「蓮、華……?」


 後ろを振り返ると、自らの背に蓮華がしがみつき、顔を埋めているのが見えた。

 同じくして、しゃくり上げる声も耳に届く。蓮華は切臣の外套マントをぎゅっと強く握り締めながら、嗚咽混じりの言葉を発した。


「良かった……良かったよぉ……切臣が生きてる……生きてる……」


「蓮華、お前……」


「ほんとに心配したんだから……切臣が、今度こそ本当に、し……死んじゃうんじゃないかって……私、ほんとに……」


 それきり、たださめざめと泣くだけになった蓮華を、切臣は黙って見つめる。

 やがて肩に添えられた彼女の手に、そっと自らの手を重ねながら、


「心配かけちまってごめんな。でも大丈夫だ、俺はちゃんとこうして生きてるから」


 安心させるように優しい口調で言う。

 蓮華は涙のあまりその言葉に応えられず、代わりに切臣を掴む手を更に強くした。


「えー、おっほん」


 と。そこで、実にわざとらしい咳払いが一つ。

 切臣が慌ててそちらを見ると、竜宮寺厳志郎が妙に生暖かい笑顔を浮かべながら、こちらを見下ろしていた。

 ちなみにその傍らではウサミミメイドが、殺意マシマシの眼光を向けてきている。


「仲が良いのは結構だが、できればそういったことは私がいないところでやってもらいたいものだな」


「不純異性交遊の現行犯ですね。これはもう死刑です極刑です間違いなく」


「あ、いや! 違うんです違うんです! 俺と蓮華は別にそういう関係じゃ……」


 顔を赤くしながら慌てて弁解しようとする切臣。

 しかし最後まで言い切るよりも前に、例の六丁拳銃を展開したうづきが、こちらに銃口を突きつけて言い放った。


「言い訳は見苦しいですよ。眉間か心臓どちらを撃ち抜かれたいか選ばせて差し上げますので即座に決定してください」


「選べるか!」


「ではどちらもということでよろしいですね?」


「良いわけねえだろ! おい、蓮華もそろそろ離れてくれよ!?」


「やだ……もうちょいこうしてる……」


「……何かお前、ちょっと幼児退行してねえか?」


「してないもん……」


 どう見てもしてる。

 切臣にしがみついたまま動こうとしない様は、まさに甘えたがりの子供そのものである。

 敬愛する主のそんな様子を目の当たりにしたうづきは、ますます額に青筋を浮かべながら、


「なるほど、全身蜂の巣コースをお望みでしたか。それならばそうと早く言ってくだされば……」


「何も言ってないよ俺? 勝手に捏造すんのやめてくんない?」


「ではただちにそこを退きなさい。というか私と交代しなさい」


「急に我欲が出たなお前!?」


 そんな感じで騒ぐ切臣たちを眺めながら、厳志郎はくつくつと笑い声を零した。


「まあ三人とも、思ったより元気そうで何よりだよ。仮にも十三貴族の一角と戦ってそのテンションを維持できるのは大したものだ。それに」


 そこで言葉を区切り、意味深な目線を切臣に配る。


「魔剣も無事、使えるようになったようだしな」


「……気付いてたんですか?」


「ただの勘だよ。何となくそんな気がしただけさ」


 飄々と語る厳志郎の本心は分からない。

 底が見えないその様子に、切臣は改めて畏敬の念を覚えた。


 一体、彼にはどんな景色が見えているのだろう。


 そんなことを漫然と考える少年に、ロマンスグレーは優しく微笑んで言った。


「ともあれ、だ。さすがに今日はもう疲れただろう。色々と想定外なこともあったし、早く帰ってゆっくり休むことにしようか」


 厳志郎の言葉に、切臣は一も二もなく頷く。


「は、はい! ……あ、でも」


「どうしたのかね?」


 頭に疑問符を浮かべる厳志郎を尻目に、切臣は視線を横にずらした。

 そこには未だ明々とした炎を伴って燃え続けている高級車の哀れな残骸が、これでもかとばかりに横たわっている。


「俺たち、今からどうやって帰るんですか?」


「…………………………」


 厳志郎の表情も、ほんの少しだけ引き攣っていた。






************************


続きは明日の20時に投稿します。

次回で第一章最終回です。


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