薔薇庭園の謎 前編

 ルツィ伯爵は、時折さまざまな人を招待しては食事をともにし、話をするのが好きなタイプの人間である。

 招待客は、最近売り出し中の舞台俳優から冒険者に聖職者、同じ貴族まで本当に様々だ。

 今回の招待客は、フランバウル男爵の名代として息子のギリス・フランバウル。

 最近王都近郊を荒らし回っていた盗賊団を退治した冒険者のビリィ・マーケンズ。

 貿易商のレッドフォーケル夫妻。

 女優のシシリー・コンウォール。

 招待客は、以上六名であった。

 ここに主催者のルツィ伯爵が加わる。


 ルツィ伯爵は、若い頃に妻と息子を亡くしており独り身である。


 晩餐会は始まってしまえば恙無く進み、アルコールも入って主催者ホストも客達も陽気に会話を交わした。

 というのも、主催者が急な用が出来てしまい、晩餐会に遅刻したのである。

 それは彼だけではなかった。

 冒険者のビリィも、冒険者ギルドでの報告書類に手間取ったため時間に遅れるという失態を犯してしまう。

 さらにシシリーも、なにやら馬車の手配に行き違いが出て予定の時間より到着が遅れてしまったのだ。

 ビリィとシシリーは、貴族の家の晩餐会に招待されておきながらこの失敗に大いに落ち込んでしまった。

 きっと主催者をカンカンに怒らせてしまったに違いないと考えた。

 しかし、主催者は寛大な心の持ち主で、二人の遅刻を笑って許してくれた。

 なんなら、持ち帰ってきた大きな荷物とともに一番最後に現れた伯爵は、


「いやぁ、主催者だけが遅れてきて恥をかくという事態は免れました」


 と述べたほどだった。

 そんなトラブルがあったものの、元々参加者がそこまで几帳面な性格の者ばかりではなかったし。

 待っているあいだ、貿易商夫妻とギリスは三人で噂に名高い薔薇庭園の散策を楽しめたのだから、悪いことばかりでもなかった。

 こんな庭を、想い人と一緒に歩けたらさぞ幸福だろうな、という会話をギリスは貿易商夫妻と交わしあった。


 さて、アルコールも手伝って、晩餐の会話は盛り上がっていた。

 ギリスだけはアルコールはあまり得意では無い。

 そのことを伯爵は知っていたので、彼には伯爵領特産の果物を搾って作ったジュースが供された。

 なんと、彼のためにわざわざ用意してくれたというのだ。


「お口に合うと良いのですが」


 伯爵がそう言ってきたので、ギリスは遠慮なく答える。


「とっても美味しいです!!」


 その返答に伯爵は満面の笑みを浮かべた。

 そして、


「私の息子も生きていれば君とちょうど同い年で、きっと良い友人になったことでしょう。

 今日は息子の分も存分に楽しんでいってくれると嬉しいです」


 なんて言われてしまう。

 ギリスにしてみればかなり重い言葉であった。

 しかしそれ以上にジュースが美味しかったので、笑顔で頷いた。

 伯爵は満足そうに笑顔を浮かべると、また貿易商夫妻との会話に戻る。


 レッドフォーケル夫人が伯爵へ話題を振った。


「そういえば、伯爵はまた人に慈悲の手を差しのべられたとか」


 ルツィ伯爵は最初疑問符を浮かべていたが、やがて意味を理解して、


「あぁ、雑用係のことですね」


 なんでも、伯爵は行き倒れていた人を助けたのだが、この人が意外にも使える人物だったので雑用係として雇ったらしい。

 その会話を、ギリスは右から左へ聞き流す。

 ジュースを飲みつつ、ギリスは普段興味を持ちつつも、直に話すことのできない職業の者達、冒険者のビリィと女優のシシリーから様々な話を聞いていた。

 それは、少年なら誰もが心躍る冒険譚であったり、また舞台の制作裏話であったりした。

 ギリスの両隣がビリィとシシリーだったことも会話が弾んだ要因である。

 テーブルが円卓だったのだ。

 主催者のルツィ伯爵は、貿易商のレッドフォーケル夫妻と小難しい話で盛り上がっている。


「そういえば、盗賊の首領はまだ見つかっていないとか」


 女優のシシリーが、ビリィへ言った。

 言葉を受けたビリィが答える。


「あぁ、そうなんだ。

 すんでのところで逃がしちまってね。

 全く、逃げ足だけは早いコソ泥だったぜ」


 話題に出た盗賊というのは、ビリィが最近壊滅させた盗賊団の事だろう。


「襲った村の女たちは見境なく乱暴して殺してた、ゲス野郎だ。

 それにただ殺すだけじゃなく、悪趣味な野郎でな。

 襲った村の老若男女で気に入った奴の首を切り取って、アジトに持って帰って飾ってたんだ

 っと、お貴族様の前じゃ、ちと刺激が強かったな。それに言葉が乱暴だったか」


 ビリィはまだ子供のギリスを見て、それから貿易商夫妻と会話を続けているルツィ伯爵を見た。

 ルツィ伯爵は貿易商夫妻との会話に夢中で、こちらの話には欠片も耳に届いていないようだった。

 ギリスはギリスで、元々平民と近いところで暮らしてきた貴族だ。

 なんなら故郷の男爵領では、平民の子供たちとそう変わりなく遊んだり喧嘩したりして過ごしていたほどだ。

 それに、残酷な話なら物語で慣れている。

 自分の目でその凄惨な光景をみたわけではないし、人の口から語られたのならそれは、ギリスにとっては物語と大差無かった。

 だからギリスは、本当に欠片も気にしていなかった。

 そういった事情で慣れていたからだ。


「いえいえ、大丈夫ですよ」


 ギリスが返答した直後、ルツィ伯爵が貿易商夫妻との会話を終え、ビリィへ盗賊団を退治した時の武勇伝を話すよう求めてきた。


「貴方のような者を勇者、英雄と言うのでしょうな。

 実は、私の家族も所用からの帰りに馬車に乗っているところを盗賊に襲われ命を奪われました。

 だからこそ、思うのです。考えるのです。

 あの時、貴方のような方が居られたらどんなに良かっただろうか、と。

 せめてこの心の慰みに、盗賊団退治の話をして貰えないでしょうか」


 ビリィは、この申し出を快諾した。

 盗賊団を、仲間の冒険者たちと共に知恵を使い作戦を用いて襲撃し、一網打尽にした。

 それを面白おかしくビリィは晩餐会の主催者と客たちに話してきかせた。


「盗賊団の首領が、俺に負けず劣らずの大男でな、最後は俺と奴の一騎打ちってつもりだったんだ」


「けど、逃げられたのね?」


 シシリーがからかうように口を挟む。


「ほんとしてやられたぜ。

 新聞にも出てたから、その盗賊団退治がどうなったかは知ってるだろ?」


 ビリィは苦笑を浮かべて、盗賊団退治の話をした。

 盗賊団が根城にしていたのは、とある王都近くの山の中にある洞窟だった。

 そこに冒険者仲間と策を用いて急襲し、盗賊たちを討ち取っていった。

 洞窟の奥には首領がいるはずだった。

 ビリィが先に洞窟の最奥へとたどり着いたのだが、そこは既にもぬけの殻だった。

 よくよく調べてみると、横穴が掘られていてそこから首領は逃げたらしかった。

 ビリィはすぐ横穴に入り、首領を追いかけた。

 そして穴から出た時だ。

 爆風が彼を襲ったのだ。

 そう、盗賊団の根城が内側から爆発したのである。

 敵味方全員、この爆発に巻き込まれてしまい、結果的に生き残ったのはビリィだけであった。

 爆発の原因は、盗賊団が蓄えてたものの中に火薬があり、この騒ぎで引火したのだろうということだった。


 それから今日に至るまで、首領はまだ見つかっていないとのことだ。


「もう少し突入が早ければ捕まえられたのによ。

 というか、相当の剣の腕だと聞いていたから勝負するのが楽しみだったんだ。

 けど、不謹慎だな。

 仲間は全員死んじまって、偶然にも生き残った俺は英雄だなんだと言われてるんだ」


 話し終え、グイッとビリィはアルコールを煽った。

 そして、ルツィ伯爵を見た。


「そういや、玄関ホールに飾ってあった武器。

 アレ、全部伯爵様みずから集めたって話だが、本当か?」


 ビリィは、この屋敷に来てからずっと気になっていたことを聞いた。

 場の空気をかえるつもりでもあったのだろう。

 それはギリスも気になっていたことだ。

 この屋敷の玄関ホールの壁には、所狭しと国の内外問わずさまざまな武器が飾ってあったのだ。


「えぇ、本当ですよ。

 私の家族を殺した賊どもの首をいつかこの手ではねてやろうと、集めたものばかりです。

 手入れもしているので、いざと言う時には使用できるようになっていますよ」


「使えるんですか?」


 これにはギリスが反応した。


「えぇ、使えます。

 危ないですので、絶対に手は触れないでくださいね。

 使用人にも触らせていません。

 あの武器の管理は、私だけで行っています」


 言った後、伯爵はおどけて、


「赤く染まるのは、美しい花々だけで十分ですから」


 そう続けたのだった。

 晩餐会の後は、招待客たちは新聞にも載っていたように思い思いに過ごしていた。

 カードゲームをしつつ談笑したり、何度観ても飽きない薔薇庭園を散策したり、玄関ホールに飾られている武器を眺めたり。

 とくにギリスは、武器を熱心に眺めていた。

 あまりに熱心なので、控えていた執事が、


「薔薇庭園よりも熱心に見ていますね」


 と言葉をかけたほどだった。

 この時ギリスは、頬をポリポリかいて恥ずかしそうにこう言っている。


「えぇ、まさか【光の英雄王伝説】に出てくる聖槍が飾られているなんて思ってなくて。

 あそこに飾られているの、そうですよね?

 その横の剣は、神話に出てくる魔王が使ったとされる魔剣【グラルヴィティ】だし。

 あそこにあるのは、精霊の乙女が勇者に授けたとされている聖剣【ヴァンディルクス】だ」


「言い当てるとは、凄いですね。

 よほど物語がお好きなのですね?」


「あ、えと、まぁ、家の事情で少々嗜む程度です」


 事実、ギリスの父親がもしここにいたならもう少しマニアックな知識を披露していたことだろう。

 蓄えた知識量では父親の方がはるかに上だからだ。


「では、これもお気づきでしょう?

 ここにあるのは本物ではないことに」


「えぇ、そうですね。

 柄のデザインが、【王国御伽噺集】の初版に描かれていた挿絵と同じです。

 これは、挿絵を書いた絵師が空想で描いたものとして有名ですから。

 それにそもそも伝説上のものが、こんなに綺麗に残っているなら全部研究機関か博物館行きになって展示されているはずです。

 伯爵様なら自治領の博物館にでも飾っているはずですよ」


 そう言いつつ、武器鑑賞をしていたギリスだったがある事に気づいた。


「あれ?」


「どうされました?」


「あの、あそこにも武器が飾ってあったんですよね?

 でも、無い。

 手入れ中ですか?」


 ギリスは、天井に近い所を指さした。

 そこにも武器が飾ってあるはずだったのに、無くなっているのだ。

 長さからしておそらく剣と思われた。


 執事がギリスが指さした箇所をみると、あっというまに顔が真っ青になってしまった。

 そしてバタバタと、談話室に駆け込んだ。

 この時、談話室では貿易商であるレッドフォーケルと冒険者のビリィがカードゲームを楽しんでいるところだった。


 しかし、ルツィ伯爵の姿がなかった。

 なんでも、やり残した仕事を思い出したとかで、数分ほど前に執務室へ行ったらしい。

 執事が執務室へ向かおうとした時、タイミングよくルツィ伯爵が戻ってきた。

 事の次第を説明されたルツィ伯爵は、レッドフォーケルとビリィを談話室に残し、執事とともに玄関ホールへとやってきた。

 そして飾っていたはずの武器が消えていることを確認すると、先程の執事ほどではないが驚いていた。

 この時、レッドフォーケル夫人と女優のシシリーは、二人一緒に薔薇庭園の散策に出ていた。


「おい!!ここに飾ってあった武器を知らないか?!」


 伯爵はすぐ近くに控えていた使用人たちを集めて、詰問を始めた。

 そこに何事だ、とカードゲームをしていたレッドフォーケルとビリィがやってくる。

 そして事情を聞くや否や、ビリィが庭へ散策に出ている女性を呼び戻しに行く。

 もしかしたら、不逞の輩がこの敷地内に入り込んでいるかもしれないと、飛躍的だがそう考えたためだった。


「貴族の坊主!

 お前もこい!!」


 レッドフォーケルは事態が飲み込めず、オタオタしていた。

 すぐに動けるのが招待客の中でいちばん若いギリスと判断したためだった。


「あ、はい!」


 ギリスはビリィとともに庭園へ出た。

 屋敷から庭園にはどこからでも出られるようになっていた。

 この時一番庭園に近い出入口は、談話室にあった。

 そこから庭園へ出る。

 庭園は広大とまではいかないが、迷路のように薔薇の生垣が入り組んで作られていた。

 そして、屋敷と庭園をぐるりと囲む壁のような塀。

 塀には防犯上の理由から、返しがついていて泥棒がよじ登って忍び込んだりできないようになっていた。


 つまり、武器を盗んだ者がいるとするなら正面入口から侵入するしかないのである。

 そこにも、伯爵が雇っている門番がいるので簡単には入れないが。

 しかし、現に武器は盗まれているのだ。

 そして薔薇庭園には、無力な女性が二人散策している。

 となれば、万が一ということも考えられる。

 早く見つけて保護しなければと考えるのは道理であった。


「坊主は庭園の出口、俺は入口から2人を探す。

 どこに武器を持った盗賊が潜んでいるかわからない。

 もしも2人を見つける前にそいつを見つけたら、すぐに逃げろ、いいな?」


「わかりました!!」


 ここに遅れてルツィ伯爵が駆けつけ、薔薇庭園捜索となった。

 しかし、二人は見つからなかった。

 というのも、入れちがいでレッドフォーケル夫人とシシリーは玄関ホールから戻ってきたのだった。

 これにはワケがあった。

 実は薔薇庭園以外にも、屋敷の敷地内のあちこちに薔薇が植えられており、そちらも楽しむことが出来たのだ。

 レッドフォーケル夫人とシシリーは雑談をしながら、そんな薔薇を楽しみつつ玄関ホールまで戻ってきた次第であった。

 この二人が幸福だったのは、この事件の要である死体を発見しなかったことであろう。


 死体は、薔薇庭園の端っこ、迷路じみたこの庭園の中の行き止まりの場所で見つかったのだった。

 見つけたのは、ギリスである。

 ギリスは最初、誰かが倒れていることに気づいた。

 もしや、と最悪の事態を想定してすぐにその倒れていた人物に近づき声をかけた。

 その時、服装から男性であることはわかったらしい。

 倒れていた男性は夜会服を着ていた。

 声をかけても反応がないため、ギリスは恐る恐る倒れている人物に近づき、本来なら薔薇の美しさを観るために設置されているライトに照らされたその死体を見つけたのであった。


 この時、死体に首がなかった事で、彼はまるで暴漢に襲われたような、いやそれ以上に妖の類にでも遭遇した時のような、素っ頓狂な悲鳴をあげた。

 それも仕方ないだろう。

 彼の頭の中に駆け巡ったのは、晩餐の時に聞いた話だったからだ。


 行方不明の盗賊団の首領。

 その首領は殺した者たちの首を切り取ってコレクションしていた。


 そんな話を聞かされた直後であったから、彼は、もしかして玄関ホールの武器を盗み、さらにここで人殺しをした犯人は、いまだ見つかっていない盗賊団の首領だと連想したのだ。


 そして、たまたま近くにあった武器を手にしてしまった。

 これが運の尽きであった。

 すぐさま声を聞きつけた使用人達が集まってきて大騒ぎになったのだっ

 た。

 この直後、ギリスは第一発見者として、また重要参考人として捜査当局へ連行されることとなった。

 そこから屋敷内はてんやわんやで、気づいたら招待客はやはり事情聴取のため捜査当局の建物へと連れていかれたという。

 それは主催者もおなじであった。

 ただ、ほかの者達と違ったのは、晩餐会の主催者であるルツィ伯爵は多少身だしなみを整える時間があったことくらいだ。


 しかし、このバタバタが落ち着く頃に、とある事が発覚する。


 なんと、冒険者のビリィが事情聴取前に姿を消したというのだ。

 捜査当局は彼の行方を捜したが、見つけることは出来なかった。




 ■■■



「メアリさん、メアリさん!!

 新聞読みました?!」


 喫茶店【エリュシオン】に来店した常連客に向かって、その店のアルバイト店員はそう声をかけた。

 なにやら、焦っている。

 その手には、今日の朝刊があった。


「はい、読みましたよ」


 言いつつ、メアリは気遣わしげに店内をキョロキョロと見回した。

 その際、メアリの妖精を思わせる綺麗な銀髪が揺れる。


「……ギリスさんなら来ていませんよ」


「そう、ですか」


 ギリスとは、最近知り合ったばかりのメアリの茶飲み友達の一人である。

 彼は、外見こそ美しいが世間一般では変人の部類に入るメアリの話を嫌な顔せずに聞いてくれる数少ない存在である。


「やっぱり、ここに出ているフランバウル男爵家の子息って、ギリスさんのことなのでしょうか?」


「おそらくは」


 会話もほどほどに、アルバイト店員はメアリをいつもの席へ案内した。


「いつも通り、紅茶とアップルパイをお願いします」


 メアリはいつもと同じメニューを注文した。

 アルバイト店員が注文を受け、厨房に引っ込む。

 その際、手にしていた新聞を置いていった。

 早い時間だと、こうして客のために新聞を用意してくれるのだ。


 メアリは、自分の下宿先でも目を通した王都新聞へ再度視線をやった。

 見出し記事には、奇妙で陰惨な事件の記事が載っていた。

 それはルツィ伯爵家にて行われていた晩餐会で起きた事件である。


 このルツィ伯爵家が王都に所有している建物、その敷地内にはそれはそれは立派な薔薇の庭園がある。

 季節になると一般にも公開されるほどの見事な庭園だ。

 庭園にはライトが設置されおり、夜でも薔薇の美しさを楽しむことが出来る。


 晩餐の後、客たちは主催者であるルツィ伯爵とともにカードゲームをしたり、雑談に華を咲かせたり、また有名な薔薇庭園を散歩したりと思い思いに過ごしていた。

 災難だったのは、招待客だった。

 なんと、その客は薔薇庭園で死体を発見してしまったのだ。

 それは首なし死体だった。

 そして、その死体の横に血まみれの剣を手にした、招待客の一人であるフランバウル男爵家の長男が呆然と佇んでいたらしい。

 これがギリスであった。

 状況からして仕方なく、この事件の重要参考人として、ギリスは捜査当局に拘束されてしまったのだ。


 捜査当局は現在、この重要参考人から話を聞いている最中らしい。


 新聞には事件に関して、簡単な概要しか載っていなかった。

 あとは、まだ犯人とは決まっていないにも関わらず、まるで犯人のように手錠をかけられているギリスの写真が載っているだけだ。

 ギリスは写真で確認する限りは、汚れひとつない夜会服を着たまま呆然としている。


「…………犠牲者はどこの誰?

 そして、肝心の頭はどこに行ったの?」


 ギリスのことが心配だ。

 下手をしたら、彼はこのまま断頭台か絞首台行きになってしまうのは明らかだった。

 あの人は、こんな恐ろしいことができる人間では無い。

 メアリはそう確信していた。

 彼女は人間を見る目には自信があった。

 だからこそ確信があった。

 捜査当局は彼を犯人扱いしているが、彼は絶対に犯人ではないと、メアリは疑っていなかった。

 その証拠のひとつが、新聞に載っているギリスの写真だ。

 彼は、やはり汚れひとつ無い夜会服に身を包んでいる。

 男爵家とはいえギリスに言わせれば、田舎貴族だ。

 この夜会服だって、一張羅のはずだ。

 というのも、今のフランバウル男爵というのがかなりの本好きで、本の購入費だけで家を傾けているとさえ噂されているのだ。

 どうやらそれは本当らしく、ギリスが面白おかしく話してくれた。

 本当なら恥になるだろうことも、彼はメアリに話してくれた。

 その時の勢いで、彼は夜会服はひとつしかないとメアリに漏らしたのだ。

 はたして、首を落とすような犯行をする予定だったならそんな服で現場をうろつくだろうか?

 死後切断か否で血の飛び散りは違ってくるだろうが、どちらにしたって服が汚れることは避けられないだろう。

 そして、わざわざそのことをメアリに前もって話すだろうか?

 メアリの中で答えは否であった。


「そういえば、このルツィ伯爵家、というのはどこかで聞いたことがあるような」


 メアリは、人差し指でコメカミをトントンと軽く数度叩いた。

 記憶を刺激して、思い出すためだ。


「……あ、思い出した」


 メアリが呟いた時、アルバイト店員がアップルパイと紅茶を運んできた。

 それらをメアリの前に起き、


「お待たせしました。

 こちらアップルパイと紅茶です。

 ご注文は以上でよろしいでしょうか?」


 マニュアル通りの確認をする。

 それから、メアリが読んでいた新聞へ視線をやった。


「はい、大丈夫ですよ」


「……あの、メアリさん。

 ギリスさんが本当にこんなことをしたんでしょうか??

 ギリスさんがこの恐ろしい事件の犯人なのでしょうか??」


「私は出来ないと思いますね。

 というか、してませんよ」


 メアリはバッサリと言うと、続けてその根拠も説明した。

 夜会服のことだ。


「だから、ギリスさんは犯人ではありませんよ」


 おそらく彼は運悪く、現場に居合わせただけだ。

 メアリの言葉に、アルバイト店員はホッと胸を撫で下ろした。

 アルバイト店員は別の客に呼ばれ、メアリの席から離れる。

 残されたメアリは、紅茶を一口飲み、アップルパイを食べると呟いた。


「謎、か」


 情報が絞られているから、このままでは満足に推理することもできない。

 そう、情報が足りないのだ。


「…………」


 メアリは写真の中のギリスを見た。

 数少ない友人はおそらくこのままだと、本当に死出の旅に出ることだろう。

 なぜなら、事件の真相など殆どの者にとってどうでもいいからだ。

 大衆にとって大事なのは、真相ではなくてそれっぽい物語だからだ。

 捜査当局の仕事も、どこか適当というか杜撰なところがある。

 そのためギリスが犯人でないという、確実な、そして客観的な証拠を示さない限り、彼は死刑台へ歩を進めることとなる。

 メアリはせっかく出来た友人を、このようなことで失いたくはなかった。

 だから、自分にできることをしようと決心したのであった。


 紅茶とアップルパイを食べ終えると、メアリは早速動き出した。


 まず、すぐに事件のあったルツィ伯爵家に住み込みでメイドとして働いている友人へ手紙を書いた。

 事件の詳細を知るためである。

 割増料金を払って、それを友人のもとへ届けてもらう。


 その日の夕方に返事が来た。


 下宿の管理人から手紙が届いたことを知らされ、手渡された。

 彼女は部屋でそれを開封して、読み始めた。

 友人の方も、重要参考人といわれながらも犯人扱いされているのがメアリの大切な友の1人だと知って、情報を提供してくれたのだった。


 メイドの友人からの手紙には、とても詳細な事件のあらましが書かれていた。



 手紙を読み終えて、メアリはその淡い桜色の唇へ手のひらをあて、なにやら考え込む。

 しばらくして、メアリは口に当てていた手を今度は人差し指だけ立てて自分のこめかみへやる。


 ……トン……トン


 ゆっくりと自分のコメカミを叩いた。

 やがて、ゆっくりとその唇を開いた。


「伯爵邸自体が巨大な檻、密室だった。

 入ることも、出ることも難しい。

 なら、犯人はどこから来て、どこへ消えたの?

 死体は誰?

 ビリィ??

 それに、死体の頭はどこにあるの?

 捨てられた??

 だとしたら、どこに??

 それに何故、彼は――彼は殺されたの??

 それも、頭を切り取られて……」


 そこまで口にした時だった。

 控えめに、部屋のドアが叩かれた。

 ハッと我に返る。

 そこで窓から朝日が差し込んでいることに気づいた。

 いつの間にやら夜が明けていたらしい。


「メアリさん、おきていますか?

 朝食の時間ですよ」


 管理人の優しい声が届く。


「あ、すみません!

 ありがとうございます、すぐ行きます!!」


 メアリは推理をやめると、すぐさま立ち上がった。

 そして寝巻きのままだったことに気づいて、すぐに着替える。

 身だしなみを整えて、朝食に向かう。

 この下宿には食堂があり、下宿人たちはそこで食事をとることになっていた。

 食堂のテーブルには人数分の食事と、そして新聞が置かれていた。

 新聞はひとつしか無いので、皆で回読みすることになっている。


「珍しい、メアリが寝坊するなんて」


「ねー、いつも一番に起きて新聞読んでるのに」


「今日はもしかしたら大雨かもな」


 なんて下宿仲間に冷やかされてしまった。

 メアリは曖昧に笑って、席に着く。

 それから朝食を取りつつ、新聞を読んでいた別の下宿仲間に声をかけた。


「昨日の事件、なにか進展はありましたか?」


 新聞を読んでいた、その下宿仲間は視線は新聞に落としたままこんなことを言ってきた。


「あー、あの首狩り事件。

 どうやら、敷地内から首が出てきたらしい」


「え?」


「薔薇庭園の生垣の下から転がり出てきたらしいぞ」


 さすがにボールじゃないんだから、転がり出てきたというのは誇張だろう。


「それじゃ、その見つかった頭が首無し死体の頭部、ということですか?」


「そうなんだろ。

 なんせ、死体のすぐ近くにあったんだから」


「身元はわかったんですか?」


「んー、あぁ、新聞には最近伯爵が雇った雑用係だったって書いてある」


 ということは、雑用係は晩餐会に夜会服を着て参加する予定だったということだ。

 その雑用係が殺され、冒険者のビリィが姿を消した。

 こうなると、図式は簡単だ。

 動機はわからないが、ビリィが雑用係を殺したということになる。

 そして、そのまま姿を消したということだ。

 だとしたら、ギリスは近いうちに釈放されるだろう。


「…………」


 メアリは考え込む。

 彼女の中で、この事件の全貌が形になっていく。

 やがて、彼女は答えにたどり着いた。

 あとは、細々した確認と根回しだ。



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