おわりに

 本作品は精神分析的な構造を一見して見て取れるものの、一方で精神分析的構造——エディプス的構造に対して完全に一致しないような、繊細な距離感を保った作品である。その距離感に対し、分析心理学における対立物の統合過程より接近してみたが、それでもなお、分析心理学的批評を全面的に押し出すことがすべきではないだろう。批評を書くにおいて理論を参照することは重要だろうが、その理論が決して作品の全てを語り切ることなど、決してないからだ。そこにあるのはやはり、本稿後半で何度か用いた言葉である「余白」だ。「サマーゴースト」というタイトルを掲げた本作品が夏をテーマにしつつも、11月に公開された。そこにあるのもやはり「余白」だろう。この余白に従って、あえて批評的な余白を意識することは、本作品をさらに深いものへと変貌させてくれるかもしれない。「余白」を置くこと、「余白」を通して向こう側を想起すること。そうして、私は既に過ぎ去ってしまった私の夏を、イチョウが枯れ落ちた12月に思い返すのだった。


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[1]以上の議論は、フロイトが1915年から1917年にかけてウィーンで行った講義録である『精神分析入門』などを参照することで体系的に理解できる。ジークムント・フロイト『精神分析入門(上・下)』、高橋義孝・下坂幸三訳、新潮社、1977年.

[2]晩年の議論は『自我論集』を参照。ジークムント・フロイト『自我論集』、中山元訳、筑摩書房、1996年.

[3]カール・グスタフ・ユング『無意識の心理』、高橋義孝訳、人文書院、1977年.

[4]ユングの「母親」についての議論は次を参照。カール・グスタフ・ユング『元型論(増補改訂版)』、林道義訳、紀伊国屋書店、1999年.

[5]エーリッヒ・ノイマン『意識の起源史(増補改訂版)』林道義訳、紀伊国屋書店、2006年.

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