烏丸線に乗って
私は幼いころから——あるいは後述する理由から「幼いころ『は』」と称すべきかもしれないが——、鉄道が好きだった。3歳から海外で生活していた自分にとって、鉄道そのものに乗ったり、あるいは鉄道を見たりする機会はほとんどなく、インターネットも未発達だった当時の私の関心は消去法的に、鉄道模型へ向かった。そんな私にとって、祖母が私を鉄道に乗せてくれる機会は非常に大きなものになるのは当然だ。最初は地下鉄烏丸線からはじまり、やがて相互直通運転先の近鉄京都線へ。そして四条で阪急電車に乗り換え、桂や高槻、梅田まで——。いろいろなところへ行ったからこそ、私は旅の起点たる地下鉄を走る銀色の車両、京都市営地下鉄烏丸線10系がとても好きだった。
しかしながら、小学生から中学生へ、そして海外から日本へ生活が変わってくるとともに、私はそのような思い出をどこか抑圧しながら生きることをしてきた。小中学生として生きた2000年代は、私にとってインターネットがインフラ化し、数多くの独創的文化が社会全体に影響を与え始めた時期として記憶されている。あめぞうリンクから2ちゃんねる、そしてフラッシュ動画。当時の文化から生まれた数多くの文化は「悪い場所」として、現実社会の持つ倫理性と対立しながらも、それを乗り越える創造性とともに出現してきた。「電車男」におけるオタクたちの明らかに以上な描かれ方や、フラッシュ動画やその後継コンテンツたちが形成した不謹慎な多くの要素は、そうした「現実ではできないことがネットなら(匿名なら)できる」という姿勢の上で生まれてきている。だからこそ、当時はデジタルなものに対してある種の警戒感や教育的問題が指摘もされてきた。もしかしたら、2000年代前半に流行した「ゲーム脳」という概念も、そうしたものと並べて考えられるべきなのかもしれない。彼らの持ち続けた諸々の独自文化。その中枢たる「オタク」という言葉は、80年代の文脈を踏まえながらも再構成され(「オタク」という言葉自体はインターネット以前から存在する)、2000年代に再度、前景化してきたといえよう。
オタクが放つ持つ強力な独自性と、従来の倫理観すら覆しかねない危険な「奇異さ」。私が小学生の頃に経験した「オタク」は、そのようなものであった。だからこそ、自ら倫理的判断を下せるはずもない小学生の私は、それがある種の良くないものとして認識され、誰に言われるでもなく、一人暗室に閉じ込めてしまっていたのだ。なぜなら、「電車男」に「鉄道オタク」が登場するように、「オタク」のイメージの中に「鉄道」は包含されていったからだ。
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