第40話 『遠雷の魔女は語らない〜システィーナの王国〜』

 再建の町クローバーと呼ばれる町から、大人の足で一時間程の距離にある木々生い茂る森がある。

 そこは昔からほとんど人が寄り付かないと森として有名で、森に詳しいサバイバル知識のある人間でなければすぐ迷い、出られずそのまま行方不明になってしまうような場所だった。

 森の周辺は柵で囲われる程に、この森が如何に恐ろしい場所か窺える。数箇所、この森で採取や狩猟をする者が出入りする為の入り口らしき場所が設けられているが、間違って何も知らない一般人が足を踏み入れてしまわないよう警告を促す看板が立てられていた。

 ニコラはそれらを見ても何ともなさそうに、易々と足を踏み入れる。ルーシーは只事ではない扱いに戸惑いつつ、ニコラから離れないようにぴったりと後ろをついて歩いた。

 森の中は木々の葉で空が覆われ、薄暗かった。鳥が羽ばたく音、小動物の鳴き声や足音、風の音。様々な音が耳に入る度に、ルーシーはびくつきながらホウキを抱えて周囲を見渡す。ニコラがすぐ目の前にいるので安心ではあるが、それでも森の中を歩くということにこれほど恐怖を感じたことはなかった。

 ビクビクしながらついて来るルーシーを見て、ニコラは淡々とした口調で話しかける。


「そんなに怯えなくても、人喰い熊や狼に出くわすわけじゃないんだ。この森が基本的に侵入禁止になっているのは、磁石が効かず周囲を見渡すにも背の高い木々のせいで現在地を把握しづらくなってるから迷いやすいってだけさ。自然の中で生きる基礎的な知識さえあれば、この森はそれほど怖い場所じゃない」


 そう言ってニコラは片手を振り、まるで今いる景色を見回してみろとでも言うような仕草をした。ルーシーはそれに倣い、周囲を見渡す。


「ここには生き物がたくさん住んでいる。動物も、虫も、植物も、あらゆる命が存在しているんだ」


 確かに、ルーシーの周りからはそれら生物の息づく音がずっと聞こえていた。


「私達以外に、こんなにもたくさんの命があるんだ。ここは地獄じゃない。本当に恐ろしいのは、そういった命が全く存在しない場所のことを言うんだ。だからここは恐ろしい場所なんかじゃない。わかったね」

「はい、お師様」


 勇気付けてくれたのだろうか、とルーシーは思った。

 自分があまりにも怯えるような仕草をするから、目に余ったのだろうか。もっとしっかりしなければ、とホウキを持つ手に力を込めた時だ。ニコラはくつくつと笑いながらこぼす。


「年端も行かない女の子が、一人でここに住んでたんだよ。生きていけないような場所じゃないってこと位、わかるだろう」

「!!」


 少し考えればわかるだろう、とからかう口調のニコラにルーシーはショックを隠せない。

 こんな風にからかわれると思っていなかったので、どんな反応を示したらいいのか即座に判断出来なかった。思わず素で返してしまう。顔を真っ赤にして、恥ずかしさを堪えるように顔を伏せるルーシー。

 もうどれ位歩いただろうと、耳まで熱くなってきた頃合いでニコラが立ち止まり、指を差した。


「あれだね、この森の中心。唯一の水場であり、システィーナの王国でもある」


 その表現は随分大袈裟で、センスとしてどうなんだろうと思ったルーシーは目を瞠った。開けた場所にはニエベ湖程ではないが、大きな池がある。水鳥が魚を捕らえる瞬間を見るとは思っていなかった。

 いや、それだけじゃない。ここには多くの生命力で溢れているように見えた。綺麗に整えられた草原には、そこら中に猫がいた。品種様々な猫が自由に寛いでいる。この森の中でも一際大きな木があった。まるでそれ自体が自然に出来た家のように、大木の穴には玄関や窓、テラスのようなものまである。

 そう、その大木自体が可愛らしい姿形をした天然の家だった。ここに来るまでの間、薄暗い場所を通ってきたせいだろう。ここだけが太陽の光を一斉に集めているように、光り輝いて見える。眩しい光景だった。幻想的な風景だった。ここに、あの少女はたった一人で住んでいたのかとルーシーは噛み締める。


「やぁ、あんた達もシスに会いに来たのかい?」

「ひゃっ!? え、だ……誰ですか!?』


 突然声をかけられ、ルーシーは飛び上がる程びっくりした。実際に飛び上がっていたが。見ると、池の側には男が一人座っていた。サラサラの黒髪はオイルで整えられ、清潔感を漂わせる。物腰柔らかそうな三十前後の男は、白シャツにズボンと。とても質素な服装だったので、薬草取りや猟師などではなさそうだった。


「あんたは?」

「僕の名はリック。あんただね、氷の魔女ニコラっていうのは」


 ニコラは警戒している様子だった。相手が何者かわからない上に、なぜシスティーナの住処にいるのか。それがはっきりしない以上、ニコラは自分から話を展開するつもりはない様子だ。ルーシーも警戒するが、リックという名の男を見ていると悪い人間にどうしても見えなかった。

 人の良さそうな、人好きするような柔らかい微笑を浮かべるせいだろう。この顔をルーシーは知っている。

 狡猾な人間程、どうやったら良い人に見えるのかよく理解しているものだ。


「あんたが氷の魔女ニコラなら、そっちのお嬢さんがルーシーかな」

「わ、私のことも……」


 リックは寂しそうな、悲しそうな微笑みを浮かべながら何かを差し出した。


「これを託された。ルーシー、君に見せるように。システィーナから」

「システィーナ、から?」


 見るとそれはオレンジ色に輝く宝石のように見えた。丸く、常に光を放ち続けている不思議な玉だ。


「ルーシー、私を見て……。システィーナから君への、ーー遺言だよ」

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