第38話 『報せ』

 スノータウンを出てすぐの隣町であるテセンテ村での出来事から、およそ半年が過ぎた。

 旅の目的はルーシーの見聞を広めること、そして旅先でしか見られない自生植物や動物の生態の観察など。

 当面の目的地としている場所は勿論ある。聡慧の魔女ライザが待つ、ミリオンクラウズ公国だ。

 そこでルーシーの魔女としての特性を、更に詳しく教えてもらう為にライザには約束を取り付けてある。

 しかしそれもまた、急ぎの旅というわけではない。真っ先に、一直線に向かうならば空飛ぶホウキで行った方が早いし、より効率的なのだから。

 あくまで世界をじっくり見て回る、ということを目的とした旅。のんびりと荷運びロバと共に、徒歩の旅を続ける理由はそういうことだ。

 テセンテ村を出てから、特にこれといった出来事に遭遇していない。次の村までかなり距離があったということもあるが、そもそも旅先で毎回何かが起きるというわけでもない。

 魔女の修行をしながら移動を続け、立ち止まって休憩や食事を取り、日が暮れる前に野宿出来る場所を探す。そういったことを繰り返していると、だんだん感覚が麻痺してくる。

 ニコラから「今日辺りで旅に出て半年といったところか」と聞いて、ルーシーが珍しく大きな声を上げて驚く程度には感覚が鈍っていたのだ。


「随分と長く旅をして来たと思ってはいましたけど……。あれからまだ2つ位しか知らない村に立ち寄ってません。2ヶ月半位は経っているだろうなと思ってたのに、半年……」

「ここしばらくは、つつがない毎日だったからね。時の流れは早いもんさ。特にこうやってのんびり旅をしていれば、感覚よりも時間が経っていることはよくある」

「立ち寄った村でも、何もありませんでしたし。旅とはこういうものなのでしょうか」

「人里に入る度に面倒事に巻き込まれてたら、それこそ時間がいくらあっても足りやしないね。でもまぁミリオンクラウズに到着するまで、あと半年はかからないだろうさ」


 ルーシーはニコラから地図を受け取り、スノータウンの場所と現在地を指で指した。そして目的地であるミリオンクラウズがある場所に印をつける。

 地図の全体図からスノータウンは最北端にあり、ミリオンクラウズはそこから南東に下っていった場所にあった。

 これは世界地図ではなく、あくまでアンミューズ大陸のみが記されたものだ。世界地図も以前見せてもらったことがあったが、アンミューズ大陸は3大陸ある内で2番目に大きな陸地となっている。 

 半年移動し続けて、全体の10分の1にも満たない。

 アンミューズ大陸各地を巡る旅、一体何年かかるのだろうかと想像した。

 それでも、とルーシーは思う。

 スノータウンでの日々は決して悪いものではなかった。そしてこれまでの、テセンテ村は例外ではあるがここまで穏やかな旅を続けて来られた。

 こんな日々がこれから先も続くのならば、何年かかろうともニコラと共に行く旅に不満など何一つない。だからこそ、何年かかっても構わないとさえ思う。

 

(いいえ、違う。そうじゃないでしょ!)


 ルーシーはロバの手綱をキュッと握り締めた。汗が滲み、表情が固くなる。

 何気ない安穏とした日常がを忘れさせていた。ルーシーが魔女として生きようと思った目的を。


(そう、私がお師様に弟子入りした本当の理由を忘れちゃいけない)


 思い出せば蘇る怒りの感情。

 そうでなくてもルーシー・イーズデイルだった頃に経験したことが、何気ない出来事によってフラッシュバックすることはよくある。

 似通った部分を見聞きするだけで容易に思い出してしまう、トラウマ。

 いっそこのまま、楽しい日々の中で全部忘れられたらどんなに楽だっただろう。でもそうはならない。前世の記憶はいつまでも、ルーシーの脳裏にこびりついて蝕んでいく。

 これから先も楽しい経験の裏側で、苦しかった記憶が唐突に蘇り、たちまち暗い気持ちにさせられるのかと思うと我慢ならなかった。


(復讐することで、断ち切ることが出来るなら……)


 過去の全てに決着をつけることが出来たなら、ルーシーの心を侵食する原因を自分の手で終わらせることが出来たなら、その先にトラウマに縛られない生き方をすることが出来るのだろうか。

 復讐することによって自分の気持ちは晴々しくなるのだろうか、そんな風に思った矢先ーー。

 そう、ちょうど「あの娘」の顔が脳裏によぎった時だった。


「ーーん?」


 1羽のカラスの鳴き声が聞こえた。

 カラスは群れる生き物だ。単独で行動することは珍しい。

 ニコラが立ち止まり、鳴き声の持ち主の方へと目線をやり、片手を挙げた。すると颯爽と飛んできたカラスが、ニコラの側まで飛んできて、ゆっくりと腕に止まる。

 腕を下げてカラスをじっと見つめると、脚に細く畳まれた紙が括り付けられていた。

 

「ルーシー、カラスの脚に括ってある手紙を取っておくれ」


 カラスを宥めながら、ルーシーの手に届く高さまで前屈みになるニコラ。小さな手指でしっかりと括り付けられている手紙を解き、それを確認したニコラは「ありがとよ」とルーシーではなくカラスに告げた。

 

「荷台の手前の布袋にパンが入っているだろう。それをこのカラスにやっておくれ」

「はい」


 言われるまま、ルーシーはふわふわとした一斤の食パンを両手でゆっくり引きちぎってカラスに咥えさせた。

 そしてまた手を挙げると、それが合図となってカラスは飛び去って行く。


「お返事は持たせなくて良かったんですか?」


 誰とも知れない相手に渡ったとしたら、それをどう判別するのだろうと疑問に思う。

 ニコラはルーシーから手紙を受け取りながら答えた。


「さっきのパンが返事だよ。前にも言っただろう、魔女は自分の使役するカラスとの意思疎通は可能なんだ。パンを与えたことで、配達は無事に完了したという証拠になるのさ」


 カラスでの手紙のやり取りを初めて見たルーシーは、そういうものなのか……と納得したようなしないような気持ちになる。それより手紙の主は誰なのか、という点に気持ちはすでに行っていたが。

 立ち止まったまま手紙を広げ、一目した瞬間にニコラの表情が一瞬だけ凍りついたように見えた。目を瞠り、口元はキュッとつぐまれる。良くない報せなのだろうか?

 もしかしてスノータウンの村人達に何か?

 そこまで考えて、それは有り得ないと思った。この手紙の主は魔女であり、スノータウンにいる魔女はニコラ以外にいない。少なくともルーシーは見たことも聞いたこともなかった。

 幽魂の魔女ヴァイオレットに会ったが、彼女はスノータウンに滞在しているわけじゃない。


「お師様……?」


 ならどういった内容なのだろうか。聞いても大丈夫なのか。

 少しばかり不安になって問うたルーシーに、ニコラは軽く息を吐いて、しかし淡々と告げた。


「遠雷の魔女システィーナの訃報だ。魔女狩りに遭って殺されたらしい」


 ルーシーはめまいがした。

 これ以上ない衝撃に襲われ、一瞬の間に無垢で愛らしい笑顔や戸惑ったシスティーナの表情が思い返される。


 ほんのついさっき、あの娘のことを思い出したばかりだったのにーー。

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