第36話 『テセンテ村の少女ミモザ その2』

「これはこれは、氷結の魔女様。お待ちしていましたよ」

「……なんだって?」


 テセンテ村の一番奥にある、しがない宿屋。

 村の出入り口にある大きな宿屋とは違い、築年数がかなりあると思われる木造の二階建て。

 大抵の旅人や商人は、出入り口の小綺麗な宿屋の部屋を取り合うところ、ここはその最後の砦と言わんばかりの選択肢とされる残念な宿屋だ。

 テセンテ村に到着してから散策することが決定して、宿屋を探すことにしたルーシー達がこの寂れた宿屋にたどり着くまで、一応ダメ元で出入り口付近の宿屋にも顔を出していた。その時点ですでにどこも満室だったが。

 しかしニコラは中を覗くだけで受付に話しかけることはなく、ふんと軽く鼻を鳴らすだけでそれらの宿屋を後にしていた。「空室があるか聞かないのですか」と、ルーシーが訊ねたところ、とても単純明快な答えが返ってくる。


「どの宿も高そうだ。一番安そうなところを当たるかね」


 そうして来たのがここ、古臭い宿屋というわけだ。

 しかしどうだろう。宿屋に入って店主と目が合った瞬間、まるでニコラがここへ来ることがわかっていたかのようなこの態度。もちろんニコラは「氷結の魔女」だと名乗ってはいない。

 なぜかここの主人は、ニコラが「氷結の魔女」だとわかって笑顔で話しかけている。

 これにはさすがのニコラも不思議がった。珍しいこともあるものだと、ルーシーは見逃さない。

 氷結の魔女という二つ名が有名だとしても、その名と顔を一致して認識しているのは魔女と、一部の人間だけだと以前ニコラから聞いたことがある。

 例え隣町であろうと、滅多にスノータウンから出ないニコラの素性を知る者は、このテセンテ村にはいないはずだと思っていたのだろう。


「どうして私が氷結の魔女だと?」


 怪訝な表情をしながらニコラが訊ねると、主人は終始笑顔を絶やさずにこやかに答える。

 そこに裏も含みもありはしない。ありのままを答えていると一目でわかる態度だ。


「ミモザ様にお会いになったんですよね? あの方の言いつけなんですよ。氷結の魔女様が安心してお泊まり出来るよう、丁重にお迎えするようにと」

「ミモザ、様?」


 オウム返しのように呟くニコラから、ただならぬ雰囲気が感じ取れて、ルーシーの背中に冷たいものが通った気がする。背筋が寒くなると同時に冷や汗まで流れて来て、言い知れぬ緊張が走った。

 それでも我関せずといった風に、店主は営業スマイルを貫いている。


「ええ、ミモザ様にはここの住民全員がお世話になっているんですよ。村にとっての宝、とでも言いますか。加えてあの聡明さと、愛らしさ。誰がぞんざいに扱えましょう」

「あぁ、そうか、そうかい。……どうやら聞き方を間違えたみたいだ。ミモザの指示だそうだが、ここではみんなミモザの指示通りに動いている、ということかい?」

「そうですよ。ミモザ様はテセンテ村にとって守り神のようなものでございます。彼女のおかげで、みんな幸福になれたのですから。ミモザ様のお願いを聞き入れるのは当然、感謝の印でしょう?」


 深い、深いため息がニコラの口から漏れていた。これもまた珍しいことだ。よほど悩ましい何かがあったに違いないが、今ここで訊ねられる状態ではないことくらいルーシーにでもわかる。

 不安げに見上げるルーシーの視線に気付いたニコラが踵を返して、宿屋の主人に一言だけ伝えた。


「やっぱりここには泊まらない、悪いね」

「えぇ? いや、でも、しかし……っ!」

「あんたのせいじゃないよ、私の気が変わったんだ」

「そんな、魔女様!」


 営業スマイルが崩れて、困り果てたように手を伸ばす主人にニコラは構わず宿屋を出ようとする。

 あまりに唐突で話が全く見えてこないルーシーは、もうそろそろ夜が更ける頃合いということもあって引き止めようとした。


「お師様? それじゃあ今夜はどこに泊まるつもりですか? 野宿の回数を少しでも減らしたいと言っていたのは、お師様ですよね?」


 日中でもまだコートがいる寒さだ。野宿前提の旅をしているようなものだが、それでも暖かい場所で寝たいと思うのが人情である。それでもニコラは考えを改めることなく、ルーシーの言葉にも答えず、ただもう一度主人の方を一瞥してから問うた。


「……ミモザから薬を処方してもらっているそうだが」


 村人全員が敬愛しているミモザの名前が出た途端、機嫌を良くしたのか主人はすぐさま笑顔に戻った。

 その表情と態度の早変わりに、ルーシーは違和感を覚える。

 あまりにも感情の変化に落差があり過ぎるからだ。


「ミモザ様からお聞きしたんですか? えぇ、そうですとも。ミモザ様からは大変効きの良いお薬を処方してもらっています」

「……WBH?」

「? さて、何のことでしょう?」

「黄色い粉末、あるいは液体だったかい」


 パァッと明るい表情で、頬を紅潮させながら上下に首を振っていた。と同時に、ニコラは歪んだ表情を一瞬見せた。


「そうか、邪魔したね」


 それだけ言うと、今度は本当にそれ以上何も言わず、振り返りもせずに宿屋を後にしてしまった。

 わけがわからないままついて行くルーシーをよそにニコラは、脇目も振らず宿屋前に停めていた荷車のところまで歩いて行く。

 その様子を見るからに、今すぐ村を出ようとしている様子なのでルーシーは慌てた。


「お師様? この後ミモザという女の子に会う約束では」

「慌てるんじゃないよ、もちろんそのつもりさ。ただーー」


 ニコラの表情に暗い影が差し、何かを懸念しているような表情。

 ミモザに対して、先ほどの宿屋の主人の態度に対して、何か思うところがあるのだろうかと関連付ける。

 何もかも口にして欲しいとまでは言わないが、せめて何があったのか。何がしたいのか、それだけは教えて欲しいものだとルーシーはもどかしくなった。

 不安げな表情で見上げるルーシーに気付き、ニコラは口元をほんの少しだけ緩ませる。


「悪い子供に少し説教しに行くだけさ。詳しいことは、ここを出てからゆっくり話してやるから安心しな」


 くしゃりとルーシーの頭を不器用に撫でつけるニコラ。

 唐突な愛撫に、戸惑う。

 だからこそ許してしまう。答えを急かすことをやめてしまう。

 そこにニコラの優しさを感じてしまったから。

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