第25話 『誰一人として…… 』

 ジェットのことを思い出し陰鬱な気分になったルーシーは、表情に影を落としたまま雑貨屋を訪れる。

 そこでは元気のいいおかみさんがハキハキとした声で挨拶をしてくれた。ルーシーが浮かない表情であることにすぐ気付いたおかみさんは、心配そうに声をかけてくれる。

 ここでは暗い顔をすると誰もが心配してくれる。力になろうと、相談に乗ろうとしてくれる。


(暗い顔をしてちゃダメだ。余計な心配をかけるわけにはいかない。お師様に頼まれたものを買って、さっさと出て行こう)


 親切に声をかけてくれたおかみさんのことが鬱陶しかったわけではない。

 ルーシーは他人に心配されることに慣れていなかっただけだ。これまで自分が暗い表情をしている時、面白がってさらに虐められるか、完全に無視された上で「仮病を使ってサボろうとするな、この嘘つきめ」と罵られるのがオチだったからだ。

 どうしても親切に対してどう反応していいか未だにわからないルーシーは、例え他人との接し方にだいぶ慣れたと言っても、こればかりはすぐに解決出来る問題ではないことをありありと実感させられる。


(これでもだいぶ人としてマトモに接することが出来るようになってきたと思ったんだけど。人の親切はどうも苦手だ……)


 ルーシーは「なんでもない」とだけ答えて、おかみさんにメモを渡す。

 それを見ながらおかみさんが色々と見積もってくれて、それをルーシーがしっかりと見て確認していった。

 別に漏れがないかの確認をしているわけじゃない。次回からは自分で選定出来るように、その選び方や、メモに書かれている物自体がどういった商品なのか。

 知らないことが多すぎるルーシーは、一人で買い物が出来るようにする為にどういった品物なのか記憶しておきたかったのだ。おかみさんはひとつひとつ丁寧に説明してくれる。消費期限と賞味期限の違い、一見値段が安く見えても内容量ときちんと比較してどちらが得になっているか、旅の必需品、新商品、旅人に愛用されるリピート商品など。

 知識のないルーシーなら、ここまではいかなかっただろう。

 おかみさんのおかげで全ての商品を出来るだけ安く購入することが出来て、ルーシーはお礼を言ってからお店を出た。結構な量だったが、子供用のソリを貸してくれて、それに買った商品を乗せるようにおかみさんが言う。


「入口のところに置いといていいからね。うちの子に取りに行かせるから! 気にしなさんな。どうせ暇なんだから、あの子は」


 そう言うとルーシーに手を振って見送ってくれる。

 なんて親切な人達ばかりなんだろうと思った。ここまで親切な人間が多い村も珍しいんじゃないだろうか。

 ルーシーは荷物を乗せたソリをハーネスで引っ張り、雪を踏み締めて村の出入り口に向かった。

 むぎゅむぎゅという足音を聞きながら歩いていると誰かの言い争うような声が聞こえてきて、思わず周囲を見渡す。男女の声が聞こえたから探したわけだが、もちろんそれだけじゃない。女性の声は聞き馴染みのある声、ニコラのものだったからだ。

 いつもぶっきらぼうな物言いをするニコラのことだから、それで喧嘩しているように聞こえることもしばしばあったが、今回は明らかに喧嘩しているように聞こえてドキリとする。

 もしかして誰かと揉めているのだろうか。

 あのニコラのことだから何かあったとしても、魔法などでどうにかしているという想像しか浮かばない。

 誰かに乱暴されて、一方的に不利な状況に陥るニコラの姿など全く持ってイメージ出来なかった。

 だからこそルーシーはそういった心配はしていなかったが、万が一相手に大怪我を負わせていたらどうしようという、そちらの心配の方が大きい。


(お師様、村人に対する態度や口調にもう少し気をつけた方がいいって、もっと強く注意しておけば良かったかな。今までそうやって過ごしてきたんだから、今さら後からやって来た私が忠告するのも変な話だけれど……)


 やれやれ仕方ないと、まるでニコラの真似でもするようにルーシーが言い争う声が聞こえる路地裏の方へと足を踏み入れた。なぜこんな細い路地裏なんかで口論しているんだろう?

 てっきり道の真ん中か、お店で言い争っているものとばかり思っていたルーシーは怪訝になって足を止める。

 なんだか行ってはいけないような、話の内容を聞いてはいけないような、そんな気持ちにさせられた。


「どうしてだ、ニコラ! 俺はお前のこと、こんなに愛しているのに!」


(……え?)


 意外な言葉が耳に入って来て、ルーシーは思考が真っ白になる。

 今、なんて?


「しつこい男だね。お前は昔っからそういうところがあるから、他の娘達に相手にされないんだよ!」

「そうじゃない! 俺はずっと昔からニコラだけを愛し続けていたんだから、他の女の子なんかどうでもいいんだ!」

「とにかく、もう愛の告白だの結婚の申込みだのやめておくれ! 私にその気はないと何回も言ってるだろう」

「頼むよ、俺にはもうニコラしか見えないんだ……っ! 君しかいないんだよ。君のことを心から愛してるんだ」


ーー君のことを、心から愛してるんだ。ルーシー。


「……っ!」


 激しい頭痛に襲われる。

 吐き気が、めまいが……。息が苦しくなって、胸が痛くなってルーシーはその場で膝をついてしまう。

 肩で息をするように両手を雪の降り積もった地面について、じっと地面だけを一点見つめして気持ち悪さが治まるのを待つ。


ーー愛してるよ、ルーシー。君だけを。


「やめて……っ」


ーー魔女でも構わない。僕の目には君しか映らないんだから。


「嘘つき……っ! 私しかいないって、言ったのに……っ!」


ーー僕のことを信じてほしい。


「信じてた、のに……っ!」


 記憶が蘇ると同時に、口からついて出た言葉。

 無意識にルーシーはつぶやいていた。

 裏切られた時の記憶が鮮明に蘇ってくるようだ。


「私だって、こんな私のことを愛してくれる人がいるんだと、思ってたのに……っ! 救われた気がしたのに……っ! やっとイーズデイルから解放されるのかと、喜んでいたのに……っ!」


 初めて、誰からも愛されることのなかった私が、誰かに愛してもらえるのかと、思っていたのに。

 その想いは易々と裏切られ、一生……死んでも立ち直ることが出来ないような心の傷を負わせた。


「ゲェッ……っ!」


 その男の顔を思い出しただけで嘔吐した。

 酸っぱいような臭気が立ち込め、口の中がとても不味くなる。


 助けて……、思い出させないで。


 私はもうあの頃の私とは違う、と自分に言い聞かせる。

 あの頃は誰からも愛されることなんて、ついになかった。両親からも、妹からも、周囲の人間は全員。

 でも今は違う。

 みんなが自分に優しくしてくれる。落ち込めば心配してくれる。わからないことも丁寧に教えてくれる。親切にしてくれる。言葉をかけてくれる。温かい食事を、暖かい寝床を、居場所を与えてくれる恩人がいる。

 ニコラだけはきっと違うのだ。

 口では何とでも言える。態度もそっけない。物言いはキツイが、その言葉は決して憎しみや嫌悪で発している物ではないと、ルーシーだからわかる。

 ニコラだけは、弟子としての自分のことを大切にしてくれているのだ。

 表現の仕方は間違っているかもしれない。

 でもルーシーは信じていた。

 ニコラはルーシーのことを、大切な弟子として愛してくれているんだと。

 そうでなければここまでルーシーのことを親身に、大切にしてくれる理由があるだろうか。

 ニコラだけは常に寄り添ってくれる。それを人は間違いなく愛情と呼ぶに違いない。

 

「私は、お師様の愛情を、受けてる……っ。だから私は、今……幸せなんだ。お前なんか、出て行け……」


 力なく立ち上がろうとする。

 目の前に、愛情を注いでくれる恩人がいるのだから。

 でも今はルーシーの知らない男性と言い争ってる。愛の告白を受けている。

 ニコラが困っている。

 自分が行けば、話をやめてくれるだろうか。

 そう思ってルーシーが壁に手をついて、両足で立った時だ。


「どんなに言われようと無理だから諦めな。私はね、あんたのことだけじゃない。もう誰も愛さないって決めてるんだよ」

「えっ、ニコラ……っ? どう、して?」

「鈍い男だね。言葉の通りだよ。私は氷結の魔女ニコラだ。私は誰も愛さない氷の心を持った魔女なんだよ」


ーーえ?


 ニコラは真剣な眼差しで、はっきりと告げた。


「氷の魔女は愛さない。どんな相手だろうとね」


 しっかりとニコラの言葉を聞き届けた男は立ちすくみ、それからへなへなとその場に尻餅をつく。

 ふんっと鼻を鳴らして、ニコラは「悪いね」とだけ言って去って行った。

 ルーシーもまた、壁にもたれかかりながら二本の足で立っているのがやっとで、今聞いた言葉を何度も頭の中で反芻(はんすう)させる。

 ニコラは誰も愛していなかった。

 愛の告白をする異性も、弟子のことも、誰一人として……、どんな相手だろうと……。

 ルーシーは確かにそう聞いた。

 

「そう、なんだ……。お師様のは、愛情とかじゃ……なかったんだ……」


 そうつぶやくと、ルーシーの両目からは大粒の涙が溢れ出した。

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