第17話 初恋

アイリーンは幼少の頃から利発な子供だった。公爵家に生まれたため要求されるレベルも高かったが、一流の教育と相応しい礼儀作法をスポンジのように吸収し、周囲からの期待と賞賛を集めながら育った。


13歳になる頃には次期皇帝であるカイルとの縁談が囁かれるようになり、周囲はもちろんアイリーンもそれを疑っていなかった。

ところがカイルは一向に婚約者を決める様子がない。友人たちの婚約者が決まっていく中、それでもアイリーンは信じていた。いつか自分が皇妃となりカイルと共に帝国を支えていくのだと——。


18歳のある日、アイリーンに非公式のお茶会への誘いが届いた。差出人は皇太后だったが、お茶会の場に姿を現したのはカイルだったのだ。アイリーンがようやくその時が来たのだと期待したのは無理もなかったが、その期待は一瞬で裏切られた。


「わざわざ来てもらって悪いが、俺に婚約者は不要だ。公爵家にもずっと言い続けているが、君にも一度伝えておくべきだと思った。話は以上だ」

一方的に告げて話を切り上げようとするカイルに唖然としたが、そのまま立ち去ろうとしたのを見て、慌てて引き留めた。

「お待ちください、陛下。皇妃として私に至らぬ点があるのでしたら、教えていただけないでしょうか?」


忙しい皇帝を呼び止めるなど不敬かと思ったが、納得できない気持ちの方が強い。自分以上に皇妃の資質がある令嬢は国内にいないと思っていたし、足りない部分があるなら努力を惜しまない。

カイルの目が不快そうに細められたが、アイリーンは目を逸らさなかった。理由が分からなければ一生後悔する気がしたからだ。

1分ほど無言で見つめ合ったあと、カイルは溜息を吐いて椅子に座った。


「君に不足はない。――これは、俺の我儘だ」

「……我儘」

妃を娶り血筋を繋いでいくことも王族の重要な責務のはずだ。それを我儘の一言で済ませるつもりなのだろうか。呆気にとられたアイリーンを見て、カイルはむっとした表情を浮かべながらも付け加えた。


「そうだ。だから君は好きなところに嫁ぐがいい。必要ならメイヤー公爵にも先方にも俺から口添えしておく。外野がいくら騒ごうが気にするな」

確かに周囲の期待は大きいが、それはアイリーン自身も望んでいたことだった。

17歳で皇帝となったカイルだが、民を不安にさせることなく政治や外交を危うげなくこなし新しい国策にも力を入れ、民にとってより良い環境を整えようとしている。そんなカイルを敬愛し努力を続けていたアイリーンにとってカイルの言い分はちっとも理解できなかった。


「私は陛下に、エドワルド帝国に嫁ぎたいと思っております。私自身が気に入らないなら白い結婚でも構いませんわ」

「結婚自体したくないと言っているんだ。後継であればクリスティーナの子か公爵家あたりの優秀な人材を養子にすれば問題ない」


頑なに拒むカイルの態度がアイリーンには不思議でならない。貴族同士の婚姻など政略的なものが大半である。相性の良し悪しはあれど、アイリーンとカイルは直接的な接点はほとんどなく、嫌われる理由も思いつかない。

それなのに大した理由もなくこれまでの努力が否定される気がして全身から力が抜けていくようだった。


「……お役に立てず申し訳ございませんでした」

それだけ言ってアイリーンは頭を下げた。悔しくて情けなくて溢れそうな涙を堪えるのが精一杯だ。

「――好きな相手がいるんだ」

ぽつりと独り言のような小さな声が落ちて、アイリーンは思わず顔を上げた。困ったように、でも愛おしげな視線は遠くに向けられている。


「手が届かない存在だが、彼女が結婚するまではどうしても諦めたくないし、この気持ちを手放せるのかも分からない。だから結婚はしない」

内緒だぞ、と軽い口調で言われたが恐らく父や他の貴族たちが知らない秘密なのだと察した。彼らが知ればそんな恋心のために皇帝としての責務を蔑ろにするのかと責められるだろう。アイリーンがそう思ってしまったように。

それなのにカイルはアイリーンに理由を打ち明けてくれたのだ。それがカイルなりの誠実さを示しているようで胸が熱くなった。


「陛下のご厚情に心より感謝いたします」

その日アイリーンは皇妃に固執することを止め、カイルに心からの忠誠を誓った。月日が流れ、相変わらずアイリーンに婚約者はいなかったが、突然カイルの婚約が決まったとの知らせが届いた。


動揺する両親たちをよそにアイリーンの胸には微かな期待が灯った。あの時諦観の表情を浮かべていたカイルが望みを叶えたのではないか。

聴こえてくる噂から婚約破棄された令嬢だと知り、徐々に期待が高まっていく。


そうして訪れた婚約パーティーで愛おしそうな眼差しを向けるカイルを見たアイリーンの胸に万感の思いが込み上げてきた。

皇帝陛下は想い人を迎えることが出来たのだ。


喜びや祝福、そして僅かな痛み。

嬉しいと思う気持ちの方がずっと強かったことに安堵しながら、アイリーンはそっと初恋に終わりを告げた。

そしてカイルの婚約者であるシャーロットのために何が出来るだろうかと考えを巡らせるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る