エピローグ
「すべてが計算どおりに行かんわ」
だったね。コトリも粘りに粘ったけど、さすがの綾乃妃殿下でもあれは無理でしょ。でもさぁ、宮様にするのはどっちでも良かったんじゃない。あれはコトリの歴女としての趣味みたいなものじゃない。
「なに言うんや。最初からその一点で動いとったのに」
こんなもの他人に聞かせられないよ。今回の事件で普通に考えれば問題だったのは小杉親子問題。これをどうやって排除するかで皇室まで悩み抜いてたからね。
「あんなもん簡単や」
そういうこと。シノブちゃんが集めてくれていた小杉親子のスキャンダルの数々を暴露すれば終わりだったし、
「糸掛けてるんやからいつでも死んでもらえるからな」
物騒な話だけど、コトリが女神の糸を掛けた時点で生殺与奪を握ってたからね。小杉親子問題はツーリングから帰るまでに実質的にケリは付いてたのよ。だから問題の焦点はどうやって肇さんと喬子様を結婚させるかだったのよね。
とにかく身分が懸絶してるし、さらには肇さんは皇宮護衛官。この二人の間にロマンスはタブーみたいなもの。さすがのコトリもそれを乗り越えさせるのに一工夫も二工夫も必要になったぐらい。
「戦いはな。どれだけ準備に汗をかけるかで決まるんよ」
汗ねぇ。ウンウン言いながら汗かいてたものね。コトリが汗かいて作り上げたのが言うまでもないけど南朝秘史。明治の頃の安物の出版物の体裁に似せ、これに歳月による古びや傷みを丹念に加えた代物。
でもさぁ、でもさぁ、そもそも残ってるはずないじゃないの。明治の頃の洋紙だったら百年もしたらアウトじゃない。
「理屈ではな。そやけど現存しとる説得力に勝てるかい」
まあそうだったけどね。もちろんそのタネ本を書いたのもコトリ。
「和紙に毛筆で手書きやからな」
これまた古びさせ、虫食いも作り上げたいかにもの力作。わたしですら初めて見た時には、そんなものが本当にあったのかと、思わず信じそうになるぐらいの出来栄えだったもの。でもさぁ、あれってふざけ過ぎじゃない。
だってさぁ、だってさぁ、南朝秘史を出したことになっている明治の出版社の名前を見て噴き出したもの。
「日本一権威がある出版社やないか」
ああそうだよ、民明書房はそれが真っ赤なウソだという点で最高権威だもの。でも綾乃妃殿下さえコロッと騙されたのよね。そりゃ、あれだけ入念に作り上げられた和紙のタネ本まで見せられたら誰だって信じるよ。
綾乃妃殿下を騙すには本だけでも十分説得力はあったけど、その上にコトリの口八丁が加わるものね。でもさぁ、肇さんが南朝と無関係なのはともかく、紫電改の鴛淵大尉とぐらい血縁関係はなかったの。
「苗字が同じだけや。もっとも近所に先祖が代々住んどったからゼロとは言えんぐらいや」
鴛淵って苗字は長崎県佐世保市潜木町ってあたりが発祥らしいのよね。場所は佐世保市と有田焼で有名な有田町の境界の山の中ぐらい。
「つうか佐世保の東の端ぐらいで栗の木峠の麓ぐらいや。そこに潜木神社ってあるんやけどその南北に大きな池があるから、それに因んだんちゃうやろか」
そこにオシドリでも渡って来てたのかな。ただ鴛淵大尉の家は庄屋みたいな家柄で隠し苗字に鴛淵を持っていたそうだけど、
「肇の家は代々の使用人で、明治の御一新の時に鴛淵の苗字を付けさせてもうたらしい」
なるほど先祖は近所に住んでたけど血縁があったかどうかも怪しいってことか。よくまあそんなところまで調べてたものだよ。
「アホ言うたらアカン、神は細部に宿るんや」
良く言うよ大ウソ吐いてるのに。鴛淵の家のことはこれぐらいで良いけど、今回の問題の焦点は綾乃妃殿下との駆け引きだったんだよ。ぶっちゃけ、どうやって脅すかだった。だからコトリは女神の糸をあえて使ったんだよね。
これは小杉親子を家に閉じ込めるのも目的だったけど、閉じ込めた小杉親子を人質にするのが本当の狙い。こちらの要求を呑まないと小杉親子を解き放つぞってやつ。
「そういうけどな。綾乃妃殿下かって、小杉親子を処分してもたら掌返すのはミエミエやろうが」
まあその通り。綾乃妃殿下は困ってはいたけど、口とは裏腹に甘橿宮家を切り捨てる気だった。心配していたのは切り捨てた後に向かってくる皇室バッシングへの対応をどうするかだったはず。
「もし喬子様が小杉慶太と結婚なんてしようものなら問答無用やったはずや」
綾乃妃殿下が喬子様と仲が良かったのはホントらしいけど、綾乃妃殿下は個人としての情よりも皇室の安寧を優先できる人なのよね。だから甘橿宮家問題も小杉親子が前面に出てきたらバッサリ切り捨てる気でいたんだよ。
でもさぁ、やっぱり情はあるから、コトリとの謁見を了承して、女神の力を利用しようと考えたんだよね。これだって成功すれば大儲けぐらいだよ。だからコトリは小杉親子をまるで猫がネズミをいたぶるように、時間をかけて遊んでいたんだよ。
「人聞きの悪いこと言うな。悪いことをしたから報いを受けさせただけや」
ここの交渉ポイントは小杉親子の動向を綾乃妃殿下が把握できなかったこと。つまり呪いとか祟りで振り回されて喬子様どころでなくなってしまっているのを知りようもなかったってこと。
おそらく綾乃妃殿下はコトリがエレギオンHDの力を使って抑え込んでいると見たはずなんだ。つまりはコトリ次第でいつでも小杉親子は解き放たれ、甘橿宮家に結婚発表を迫るはずぐらい。
ついでに言うともう一つ綾乃妃殿下を懸念させる材料が出て来ていた。言うまでもなく小杉慶太との結婚の噂だけどセットで小杉親子の素行の悪さもね。喬子様は宮中の花として国民的な人気もあるから、当然のように懸念の声も上がってた。これも流したのはコトリだけどね。
そんな状態で綱引きみたいな駆け引きをやってたんだよ。このまま小杉親子を潰して欲しい綾乃妃殿下と、肇さんと喬子様の結婚を認めさせたいコトリとの交渉だよ。これがなかなか大変だった。
「そうでもあらへん。時が経てば追いつめられるのは綾乃妃殿下や」
綾乃妃殿下にすれば甘橿宮家を切るのは最後の非常手段みたいなもの。喬子様への情もあるし、切り捨てると後始末が大変なのもよく知っておられた。だからなんとかコトリに小杉親子にトドメを刺して欲しかったんだ。
だけど高卒の皇宮護衛官との結婚は綾乃妃殿下とて受け入れられるものではなかったんだよね。でも肇さんと喬子様の結婚を認めないと、甘橿宮家追放の断行をせざるを得なくなる状況に追いつめて行ったぐらいかな。
追いつめておいた綾乃妃殿下にコトリが提案したのが南北朝和解案。つまり肇さんをタダの高卒の皇宮護衛官ではなく、南朝の由緒正しい末裔に仕立てあげること。その小道具が例の民明書房刊南朝秘史だ。
これにコロッと騙された綾乃妃殿下はコトリの提案に乗せられちゃったのよね。綾乃妃殿下にしてみればこの策が成功すれば、
・小杉親子は女神が始末する
・喬子様の不穏な噂を南北融和の歴史的結婚で打ち消せる
ついでに言えば肇さんの家柄とか出自、さらには学歴や経歴問題も吹き飛ばせるよ。
「でもどうしても正式の鴛鴦宮家創設はウンと言わへんかった」
だ か ら、無理があり過ぎるって。あんなもの皇室典範を改正しないと無理だし、改正するのに綾乃妃殿下どころか陛下を動かしたって無理に決まってるじゃない。でもだよ今回の事件で桐良親王の存在とか鴛鴦宮家が実在の歴史になっちゃったじゃない。
「コトリの歴史的傑作や。ついにタダの歴女から、歴史を作る女になったで」
歴史の捏造は良くないよ。
「ウソから出た真実や」
それ使い方間違ってるよ。それで小杉親子はどうなったの?
「だから言うたやないか、善人なおもって往生を遂ぐ。 いわんや悪人をや」
どういう意味。
「わからんか。小杉親子は悪いことしとったけど、まだその悪の報いを受けてへんかったやろ。その状態やったら悪人、つまり苦しむ人になってへんから阿弥陀さんも救うてくれへんやろ」
それも絶対間違ってるよ。
「それをコトリが因果の応報を与えてあげたから立派な苦しむ人になれたやん」
あのねぇ、あれだけ陰湿なイジメみたいなのを延々と受け続けたら苦しみなんてものじゃないでしょうが。
「ユッキーも弥陀の本願がわかってへんな。苦しみを受けただけではアカンねん。それはまだ因果応報を受けてる部分で、そこから苦しむ人になるのが大事やねん」
屁理屈にしか聞こえないけど、苦しむ人になるってどういうこと。
「気がおかしゅうなって入院したわ。あれたぶん治らんで」
あれだけやられればそうなるのはわかるけど、どこに阿弥陀の救いがあるのよ。
「あるに決まってるやん。現世では精神科医が手厚く救おうとしてくれるし、あの世に行けば阿弥陀さんが駆けつけてくれるのは保証付きや」
まあ、いけもしゃあしゃあと言えるよね。要するに時間をかけて廃人にしただけじゃないの。お互いロクな死に方が出来ないわよ。
「エエやん。どうせまだ五千年は死なん」
その頃にユダが生きてりゃ、さらに五千年が自動追加だものね。
「弥陀の本願は・・・」
もう良いって。ところで綾乃妃殿下をどう見たの。
「苦労してはるわ」
菊のカーテンの内側を今回は垣間見れたのだけど、
「ボンクラの集団やな」
ボンクラは言い過ぎかもしれないけど、皇室で純粋培養された皇族男性は人が良いだけで、はっきり言って無能だ。八十年前の絹子様事件の時もそうだったけど、危機管理能力がまったくと言って良いほど無いのよね。でもあんなものかもしれない。
「それしか仕事あらへんもんな」
人って何かの欲がないと動かないのよね。たとえば出世したいとか、おカネを儲けたいとか、人から良く見られたいとか。だけど皇族って生まれた時からすべて備わってるのよね。そのうえ、とにかく何もしてはならないようなもの。政治経済どころか、普通の意味で働くのさえ禁じられているのと同じだもの。
「皇位かって南北朝時代みたいに血を流してまで欲しいもんやなくなっとるもんな」
近いものなら江戸時代の殿様かもしれない。殿様の仕事は極論すれば殿中で失態を犯さない事と、跡継ぎを作ること。譜代大名ならまだ幕閣の要職を目指すのもいたけど、要職に就いてもひたすら先例踏襲だけのようなもの。
藩政改革なんて断行できたのはわずかだし、それを成功させたのなんてほんの一握りとして良いもの。そんな人が良いだけで、プライドだけ高い連中を率いるのは綾乃妃殿下もさぞ大変だと思ったもの。
「その分、動かすのはラクやった」
ああいう古い家だから、たとえ綾乃妃殿下を動かしても文句を言ってくるのが湧いて来るのじゃないかと覚悟してたけど、
「一族挙げての『そうせい公』状態だったもんな」
そうだった。綾乃妃殿下が南北朝和解論から融和案を出し、喬子様のお相手に肇さんを持ち出そうが、鴛鴦宮宣下を持ち出そうが、ひたすら『良きに計らえ』状態だものね。今の皇室も綾乃妃殿下がおられただけでもラッキーだよ。で、で、綾乃妃殿下の評価は、
「人にしたら賢いと思うで。そやな後千年ぐらい経験を積んだら手強いんちゃうか」
人が千年も生きられるか!
「欠点はケレンに流れやすいとこかな。それがわかったらラクやった」
コトリなんてケレンどころかペテンしかやってないじゃないの。
「コトリのは神の御業や。同じにせんといて」
横で見ていて楽しめたから良いか。でも実際に見た喬子様はさすがだったね。
「まあな。人の女としては最上級に入るやろ。コトリやユッキーに肇さんは見向きもせんかったからな」
たしかに。まあコトリはBBAだから置いとくとけど。
「うるさいわ」
それでも肇さんは見込んだ通りの漢だったで良いと思う。あれだけの漢なら女をきっと幸せに出来るはず。釣り落した魚はやっぱり大きかったかな。
「釣られる余地もあらへんかったのは悔しいけど、そやからこそ漢やんか。コトリらにフラフラしとったら見捨てただけやろ」
その通り。漢とは一人の女を幸せにするためだけに生まれて来てるんだよ。その女を見つけたら命尽きるまで愛を捧げるの。それこそが漢で、その途中でどんなにイイ女を見かけても路傍の石ころ程度にしか見えないってことよ。
「その点では保証付きや。女神を一顧だにせんかったからな。その生きざまに惚れたからここまでやったんや」
かもね。とにかく面白いツーリングになってくれた。また行きたいな。そうわたしは永遠の時を旅する女だもの。旅で出会い、その時間を大切にし、そしてまた去っていく・・・ちょっとコトリ、聞きなさいよ。
「なんや弥陀の本願の講釈でも聞きたいんか?」
ギャフン。でもまた行こう。今回は洞川温泉ぐらいしか行けなかったけど、次は温泉巡りが良いな。山の中の秘湯の一軒宿。そこで出会うちょっと哀愁を帯びたイイ男。そこから物語が始まり、
「最後はトンビに油揚げをさらわれる」
どうしていつもいつもそうなるのよ。
「二人で行くから拙いんちゃうか」
それでもわたしはコトリと行きたいの。
「もう行くとこ残ってないで」
それを考えるのがコトリの仕事でしょうが。日本は広いの。二人のツーリングは無限だよ。それが永遠の時を旅する女の宿命。風の日も、雨の降る日もひたすた相棒のバイクで走り続ける。
「二人で出かけたらいつもツーリング日和やし、そのうえ夏も冬も避けるやんか」
ほっといてよ。気分なんだから。
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