雲の上のお話
本州最南端潮岬の征服が終わったから今日の宿に出発。潮岬周遊線を進んで行く。目指すのは潮岬の東隣の紀の大島。串本節に、
『ここは串本、向かいは大島、仲を取り持つ巡航船』
と謡われた島なんだ。串本から近くて目の前にある感じだけど、今は巡航船ではなく串本大橋が架かっている。
「次の信号や」
なんだあれ、あれが橋なの。串本大橋は笛我島を経由して紀の大島に行くはずだけど、
「笛我島までは堤防道路みたいやな。そこから見えてるループ橋を走るんやろ」
出来たのは二十世紀の末みたいだけど、わたしもコトリも初めて見るものね。前に来た時はフェリーだったもの。堤防道路で笛我島に着くとループ橋。ぐるっと回って高さを稼ぐとアーチ橋で紀の大島に到着。
日常の暮らしのためには橋の存在は圧倒的に便利だけど、観光的にはフェリーで渡るイベントがある方が楽しいかな。もっともこれは稀にしか来ない旅人の戯言だし、旅人だって橋とフェリーが両方あっても橋を渡るのが多いものね。
島に入ると山の中をほぼ真っすぐに走る道になってる。妙に広い歩道もあるから橋とセットで整備されたのだろうけど家が少ないな。それとロードサイド店ぐらいあっても良さそうな気がする。
「ちょっとストップ」
コトリと肇さんが道の相談だ。どうしてわたしを除け者にするのよ。
「どこに今日の宿があるか知ってるんか?」
ぐっ、まだ聞いてなかった。大島港の方に行くみたいだ。一車線になったり、二車線になったりするクネクネと曲がる道を下って来ると、ここは漁港、大島漁港だ。この辺が紀の大島の中心地で、かつては巡航船が発着していたはず。
それにしても狭いよ。道も狭いのだけど、左右に家が建ってるから圧迫感がなかなか。と思っていたら視界が広がって海だ、船着き場だ。どうもこの船着き場を走って行くみたい。船着き場の道が終わると、ひぇぇぇ、また一段と狭いじゃない。
こんなとこクルマで絶対に来たくないと思う。どうやってすれ違うんだろ。バイクでも前からクルマが来られたらお手上げだよこれ。そしたら突然停まり、
「あったあった」
えっ、どこと思ったら、道から下りる階段に小さな木の看板。この下の家が宿だとわかるけど、バイクをどうするの。コトリが宿に電話すると、
「あの辺に停めといたらエエみたいや」
荷物を抱えて階段を下りるとあったけど、なんとまあ、これまででも最強ってぐらい風情が溢れすぎた民宿だよこれ。それでも出迎えてくれたおばちゃんは親切そうな人で部屋に案内してくれた。
部屋は・・・こういう値段で、こういう宿だって割り切れる人じゃないと無理かもね。今どきの小綺麗な宿を期待したら不満しか出ないかもしれない。一応、わたしたちと肇さんの部屋は別だけど、コトリの言った通り襖で仕切られてるだけだもの。まあわたしもコトリも屋根さえあれば文句はない方だけど、
「なんか懐かしいな」
そうだよね。たとえれば田舎のお婆ちゃんの家に夏休みに帰省した感覚に似てるかもしれない。この部屋の汚れ具合とかね。部屋に着いたら風呂だけど、ここは自分で沸かすんだっけ。なるほど、なるほど、準備を済ませて、
「肇さん、お風呂の支度が出来ました。お先にどうぞ」
わたしもコトリも経験がないけど、新婚で旦那方の実家に初めて帰省した感じかも。肇さんが先に入って次に二人で無理やり狭い風呂に。
「なんか姉妹で入ってるみたいやな」
それでも今日の汚れが落せてスッキリ。浴衣なんか無いからジャージに着替えたんだけど、
「高校の時のスキー合宿もこんな感じやったよな」
ああそうだった。あれもなかなかの宿だったものね。規模はここより大きいけど、まさに詰め込まれての雑魚寝状態だったもの。あれはあれで楽しい青春の思い出だよ。そうこうしているうちに食堂で夕食。
へぇ、さすが漁港にある宿だ。鯛やヒラメの尾頭付きじゃない。海の幸がテーブルにテンコモリ。昨日が山の幸だったから嬉しいし、
「さすがに美味いな」
市場直送と言うより、漁船から直行かもしれない。お酒も進んで、次は夜這いの準備じゃなかった肇さんのことを知らないと。肇さんはインカム持ってないから、ほとんど聞けてないのよね。
「勤務は京都護衛署でなく赤坂護衛署です。こちらには休暇で来させて頂いています」
赤坂護衛署と言えば担当は赤坂御用地になり、宮家の警護がメインのはずだよね。現在の皇室典範では皇族とは天皇、上皇、親王、内親王、王、女王とその妃を指すことになる。それでもって天皇の二世孫までを親王、内親王として、三世孫以下を王、女王と呼ばれるのよね。
他の国なら王族になるけど、他国との大きな違いは皇族いても貴族がいないこと。貴族なんて必要ないと言えばそれまでだけど、
「皇族の結婚問題では影を落としとるな」
そうなのよね。王族の結婚相手に貴族はポピュラーだし、相手はそれなりにいる。それとこれは見落とされがちだけど、お互いがそういう相手と結婚すると意識してるし、そういう世界にも住み慣れている。
だから貴族が必要と言う気はサラサラないけど、皇太子でもお妃のゲットは容易じゃない。そりゃ、いざ結婚となれば現代のシンデレラとかと持て囃されるけど、女の究極の憧れとは言えないところがあるものね。
「言いようによっては日本一の旧家の嫁やもんな」
旧家に嫁ぐと古臭い習慣があって難儀する話は良くあるけど、天皇家なんか古臭いどころか古色蒼然さえ鼻息で吹き飛ばしそうな家だもの。そんなところに嫁入りして苦労したい女はどうしたって少なくなるもの。
「お妃候補に上がっただけで逃げ出した話はナンボでもあるもんな」
皇太子よりマシとは言え、親王以下も似たようなところはあるのよね。そりゃ、本家を継いで天皇になる皇太子よりマシだけど、日本一古臭い家の親戚だものね。結婚相手をゲットするのが難儀するのはこれだけじゃなく、
「学生の時にゲットしとかんと出会いは少なそうやもんな」
一般人でもそういうところはあって、学生時代より社会人になってからの方が出会いは少なくなる傾向がある。どうしたって社内恋愛がメインになってしまうし、それも同部署が主戦場にならざるを得ないところがあるものね。それ以外の出会いとしてポピュラーな、
「合コンとか婚活パーティーに出られへんやろし」
友だちの紹介も少なくなるはずだもの。別にこれだけが原因じゃないけど、二十世紀の終り頃から二十一世紀の前半ぐらいまで皇族の枯渇が問題になったのよ。皇族も第二次大戦後に一旦リストラ喰らってるのもあったけど、
「とにかく男が生まれんかった」
戦後の皇室典範では女性皇族が男性皇族以外と結婚したら皇籍離脱するのが決まりになってるのよね。でもとにかく男性皇族が枯渇したから、女系天皇や女性宮家論が出て来てた。そうでもしないと皇族が維持できない現実もあったもの。
「でも立ち消えになってもたな」
女系天皇にしろ女性宮家にしろ配偶者が必要なのよ。つまりは一般男性だけど、これと結婚するのは、
「お妃の比やないもんな」
昔から小糠三合あれば、婿養子にはなるなと言われているぐらい婿養子の扱いは良くないのは常識。お妃のロマンチックな部分を削り落としたのが女性皇族の配偶者みたいなものだもの。
「天皇家から種馬として扱われるだけやなく、世間からもそうとしか見られへん」
ぶっちゃけそうで、女系天皇・女性宮家議論の表には上がって来なかったけど、
「一番反対したんは女性皇族やって話やもんな」
女性皇族であるだけでも結婚のハードルが高いのに、婿入りが条件なんて結婚するなと言われてるようなものだものね。この女系天皇・女系宮家議論が立ち消えになったのは、そういう本音の反対もあったんだろうけど、
「流れが変ってもたもんな」
二十一世紀の半ばぐらいから、これまでの反動のように男が次々に生まれたのよね。男だから結婚しても皇室に残るし宮家も量産された。男性の皇位継承者がわんさか出来たら女系天皇・女性宮家議論なんて吹き飛んじゃったぐらい。
「あれで女性宮家なんか加えたら・・・」
そう増えすぎる宮家をどうするかに議論の中心が移っちゃったのよね。宮家とはなにかになるけど、シンプルには成人男性皇族が結婚して独立したら名乗るものぐらいだよ。
「天皇家は苗字があらへんからな」
そこもあるとは思う。お互いに呼び合う時とか、皇族のどういう位置にいるのか区別するのになかったら不便そう。その宮家だけど出来れば新居も出来るし、その家は引き継がれて行くのよね。
引き継ぐのは長男だけど次男以下は新たな宮家を立てることになる。二十世紀後半から二十一世紀前半ぐらいまで、宮家を引き継ぐ男性皇族がとにかく枯渇してたから、宮家も絶滅危惧種状態に陥っていたのだけど、
「今は次々に出来過ぎ状態や。何事も過ぎたるは及ばざるが如しや。とにかくゼニがかかる」
そう皇室予算問題に直結するの。皇族を養うのは税金だし、養うからにはちゃんとした待遇が必要。まさか生活保護レベルで済ますわけにはいかないからね。そこで出て来たのが皇親議論だった。
皇親とは律令時代にあったもので、これもあれこれ細かい変遷もあるけど、天皇の四世孫までを皇親として皇位継承権を有する者とし、五世孫以降は継承権を失うというものなんだ。
「これに皇籍離脱を絡ませる議論やったけど」
そうだった。五世孫は成人すると皇籍離脱をしてもらうだったかな。成人しただけでなく結婚も条件にするのもあったけど、皇室問題はとにかくデリケートだから、
「決めたら決めたで大騒動になるさかい、小田原評定しか出来へん」
わたしだってそんな会議に出席したくないよ。変に目立ったりすれば、トチ狂ったのがテロに走らないと言えないもの。
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