千早城

 道路からいきなりあるのが石段。それもかなり急勾配。


「最後までこんな感じらしいで」


 これぐらいなんてことはないけど、目指すは千早城。二十分ぐらいひたすら石段を登ったら千早城ならぬ千早神社。そう石段は神社の参道だったのよね。でも千早神社のあたりが千早城で良さそう。


 それにしてもトンデモないところにある山城だ。正成は関東の大軍をここに釘づけにして守り抜いたことで名を挙げたけど、こんな城をどうやって攻め落とそうとしたのか疑問だよ。城で頑張ってる限り落ちそうにないものね。


「攻める幕府軍かって、こんな山城の攻略戦の経験乏しいやろしな」


 太平記では二十万の大軍で取り囲んだってなってるけど、そんな大軍で城を攻めたのは秀吉の小田原城攻めとか、家康の大坂の陣ぐらいの規模になっちゃうよ。それにだよ、そんな大軍を展開するところもなじゃない。


 それにしてもコトリにしたら珍しいな。コトリは歴女だけど南北朝、いわゆる太平記の時代は好きじゃないんだよ。


「ああそうや。男の美学があらへん時代やからや」


 戦争なんて打算とそれによる裏切りが続出する世界だけど、その中でも美学がある。男の矜持みたいなものかな。


「もちろんどんな時代の戦争でも打算と裏切りをする奴は多い。そやけど太平記の時代はやり過ぎや」


 加えて英雄不在の時代だったともしてる。他の時代だったら、尊氏が九州から攻め上り、湊川の決戦で勝った時点で決まるはずだものね。だけど、逃げ延びた南朝は延々と戦ったから南北朝時代になったようなもの。


 そうなった原因は家督相続だとコトリはしてる。鎌倉時代の家督相続は分家相続。弟にも土地を与え分家を立てさせていたぐらい。開拓期の関東は広大な土地があったから、分家を立て、土地を開墾する事により一族の力を増やそうとしたんだろうって。


 だけど時代が下ればフロンティアはなくなっていく。農地が増えずに分家を作れば本家がやせ衰えるのよね。分家だって分家の分家を作るものね。だから分家を作るのをやめて一人に相続させるように変わって行ったんだ。


「跡取りを惣領って呼ぶけど、あれは兄弟の中で全部取るって意味でもあるんよ」


 そうすれば家の力は保たれるけど、惣領になれなかった連中はそれこその冷や飯なるんだよ。それだけじゃなく、長子相続も曖昧で、能力重視みたいな一面も濃かったそう。これは見ようによっては、より優秀な後継者を選ぶにもなるけど、


「その能力の評価の基準があらへん。とにかく惣領にならんかったら冷や飯しかあらへんから、相続争いが激しくなってもたんや」


 そういう背景で南北朝時代に突入すると、


「お墨付合戦になったんや」


 たとえば長子が北朝に相続を認められれば、次子は南朝にお墨付きをもらって対抗するぐらい。いわゆる大義名分だけど、どちらも我こそ惣領だと戦争状態に突入か。北朝も南朝も自分の利害だけでお墨付を乱発するし、相続を争っている当事者も目先の利害で南北朝を渡り歩くみたいな状況が続いちゃったのよね。


「戦争でどっちに加担するかは利害だけや。そやけど利害剥き出しですべて動く歴史は醜いだけやもんな」


 コトリに言わせれば鎌倉幕府を守ろうとした北条一族の最後は美学があったとしてる。


「そりゃそうや。六波羅探題の最後も、鎌倉の最後も悲劇やけど、あれこそ男の矜持やんか」


 それはわかるところがある。絶望的な状況になった時に名を惜しんで散って行ったものね。


「そやから太平記も正成までは認めてる」


 正成こそ忠臣の中の忠臣だよね。


「ちょっと違うと思うで。正成は自分の美学に殉じたんや」


 人には理想の人物像があるのよね。あんな人になってみたいってやつ。武士だってあるはずで、正成の時代なら鎌倉武士のはず。それもかなりどころでなく美化された鎌倉武士。


「正成は理想の鎌倉武士になろうとしたんもあるやろうけど、それを演じなければならない立場やったとも思うてる」


 正成の出自は低いのよね。武家で一流の証は鎌倉御家人。そうじゃなけえば見下ろされていたとして良いはず。人は出自にウルサイし、成り上がりを蔑ずむのはいつの世も同じところがある。


 正成に武士、そう鎌倉御家人への強い憧れがあったはず。そこに後醍醐天皇が現れて幕府打倒のバクチを打ったぐらいで良いと思う。それが千早赤阪の戦い。建武の新政で功労者として称えられたのは史実だもの。


「そやけど正成は鎌倉御家人になれなかったんよな」


 これは単純に鎌倉幕府が滅亡したのもあるけど、建武の新政は貴族政治への回帰を目指したもの。だから挫折したのだけど、ここでどうするかの問題が出て来たわけか。


「正成が梅松論でも評価が高いのは、理想の鎌倉武士を演じきっていたからやと思うねん。その態度は本物の鎌倉御家人でさえ敬意を向けざるを得んぐらいやったはずや。そやけど正成は鎌倉御家人やなくて朝廷の御家人やんか」


 あのまま建武の新政が続いていれば正成は成功者の人生になっていたと思うけど、現実はそうならなかった。貴族から武家に渡った時代は還るはずもないものね。尊氏が反逆して武家の時代に戻るけど。


「尊氏が九州から巻き返してきた時やけど・・・」


 正成は政権を武家、つまり尊氏に戻すべきと考えていたで良いと思う。武士は武家による政権を望んでいたものね。この尊氏政権への最大の反対者は新田義貞。つうか尊氏と義貞は武家政権の後継者争いをしていたと見て良いとも思う。


 だけど義貞には人望が無かった。人望が無かったから朝廷にすり寄ったんだよね。義貞の判断は朝廷を味方にしてなんとか尊氏に対抗できるぐらいだったはずなんだ。だから、尊氏の反攻に対しても決戦以外の選択肢はあるはずもないぐらい。


「正成は義貞がいる限り尊氏との和睦はないとして、義貞の首を自分が取って来るとまで言うたんよ」


 これは梅松論に書かれているのだけど、


『義貞を誅伐せられて尊氏卿をめしかへされて君臣和睦候へかし。御使いにおいては正成つかまつらん』


 ここだけど義貞の誅伐も正成はやる気だったはず。正成は義貞の首を持って尊氏との和睦交渉に臨むと言ってるのよね。正成の構想は尊氏幕府の創設で良いはず。つまりは鎌倉幕府の再建みたいなもので良いはずなんだ。


 正成は皇位を大覚寺統にする代わりに、尊氏の幕府政権を認めるぐらいの条件交渉にするつもりだったはず。これは尊氏だって受け入れやすいと思う。ライバルの義貞は殺してくれてるし幕府開設も認めるだもの。


「正成はその時に朝廷の御家人として重きをなすぐらいやろ。尊氏も正成を敵に回せばどれだけ手強い人間か知っているから、正成が朝廷を抑えてくれたら万々歳やんか」


 だけど朝廷は一度勝っている尊氏との決戦を選んでしまう。ここもわかるところもあって、正成の主張はやっと手に入れた政権をむざむざ放棄するだけでなく、尊氏政権の下で顔色を窺いながら生きるしかなくなるものね。


 だけど朝廷の願いも空しく頼みの義貞は播磨の赤松円心に翻弄されてしまい、追い込まれる形で湊川決戦になってしまう。その頃の正成は後醍醐天皇にも疎まれて謹慎中みたいにされたのよね。でも義貞苦戦となって援軍に駆り出されちゃうのよ。


 この時の正成はわずか七百人を率いて死にに行ったようなものとされてる。落ち目の義貞と組んでも勝てるはずもないものね。


「通説ではそうやけど・・・」


 コトリはそう見るのか。正成は義貞とまったく別の動きを取ったのよね。湊川決戦は尊氏の巧みな誘導戦術に義貞は翻弄されて完敗するんだけど、正成は会下山に陣を取ってるのだった。


 会下山は今の会下山じゃない。真下に山陽道が走り、その先は湿地帯でその向こうが大輪田の泊になる。会下山に正成が頑張ってると大輪田の泊に上陸した尊氏軍にとっても邪魔でしかない。だから攻め寄せられたのだけど、


「あれは正成の策のはずやで」


 策と言ってもあんな小勢で会下山を守り抜けるはずないじゃない。あそこは千早城とはまったく違うもの。それなのに正成はわざと小勢にして、わざと会下山に陣を張ったって謎々じゃない。奇策も過ぎると成功なんかするものか。


「奇策と言えば奇策やが、正成にしたらお家芸の山岳ゲリラ戦や」


 会下山には鵯越道が通じてるのだった。だから会下山を攻められたらいつでも逃げられると見るのか。尊氏だって高尾山まで退かれただけでも追いかけるのが難しくなりそうだものね。さらに藍那まで逃げられたらもっとだよ。


 正成は会下山からの退路も持ってたけど、これは進撃路にもなるのか。尊氏軍が追って来なくなったらまた会下山を窺うとか。そんなことをされれば大輪田の泊が使いにくくなっちゃうよね。


「ましてや相手は正成や。これを放置して京都に進みにくくなる」


 でも正成は湊川で散っている。


「尊氏の方が一枚上やった。尊氏軍は水軍と・・・」


 陸上軍は山陽道、長坂越、さらに鵯越道の三方から湊川に押し寄せて来てたのか。これは正成から見るとまさに完全包囲になっちゃう。


「それがわかって正成はついに最後の腹を決めたんやろ」


 その時点でも正成は生きられた。どうするかって、尊氏に降伏するんだよ。尊氏も正成を高く評価していたから味方に欲しかったはずだもの。尊氏は欠点も多い人物だけど、最大の美点は寛容であること。それが最終的に室町幕府を開かせた原動力のはず。


「そういうこっちゃ。そやけど正成は自分の美学に殉じたんや」


 正成は死を覚悟してから歴史を意識したんじゃないかとコトリは見ている。正成は朝廷の御家人として名を挙げているから、ここで裏切りの者の名を残す気はまずなかったはず。あとは散り際の美しさを演じるために徹底的な持久戦を展開したぐらいかな。


 正成は幕末の新選組に似ているのかもしれない。新選組の中核をなした近藤勇や土方歳三は武士の出じゃなく百姓なんだよ。それが武士になるチャンスを得て新選組になったんだけど、より武士らしくあろうとした集団としても良いと思う。正成が自らの美学によって湊川で散った後は、


「ひたすらグダグダの時代になるから好かん」


 だからこそ正成が輝くんだけどね。


「あの時代に男とはどう生き、どう死ぬべきかの美学を体現したと思うてる」

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