第6章 西宮北口

第1話

 いつの間にか飲み始めて三時間以上経過し、かなり遅い時間になっていると気づいた由紀恵は、麻里子をタクシーに乗せた。飲み代もタクシー代も全部、由紀恵が『子供ができたお祝い』と称して支払った。麻里子は最初遠慮していたが、最後は受け取った。そもそも飲んでいたのはほとんど由紀恵なので、妥当な線ではあった。

 その後、由紀恵はバーに戻り、ギムレットを一杯頼んでから加熱式タバコで一服を始めた。さすがに妊婦の前で吸う気にはなれなかったのだ。酔い醒ましにはちょうどよかった。

 一人で一服しながら、由紀恵は色々なことを考えていた。

 麻里子も由紀恵と同じように、魔法大学を卒業した後はフリーの魔法士として仕事をしていた。ただしフリーと言っても、駆け出しのうちはベテラン魔法士が構える事務所での下働きだった。数年修行をして独立するのが普通なのだが、麻里子は早々に結婚してしまい、フリーの仕事はしていない。

 だから由紀恵は、麻里子が経験していない世界として自分の活動を話してあげようと思っていたのだが。麻里子の妊娠に全て、話題を持っていかれた。

 うーん、こんなはずじゃなかったんだけどなあ。

 別に、麻里子が幸せなことを妬むつもりはなく、むしろどんどん幸せになってほしいと本心から思っているのだが、残念だったのは、自分にはその手の話題が一切ないことだった。

 魔法大学に入り、初めて男子と話すようになり、頑張って豪星にアプローチして幸せな結婚を手に入れた麻里子。それとは対照的に、由紀恵は許嫁がいるといういい身分にあぐらをかき、そういった努力は何もしてこなかったのだ。何も話せないのは当然の帰結だった。

 由紀恵はフリーの魔法士という今の身分を気に入っていたが、一方で結婚や出産といった次のライフステージに進む麻里子のことを羨ましく思う気持ちもあった。つまり「一生独身でいいや」とは、まだ言い切れない、微妙なお年頃なのだった。

 そうは言っても、許嫁とは色々あって破局寸前だし、今更彼氏を作るために新しい出会いを求める気にもなれない。二十代後半、いわゆるアラサーに差し掛かってからは、新しいことに挑戦するという気持ちがだいぶ小さくなった。特に由紀恵の場合、魔法士の仕事で色々なところへ行くので、その刺激と疲労が強すぎて他の新しいことをはじめる気力がない、という部分が大きかった。

皆、それなりの歳になると、いそいそと相手を見つけて結婚していく気持ちが、由紀恵にはわかり始めていた。あれは、他にすることがないからなのだ。多分。

 

「どうしてこうなっちゃったんだろうなあ」


 由紀恵は一人呟いた。基本的にポジティブな由紀恵だが、たまにはこういう気分の時もある。

 結局、楽しいままのテンションで終われず、複雑な心持ちで京王線に乗った。ラッシュと逆方向のためか、電車は空いていた。由紀恵はロングシートの一番隅の席に座り、仕切り板にもたれかかって深く眠った。まるで疲れきったサラリーマンみたいだな、と由紀恵は思った。


* * *


『お疲れ様でした。魔法庁魔法管理官の天原です』

「勝目麻里子です。お電話ありがとうございます」

『いえ。それで、由紀恵さんはどんな様子でしたか』

「特に変わったことはないようです。いつもの調子でした。しいて言えば、以前より酔いはじめるのが早くなった気がしましたけど、歳だから仕方ないかと」

『そうでしたか。貴方がそう言ってくれると安心です。妊娠されて、無理をさせてはいけないと思っていたのですが』

「とんでもないです。わたしも、由紀恵ちゃんと久しぶりに話せて楽しかったですよ。それより、天原さんも大変ですね」

『どういう意味ですか?』

「あっ、いや、深い意味はないんです。あんなに自由奔放な由紀恵ちゃんの監視だなんて、すごく振り回されて、疲れちゃいそうだなって」

『確かに、おっしゃる通りの辛さを感じることはあります。ただ彼女は、振り回すといっても迷惑をかけるのではなく、我々になにか新しいものを教えてくれる。そういう才能がある人だと、勝目さんも思いませんか』

「そうですね。わたし、由紀恵ちゃんがいなかったら、今の生活はありませんでしたから」

『今後も、依頼させていただくと思います。もちろん出産や育児を最優先するよう、十分配慮しますが』

「大丈夫ですよ。わたしも、由紀恵ちゃんと話すのは大好きですから」

『話すだけで済めばいいのですが』

「心配しすぎですよ。由紀恵ちゃんは悪い子じゃないんですから」

『そう祈っています』

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