3000字くらいの短編集

micco

月見の献立

 炊き込みご飯を作る。

 といっても、ご飯を三合洗って丸美屋の五目ご飯の素を入れるだけ。うちはずっとこれだ。簡単なのに美味しくできるからいい。三合は少し多いけど、冷凍すればいい。炊飯器をいつもと違う普通炊きにセットしたら、今度は冷蔵庫へ。

 えぇと。じゃがいも、人参、白滝、牛肉……あれ、玉ねぎがなかった。まぁ……いいか、砂糖を多めに入れよう仕方ない。白滝の下ゆでのために小鍋を軽くすすいで火にかける。肉じゃがだ。

 引き出しからピーラーを取り出す。じゃがいもと人参の皮剥き。

 ピーラーで皮を剥くのは少し苦手。小さい頃、初めて使ったピーラーで自分の皮を剥いてしまったからだ。皮が薄く剥けたまあるい泉からじわりと赤が湧く痛みが忘れられず、もう何十年と使っているのにいつも身構える。きっとこれが、三つ子の魂ってことなんだろう。

 おっと、お湯が沸いた。白滝を放りこんで、また皮剥きに集中する。じゃがいも、人参を剥き終わって一口大に切り、水に浸けた。牛肉は外国産の見るからにパサパサ味なので、アイラップに入れ替えて酒とごま油でもんでおく。

 誰に教わったわけでもないけど、日本産のに比べると水分と油分が足りない気がするから。適当すぎるかしらん。

 白滝をお湯から上げて、シンクのざるへ。

 深鍋に油をしいて火にかける。忘れてた、にんにくあったかな。あったあった、よかった。急いで輪切りにして放つ。

 おっと温めすぎて焦げちゃった。お肉入れて……あぁお肉のいい匂い。

 そうね、しょっぱいものばかりだからさっぱりしたのも作ろうか。


 ――もう秋といっても、陽射しが強い。北側の台所には、網戸越しに少しだけ風が吹いてくる。でも火の側にいる私はすでに汗だくだ。木べらで鍋の底からゆっくりとかき混ぜる、肉じゃがはいい具合。じゃがいもがほくほくしている。

 涼しさに汗を拭いつつ、火を止めて落とし蓋をした。もう少し味がしみたら出来上がり。炊飯器はあと十分。

「ただいまー! あ、母さんなに作ってるの」

 手も洗わずに幸生ゆきおが台所に入り込む。たくさん遊んできたらしい、おでこにしっとりと汗をかいている。

「肉じゃが。あと炊き込みご飯」

「やったぁ。大好きなのばっか! そうだあとさ、フライドポテトも!」

 えぇ? きゅうり漬けを切っていた手を止めた。

「だって肉じゃがにじゃがいも入ってるでしょ」

 それに揚げ物は面倒。また皮を剥くのもいやだ。

「いいじゃん食べたいよー」

「だめ。もう、いいから手を洗ってきなさい」

 はぁいと口を尖がらせ、いがぐり頭が洗面所に走って行った。

 この前私の妹と初めてマクドナルドに行ってから、ポテトポテトと毎日うるさい。新しくできたショッピングモールの中に入ったらしく、大賑わいだという。じゃがいもを切って揚げるだけ、とは聞くものの本当にそんなに美味しいのだろうか。細切りも苦手で気が乗らない。

 ふむ。私はひとつきゅうりを口に放り込んで考える。しゃくしゃくと塩味が丁度いい。手を洗ったらしい幸生が居間のテレビをつけて、何かのアニメの歌が流れてきた。でもそんなに美味しいなら――今度、家族三人で食べに行ってみようか。

「ねぇねぇ母さん、明日お月見なんだってー」

そうだった。餅粉あったっけ。

「ねぇ母さん、団子食べるよね? ぼく、みたらしがいいなぁ」

「はいはい」

 やったぁ! 幸生の居間で飛び跳ねる音。

 まったくもう、食べることしか頭にない。少し苛立ちが沸いて、私はまな板を洗いながら声を張り上げた。

「幸生、宿題はやったの?」

 返事がない。都合が悪いと聞こえなくなるんだから。肉じゃがを少しだけ温めて盛り付け終え、もう一度声をかけてもだめ。

「幸生!」

 役立たずの耳を引っ張り上げてやる、と私はエプロンで手を拭った。


『今日は九月十日、中秋の名月です。二年連続の満月ですね』

 つけっぱなしにしていたニュースからそう聞こえて、今日は満月か、と最近覚えたキャベツの酢漬けを味見した。うん、さっぱりして美味しい。

 ――あの日、幸生は遊んだ疲れでテレビを見ながら朝までぐっすりだった。そして慌てて出かけた登校中、車にはねられた。そしてそのまま息を引き取った。

 あせもが痒くなるからとシャワーを浴びせて時間がなく、ろくに朝ご飯も食べさせてやらなかった。大好きな炊き込みご飯の、あと一口ぐらい食べさせてあげればよかったのに。自分は夜も朝もたらふく食べて幸生には……。

 ぐずぐずと鼻をすすった。何度も後悔している、何回も十何年も。

 玉ねぎがなくてよかった、と思う。あれで涙が出てしまえば、つられていつも止まらなくなるから。

 ピー。炊飯器が呼んだ。「はいはい」しゃもじを取り出して、蓋を開ける。もわっと顔中が醤油のいい匂いになった。あぁ美味しそうにお焦げもできてる。かき混ぜて蓋をして、弱火にしていた深鍋の火も止めた。暗い気持ちのままさっさと洗い物をして、シンクの上を片付けた。

 ――秋風がふぅ、と額の汗を撫でた。

 青い網戸越しに、裏の家のススキが揺れていた。

 今日は幸生の命日。幸生の好物を食べる日。

 幸生、今日はお月見だってさ。ついでだから父さんに団子も買ってきてもらおうか。

 そっと胸の中で幸生に呼びかける。いつもそうだ。声に出してしまえば悲しみが家中に、世界中に広がってしまう。幸生がこの世にいないことが分かってしまう。

 私は居間にスマホを取りに戻って、夫にラインを送ろうとした。ニュースはまだお月見の特集が続いていて、色とりどりの団子が画面に大写しになっている。うん、美味しそう。

「なにがいいだろ。……胡麻と餡子かな」

 見慣れたタレントが笑顔で食べているのに惹かれ、ごまとあん、まで入力したとき、ピー、ピーと炊飯器が鳴った。あれさっき蓋は閉めたのにと思いつつ、台所へ向かう。

 開いていた。やだ忘れるなんて、とぎゅっと蓋を閉め、作業台を見ればやっぱり片付けたと思っていた醤油差しが出っぱなしになっていた。おかしいな、と定位置に戻す。もう年かな。苦笑して、台所に立ちこめた醤油の匂いを吸い込んで――はっとした。

『ぼく、みたらしがいいなぁ』

 そうだ、そうだった……!

 居間に走った。数歩の距離が、スリッパのもたつきがもどかしく、私は転がるようにしてスマホに飛びついた。

 みたらしだ! そうだ、みたらしだ。

 入力途中の文字を消して消して、『みたらし』と打った。送る。あぁばか、それじゃなんのことか分からないじゃない。でも手が震えてもう字を打てなかった。緑の吹き出しがぼやけて、送った字も読めない。

「幸生、ゆきお……」

 嬉しかった。忘れていた幸生の声を思い出したことが嬉しくて、嬉しくて私は畳に膝をついた。そうだあの日も、あぁこうやって膝をついた。幸生を抱いて布団に連れて行ったっけ。汗ばんだ半袖の体の重み、憎らしいほど穏やかな寝顔、手を洗いに行く足音、やったぁと笑う幸生――。

 みたらしだ、思い出した。ごめんね、母さんすっかり忘れてた。

 スマホが何度か鳴ったのにも、私の涙はあふれて止まらなかった。どうしても止まらなかった。


「ただいまー」

「おかえりなさい。……ちょっと、さすがに買いすぎじゃないの?」

「いやだって、お月見セールって言うから」

 夫の手には満月の絵がかいてある紙袋と、団子屋のビニール袋が提がっていた。透けて見えるは団子が三パック!

「食べきれないでしょ」

「まぁまぁ」

 私は口をへの字にしてそれを受け取り、袋の口からもれた香ばしい油の匂いにお腹を鳴らした。マクドナルドのポテト。

 私と夫がマクドナルドに行ったのは、幸生がいなくなってから随分と経ってからだった。ハンバーガーなんてどうして食べようと思ったのか、もう思い出せない。でも、今は夕食にねだる幸生の気持ちが分かる。初めてポテトを食べてから、私も夫もすっかりポテトに夢中なのだ。

 Lサイズなんて胃もたれしちゃいそう、と口を緩ませつつ、居間に出しておいた皿にざざっと空けた。あぁいい匂い。

 炊き込みご飯と肉じゃがと、ポテト。どの皿も湯気を立てて、食卓を温める。

 ふと秋風を感じて庭を見ると、レースカーテン越しに大きな満月が輝いていた。

 ほら、幸生団子だぞ、有名店のだ美味いぞ。手も洗ってないのに、夫が仏壇に団子をあげた声が聞こえた。


(了)



──────────────────

四季の宴編

【秋021】『醤油とポテトと満月と』改題・改稿

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る