魔法カード

沈黙静寂

第1話

〈バッドカード〉

 ある朝起きると、学習机の上に何かが見えた。

 何だろう、見慣れない紫色の紙。

 眠い目をこすってベッドから机に移動すると、その何かの輪郭が徐々にはっきりする。長方形で大きさは携帯より少し小さい。インドア派の子供が遊ぶカードみたい。

 近付いて目を凝らすと、上の方に「魔法カード」の文字があった。魔法カード魔法カード、ふむ。真ん中には四角く囲まれた枠があって薄暗い黒色が占めている。ほう。何か本当にゲーム用のカードみたいだ。じゃあ下の方にはカードの効果が書かれているのかな、と目線を移せば正しく説明欄があった。けど内容が変だ。

「どれどれ……『このカードを手にした者が、カードに触れながらその愛する一人の者について強く念じると、カード中央の枠内にその者の容姿が描出される。完全に描出された時点で、その者はこのカードを持った者を愛するようになり、加えてその者の元にこれと同様のカードが行き渡る。愛された者が愛する者を念じた場合は、愛する者に二枚目のカードが行き渡ることはなく、描出された時点で効力は失せる』」

 ごちゃごちゃした文章だ。要約すれば自分の好きな相手が自分を好きにできるってことかな?恋愛カードバトルなのかこれ。それにしてはデザインがそれらしくないけど。

 どうしようこのカード。遊び心をあしらった呪いのお札だったら破棄も手だけど、却って怨念を買う恐れもある。かと言って部屋に飾るのも災難を呼び寄せそうで不安。困った。

 他人が見たらカードを生贄とした儀式のように、机の外周をぐるぐるして対策を練る。けれど良案が浮かばず、うじうじしているとお母さんから「起きてるぅ?」と扉を介して呼ばれた。「うーん」と生煮えな返事をするついでに時計を見たら、もう出発の時間だった。まずい、急がなくては。

 部屋を抜け、掃除機が吸い込むように朝ごはんを済ませ、「いってきまーすっ」お母さんに告げながら鞄を背負う。

 結局カードは制服のポケットに入れて家を出た。


 少し進んだ先の交差点に着いたわたしは、いつも一緒に登校する人を待つ。その人は一学年上の先輩で、わたしが入学当初迷子になりかけていたところを助けてくれた恩人。方面は違うけど、近所に住んでいることが分かって以来、こうして待ち合わせをして登校している。

 だけど今日は来るのがちょっと遅い。わたしも今朝のごたごたで遅れたことを考えれば、結構遅れている。確かにのんびり屋な性格だとは言え、これだけ時間を過ぎるのは珍しい。このままだと遅刻寸前……いやもう遅刻確定か。まぁ遅刻はどうとでもなるからいいとして、それより何かあったのかなと心配してしまう。

 連絡を入れてみようと携帯を開いた時、道路の端から人影が見えた。茶色のセーター、黒と赤のスカート……あ、よかった。あかりさんだ。

「あかりさん、遅いですよ」携帯を閉じて、駆け寄るゆかりさんに言う。

「ご、ごめんなさい、ゆなちゃん」わたしの前に到着し、走ったおかげでぜぇぜぇ呼吸を乱す。開いた口元が朝日に照らされて光っている。

「朝少し、忙しくて」

「珍しいですね。何か用事でもあったんですか?」

「……いや、ちょっと……ね」頬に指を当ててお茶を濁された。言えないことでもあるのかな。まぁ無理に言わなくてもいいんだけど。あかりさんお嬢様だし庶民とは違う多忙さがあるのかもしれない。

「これじゃ、遅刻しちゃうかな……」申し訳なさそうにしょぼんと俯くあかりさん。何だか高級な子犬みたい。

「もう遅刻はいいです」本当はわたしだって遅れてきたから偉そうなこと言えないけど、とりあえずあかりさんをあやす。

「その代わり、はい」膝に置いた手を奪ってわたしの手に握る。あかりさんは、はっとして顔を上げる。

「これでゆっくり行きませんか?」わたしの右手とあかりさんの左手。確かな感触を通じて言ってみた。偶には時間に囚われず二人でのんびり歩くのもいいよね。

「……はいっ」薄暗いあかりさんの表情は、瞬く間に笑顔になった。


 教室の窓際で物思いに耽る。

 物というよりは人だけど。そう、あかりさんだ。

 さっきから何故か、あかりさんのことが気になって仕方ない。意識し始めたのはほんの数時間前からだ。つまり実を言うと登校中も意識していた。少し屈んだあかりさんの胸元とか、唇だとか、目を奪われた。目が離せなかった。冷静な振りをしていたけど内心ではすごくどきどきしていた。その深層心理が働いて手を繋ぎたくなったのかもしれない。

 あかりさんのことで頭がいっぱいだ。あかりさんの制服姿、あかりさんの私服姿、あかりさんの明るい表情、あかりさんの色っぽい顔、あかりさんの寂しげな佇まい、あかりさんのまったりした雰囲気、色んなシチュエイションのあかりさんが脳裏に上映される。浴衣を纏ったあかりさん、ウェディングドレスに包まれたあかりさん、アイドル衣装のあかりさん、ナース服のあかりさん、セーラー服のあかりさん、エプロンを着たあかりさん、水着のあかりさん、パジャマで眠そうなあかりさん、着ぐるみの中のあかりさん、宇宙服で浮遊するあかりさん、小学生のあかりさん、尻尾の生えたあかりさん、天使になったあかりさん、わたしの隣でおはようと囁くあかりさん……愈々架空のあかりさんまで浮かんできた。わたしの頭はどうなっているのだ。

 頭を只管叩いても変わらない。脳のあちこちであかりさんが溢れてくる。時間が経つにつれてそれが激しくなる。授業中だと言うのに頭が教師の言葉を受け付けない。理性でも感情でもない何処かからあかりさんを求めるみたいだ。発生源が特定できない。

 何で急にこんな風になったのだろう。思春期で説明がつくとは思えない。これが恋、なのかな?確かにわたしは今まで恋という恋はしてこなかったし、しなくてもいいかと思っていたけど、こんなに掴みどころのない感情なのか?感情というか、感情を越えた何かのように感じる。それに唐突だ。恋は突然にとはこういうことか?それこそ俄かには信じられない。

 仮に恋だとしたらわたしはあかりさんに恋しているということになる。仮定じゃなくて実際にもわたしはあかりさんのことが好きだ。でもそれは何というかパートナー的に、持ちつ持たれつの意味で。一つ年は離れているけど親しみと尊敬を持って接しているし、今までそうしてきた。恋愛対象としては考えたことがなかった。だけど今のこの夢見心地の頭ではそうとしてしか捉えていない気がする。別に嫌悪感がある訳では無いけど脳の急展開に理性が追いつけていない。この調子だと次にあかりさんに会った時にはうっかり抱きついてしまうかもしれない。ほら、今もあかりさんの手の温もりが発熱したみたいに額に集う。もう何が何だか分からない。

 いっそ恋かどうかはどうでも良い。だから恋でもいい。ただこの周章狼狽を誰か何とかしてくれぇ。

 そう切に願った、二限目終了間際。


 昼休み、わたしは窓際で一人悶々とする。駄目だ、あかりさんの妄想が止まらない。頭の中のあかりさんが一時間以上卵焼きを箸に挟んで食べさせようとしてくる。的確に好物を差し出されて、ぐっと堪えた挙句あかりさんに口を向けるとぶつっと映像が切れ、それをエンドレスで繰り返す。そんな一種の催眠術が幕を閉じたと思ったら、第二第三のあかりさんがニューロンに乗ってわーわーやってくる。お手頃サイズのあかりさんが「ゆなちゃん、ゆなちゃん」と言ってわたしの頬を摘む。きゅんときたあまり、ミニチュアあかりさんの後ろの襟を掴んで持ち上げる。卵焼き大のあかりさんは唇に指を乗せてぽへーっとする。そんなあかりさんが食べちゃいたいくらい可愛くて、思わず口に入れちゃう。あーれーと言いながらあかりさんが喉の奥へ消えていく。すると景色が切り替わり、普段の教室が映し出される。わたしとあかりさんが何故か二人羽織でお弁当を食べようとしている。「ゆなちゃんはい、あーん」「あかりさんそれ鼻です、鼻」「んーここじゃないの?じゃここかな」「あかりさんそこは目です」「もうゆなちゃんったら」「へへあかりさんこそ」と仲睦まじく片道切符の食べさせ合いをする。平然を装うわたしの背中にはあかりさんの上半身の膨らみが触れていて、必然背筋から汗と熱が漏れる。「何だか暑いね」と言われて余計に汗腺の分泌が促進され、後背部がますます水分に溺れていき、やがて背骨まで液体と化すと、あかりさんもどろどろに溶けて、混ざりあって、一つになった。

 ……って何だこれ。何言ってんだわたし。現実のあかりさんなのか非現実のあかりさんなのか区別不能になってきた。もうあかりさんなら何でもいいや。あかりさん大好きだ。

 そんな感じであかりさん教に入信していると、床でぱらっと音がした。あかりさんの幻覚を維持しながら覗いた場所にあるのは、今朝手にしたカードだった。そういえばすっかり忘れていたなと思い、拾い上げる。

 そのカードを数秒眺めて、そうだと閃く。これを使えばあかりさんのハートもゲットできるのでは。だよねそうだよねきっとそう。だってカードにそう書いてあるもん。あれ、わたし天才かもしれない。わたし恋すると冴えてくるタイプなのかな。

 早速カードの指示に従おう。って言っても念じるだけか。よーしじゃああかりさんを念じるぞ。捻じるほど念じるぞ。既にわたしの頭の螺子は捻じれ気味だけど、ねじねじ捻じろう。あかりさんあかりさん、あかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさんあかりさん……ふう、こんなもんかな。これであかりさんはわたしのことを好きになったはず。

 お、本当にカードの中にあかりさんの顔が出現している。凄い。やっぱりこのカードは本物だったんだ。真正の魔法なんだ。となると今頃あかりさんはまるでさっきのわたしみたいにわたしのことで頭が満たされ始めているのかな?これからわたしのことが好きで好きで堪らなくなるんじゃないかな。

 よし。なら告白しよう。あかりさんに好きだと言おう。今なら告白しても確実にオーケーが貰える。あかりさんと付き合える。まぁ偽物だとしても、ここまで気持ちが昂ったら告白するしかない。この想いは伝えないとダメだ。ダメになってしまうよ。わたしの蠢く何かが張り裂けそうだ。決行は、放課後にしよう。その頃には大分温まっているはずだ。わたしとあかりさんの恋心が。あー、放課後が楽しみだなぁ。


 授業が終わってクラスメイトが続々と帰宅していく中、わたしは一人席に座ってあかりさんを待つ。わたしとあかりさんはいつもここで待ち合わせをして一緒に帰る。

 窓から見える外の景色は、稠密なオレンジ色に染まり、シルエットの不明瞭な千切れ雲が魚みたいに泳ぐ。色違いの海と空が逆さまになった現実を思い描いて、童心に似た好奇心が風と共に揺らめく。遠くの建物と建物の間を流れる様は岩盤の隙間に隠れているようにも見え、刹那の自然の儚さと荘厳さを覚える。美しき天を見上げるだけで、わたしの微かな一日は終わってしまいそうだ。

 なんて詩人を演じている間に、あかりさんが教室に入ってきた。こっちの方が百倍美しい。

「ゆなちゃん、来たわよー」扉を離れ、席の後ろを通り抜け、あかりさんがわたしの元へ近付く。わたしは敢えて返事をしないであかりさんの接近を待つ。

 席二つ分の距離に縮まったその時、席から立ち上がり、思い切って叫ぶ。

「あかりさん!」夕陽に染まるあかりさんの顔に向けて、息を吸い込む。

「わたし、あかりさんのことが……」手の中のカードを握りしめながら、心の奥から。

「好きです!」

 言った。言い切った。瞑った瞼を開いて、あかりさんを見る。あかりさんは茫然と立ち尽くしている。瞬きもせず、口をぽかんと開けて、わたしの方を向いている。

 そのまま数秒の時間が流れ、蒸発しそうな空気が漂った後。

「まさか、本当に……」掠れかけの小言を呟いたあかりさんは、

「……私も、好きよ。ゆなちゃんのこと」わたしの胸に抱く的を、真っ直ぐに貫いた。

「ゆかりさんっ」我慢できずに、抱きついた。するとその衝撃で、あかりさんの背負っていた鞄から何かがひらりと落ちた。

「あ、ごめんなさいっ、何か落ちちゃいました」

「……あっ、それは!」足元に落ちた紫色のそれを拾おうと思い、表を捲ってみると、「魔法カード」と記された文字と、わたしの顔が描かれていた。

 ……え?

「…………あかりさん……何ですか、これ?」掴んだカードを目線の直線上に構え問う。

「あ、あら、な、何でしょう。知らないわ。」カードを間近に見せつけられたあかりさんは落ち着きなく虹彩を動乱させ、上擦った声で嘯く。

「じゃ、捨てていいですか?」

「……駄目!」陽動すると、その嘘が分かりやすく露わになった。

「やっぱりあかりさんのものじゃないですか。それに今『まさか本当に』って言いましたものね」

「……」

「あかりさんはこのカードでわたしを、その、虜にした訳ですね?」

「…………はい」沈黙という名の肯定を醸し出していたあかりさんは、決まりを悪くしたまま小さく認める。

「……そうですか。でもよく考えたら、すぐ気付きますよね。わたしと一定以上の深い関係にある人はあかりさんくらいですから。それを踏まえて、『加えてその者の元にこれと同様のカードが行き渡る』ことを考えれば、送り主、つまり念じた者はあかりさんに特定できる訳です。あかりさんが何処から、誰からカードを受け取ったのかは知りませんけど」

「そ、それは私だって」

「まぁあかりさんは綺麗で、モテますからね。何処の誰とも知らない女の子から恋い慕われてもおかしくないんじゃないですか」もし知らない人から好意を寄せられていたとしたらそれは絶大な好意だ。何故ならその人も誰かから想われたことでカードを受け取り、その誰かに心を引っ張られながらも片想いするあかりさんへの愛を念じたということだから。この魔法カードに起源があるのかは知らないけど、その人が最初でもない限りその事実は確定している。けれどその強い想いとは違って、わたしの想いはカードの効果で盛り上がっただけのものだ。想いとすら言えないかもしれない。そんなわたしがあかりさんを想うことにわたし自身苛立つし、あかりさんを想った人へのどうしようもない嫉妬心も湧いてくる。何だかあかりさんしか見えてなかったわたしが馬鹿に思えてきた。

「わたしじゃなくても、別にいいんじゃないですか?」あかりさんを想った人と同じようにあかりさんもわたしを強く想ってくれたことを理解はできても、雑多に飛び交う嫌気が共和を阻んで、素直に受け容れられない。実際今あかりさんは、その想ってきた人に綺麗な後ろ髪を引かれているんでしょ。

「そんなことない!」それまで縮こまっていたあかりさんが、声を張り上げた。

「そんなこと、絶対ないよ……」あかりさんの声の波は語尾で減速し、声質に湿気が生まれる。表情を上下に歪ませ、目縁には少量の涙を浮かせる。その顔に、ちくりと心が痛む。

「なら、証明できますか?」意地の悪い心は、引き続き悪のままで尋ねる。

「うっ……」苦虫を噛み締めてあかりさんの顔が青色に退いていく。

「ほら、できないじゃないですか」わたしは魔法を噛み潰して、あかりさんの返答に失望した。そのままその場を去っても追いかけてくることはなかった。このカードは気晴らしに適当な誰かに使うことにした。こうやってカードは受け継がれていくのだ。

 魔法なんかに頼らなければよかったのに。

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