『人斬り』少女、公爵令嬢の護衛になる
笹塔五郎
第一章 令嬢護衛編
第1話 人斬り誕生
幼い頃からシュリネ・ハザクラは、ある人に仕えるためだけに育てられた。その人を守るために剣術を磨き、強くなることだけが必要とされたのだ。
そう教え込まれたから、別に生き方に疑いを持ったことはない。
言われた通りに剣術を学び、シュリネは気付けば強者との戦いを好むようになっていた。
キッカケは何だったか覚えてはいないけれど、弱い相手との戦いは面白くなくて、強い相手とのギリギリの命の奪い合いこそが、シュリネに唯一楽しみをくれた。
『人斬り』などと呼ばれたこともあるが、シュリネは決して快楽に任せて人を斬ったことなどはない。ましてや、守るべき対象を斬ることなどありえない――のだが。
「奴はどこへ行った!? この辺りにまだいるはずだ!」
怒号が聞こえ、数名の人々が血眼になって人捜しをしている。
彼らが捜している相手は、シュリネだ。
シュリネは十五歳の誕生日を迎えて、今日から護衛としての任に就く予定であった。
護衛対象であるその人は、対面した時にはすでに死んでいた。
何者かに斬られたようであったが調べる間もなく、シュリネが謀反人として扱われたのだ。
おそらく、誰かに嵌められたのだろう。
シュリネがやってきた日に何者かが事件を起こすことで、シュリネに濡れ衣を着せたのだ。
そして、誰一人としてシュリネを擁護する者はいなかった。親しい者などおらず、剣の道に生きてきたのだから、当然と言えば当然だろう。
「……はあ、どうしてこうなったのかなぁ」
長い髪を後ろに束ね、今日から初めての仕事ということで、珍しく身なりも整えてきた。
けれど、せっかく新調した服も無駄になってしまい、大きく溜め息を吐く。
シュリネが剣の腕を磨いてきたのは、名家の生まれであるその人を守るためであった。顔を拝見したことは数度で、話したこともほとんどないが。
ようやく、これからという時に――シュリネは、自らの力を振るう場所を失ってしまった。
ここにあるのは、正真正銘の『人斬り』としての汚名のみ。捕まれば当然、死罪は免れないだろう。
きっと、シュリネには弁明の機会すら与えられることはない。
あるいは、見つけ次第『斬る』ように命令が下っているかもしれない。
「なら、ここにはもう用はないかな」
生まれ育った土地とはいえ、未練などない。
シュリネは自由になったのだ――誰に命令されることなく、縛られることもない。
だが、本当の自由を得るためには、ここではあまりに知られすぎている。
故に、シュリネのすべきことは一つであった。
「――どこへ逃げるつもりだ、シュリネ・ハザクラ」
名を呼ばれて視線を向ける。
そこには、剣を構えた一人の男が立っていた。見知らぬ相手だが、明確に敵意があることだけは分かる。
「あなたは……」
「お前にはここで死んでもらう必要がある。全ての罪を背負ってもらって、な」
「――」
その言葉だけで、理解するには十分だった。――目の前にいる男は、シュリネの敵だ。
「あなたが仕組んだの? それとも、他に仲間が?」
「お前が知る必要もないこと。だが、お前は適任だったよ。『人斬り』になっても違和感のない――そういう娘だ、お前は」
「わたし、犯罪者以外は斬ったことないんだけど――まあ、あなたも似たようなものだからいいかな」
「ふっ、はははは! こいつは驚いた。まさか、俺に勝つつもりか?」
「? そもそも、あなたが誰か知らないし」
「知らぬのならば、冥土の土産に教えてやろう。俺の名は――かはっ」
瞬間、男は目を見開いた。言葉の途中で息を吐き出したのは、喉元を刃で掻っ切られたからだ。
見れば、少女は腰に下げていた刀を抜き放ち、その刃には鮮血が垂れている。
「……っ!」
パクパクと口だけを動かすが、声が出ない。
斬られた――油断していたのは間違いないが、十五歳になったばかりの少女に、男は簡単にやられてしまったのだ。驚くのも無理はないだろう。
だが、シュリネにとって見れば、男は本気を出すまでもない相手であり、これ以上話すのも無駄だと考えていた。
「別に、あなたがどこの誰かとか、目的がなんだとか、そういうのに興味ないんだよね。ただ、一つだけ――ありがとう」
刀を振って鮮血を刃から飛ばすと、シュリネは男に向かって礼を述べた。
「あなたのおかげで、わたしは自由を手に入れたから。一人でどこか行ってみようとか、そういう考えもなかったんだけど」
シュリネの言葉にも、男は答えることができない。
斬られた喉からの出血は止めることなく、それが致命傷であることは明白だ。
よろよろとした動きで、シュリネに向かって手を伸ばし――そのまま力尽きた。
男の誤算は、シュリネの実力が想定を遥かに超えていたということ。『人斬り』などと噂されても、たかが十五歳の少女だと考えていたのだ。
――実際には、彼女に剣術で勝てる者など、この国にいるかどうかも分からないというのに。
シュリネからすれば男の素性は不明のままだが、もはやどうでもいい。
シュリネを嵌めようとしたというよりは、権力を手に入れるために利用しようとした、というところだろうか。
だが、この国を出ると決めた以上、もはや関係のない話だ。
「いたぞ、こっちだ――なっ!?」
シュリネを捜していた他の者達も駆けつけてきて、惨状に目を見張る。
首元を斬られ、まだ新しい血を垂れ流す遺体。それをやったのが、シュリネであることは明白だ。
言葉を失った男達に向かって、シュリネは淡々と言い放つ。
「追ってくるのなら斬る。たった今、そう決めたよ」
それは――シュリネにとっては決別の言葉であった。潔白を証明するよりも、濡れ衣であったはずの汚名を被り、罪人となる道を選んだ。
ここから先、先ほど斬った男とは全く無縁の者もいるだろうが、もう選別はしない。追ってくる者、敵対する者は全て斬り伏せる。
『人斬り』シュリネ・ハザクラが本当の意味で誕生した瞬間であった。
追手にも動揺は広がっているが、去ろうとする者は誰一人としていない。
目の前の状況を見ても、まだシュリネをただの少女と侮っているのか――いや、むしろその逆。シュリネを明確な敵として認識したらしい。
シュリネはそんな彼らを見て、小さく溜め息を吐いた。
「はあ、別にいいけどね。ただ――容赦はしないよ」
それが開戦の合図となり、数分後には血の海が広がっていた。
シュリネを追った者のほとんどは斬り殺され、歴史に名を刻むほどの大罪人として知られるようになる。
だが、その頃にはシュリネは国を去っており、戻ってくることはなかった。
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