貴族も平民も大きく括ればどちらもただの人間

 エムとエスが、まともに会えないままでも時間は無情にも過ぎていく。

 今年も共に過ごそう約束した祭りも、エスの無実が証明できないまま、いくつも終わってしまった。

 今年も残す所あと数日。

 今日はお祭りが多いこの月でも。2番目に大き行事の日。

 貴族も庶民も、国民全員が参加する感謝祭。

 国王や王子たちも城の中からではあるが、今年は参加することになった。

 今、情勢が不安定なこの国で懸命に生きている国民たちに向けて、労いと励ましの演説をするという形での参加に、国民たちは喜びの声を上げる。

 街も城も、たくさんのイルミネーションで飾り付けられ、夜だというのに昼のように周りが明るい。

 そのイルミネーションの光につられるように、希望に満ちた表情の人々の心も明るく楽しんでいる。

 屋台も出ていて、この場にエスがいたなら、矢も盾もなく買いに走っていただろう。

 国王たちの演説を遠くに聞きながら、エムが一人、そんなことを思いながら街の中、見回りをしていた頃。

 光の明るさは、必ず暗い影を作る。

 光り輝いている街の通りを少し外れた場所、灯りがなく、深い黒に覆われた場所に、自身の影を隠した男がニタリと嘲笑った。

 誰もが希望に満ち、忍び寄るその影に気づかない。

 もしもここにエスがいたならば、いち早くその影に気づき、事が起きる前に対処したかもしれない。

 何事も起きることなく、この祭りはいつものように人々が晴れやかなまま、通り過ぎただろう。

 その影は、それがわかっていたからこそ、エスを囚えているのだから。



 エムが不穏な感覚に襲われ眉を顰める。

 その瞬間、王子の演説が始まる直前のこと、街に響き渡る声。


「きゃぁぁぁぁっ!!誰か……誰かぁっ!!」


「魔物だっ!魔物がぁぁぁ!!」


 響き渡る悲鳴、阿鼻叫喚。

 優雅な動きで立ち上がった王子が、その悲鳴に顔を引き締めて、城下をみつめる。

 そして、すぐに自身の警護をしている騎士たちにも街を守るよう、指示を出す。

 一足先に魔物と対峙するエムの頭によぎる言葉。


――気をつけて?本当に危ういものは……人々が笑う時に現れる……。


 ラストの忠告にも予言にも似た言葉が警報のように、エムの頭の中を繰り返し巡る。

 エムは苛立ちと不快感に、小さく舌打ちをしながら、騒ぎを食い止めるため詠唱しながら街の中を駆け回り、魔物から民を逃がす。

 この騒ぎは作られたものだ。

 入念な計画のもと、為された謀略にして暴虐。

 戦力を削ぐために、エスの謀反という戯言で閉じ込め、監視という名目で騎士をそちらにつかせて、わざと警備が手薄になるように仕組まれていた。

 夏の祭りが不完全燃焼の心地のまま終わり、今度こそはと皆が待ちに待った大事な行事、例年以上に成功させようと、国民たちが知恵を絞り、心躍らせている中、わざと水を差し、地に叩き落とすようなタイミングをあえて選んだ。

 そのどれもが出来過ぎている。

 これはただの偶然ではない。

 先ほども記した通り、この暴動を引き起こしている人物は、前々から、それこそ年単位で裏で動き、今、その引き金を引いたのだ。

 この騒動が魔物を従える魔王たちの仕業であることは明白だが、それだけだろうか。

 これはこの地から遠く離れた場所で暮らす魔王たちだけでは成し遂げることは不可能なほど、腹立たしいほどに完璧な謀略。

 この大国の中に内通者がいない限りは、為すことが出来ないほどに。

 エムは、向かってくる魔物を退けながら、この出来過ぎた暴動について考えを巡らす。

 そんなエムの背後から大きな非難の声が降り注ぐ。


「前回の失態からのこの騒動、どう責任をお取りになるつもりか?エム殿」


 その声を上げたのは、以前、緊急で開かれた協議の際、冷静な声音で、神妙に進退を問うてきた大臣だった。

 家柄だけが重んじられる大臣の中で、家柄もさることながら、国務に関しては群を抜いた手腕の持ち主で、冷静かつ理知的、国王からの信任も誰より厚いその男は、エムを鋭い瞳で睨めつける。

 しかしエムは、その声に対して、一切の反応を見せない。

 まるで目の前の人助けに夢中で聞こえていないかのように。

 エムは目の前に倒れる庶民に肩を貸し、立たせると手早く治癒の魔法をかけてから逃がす。

 そんなことを幾度か繰り返した時、痺れを切らしたのか、大臣が強い口調で声高に責め立てる。


「エム殿っ!聞いておられるのか!?このような失態ばかりでは貴殿はエムの称号に相応しくないと思わざるえないっ!この時より、こちらの警護はこちらに任せていただこうっ!」


 そんな大臣の言葉にさえ、目を向けることもなく、ひとまずのところ、この辺りの魔物を一掃したエムは魔物たちが溢れる次の場所へと向かって駆け出す。

 大臣が、忌々しそうに走り出したエムの背中を睨めつけた。

 次の瞬間、駆け出したエムの前に、声にならない悲鳴を上げながら泣く子供が飛び出してきた。

 その子供、エムには見覚えがあった。

 あの夏の祭りの時、ラストに踊りを教え、ともに踊りを踊った少女だ。

 その少女の背後に迫るのは、弱った獲物を捕らえんと牙を剥く魔物の群れ。


「大丈夫か!?よし、怪我は無いな?まだ、走れるか?走れるなら、私を通り過ぎて奥まで走れ」


「わ、わかった!走れるっ!」


「いい子だっ!さぁ、いけっ!奥まで行けば、エスの部下の騎士が保護してくれる!」


「お兄ちゃんっ!ありがとうっ!!」


 少女がエムから走って遠ざかりながら、彼に礼を告げる。


「エム殿!ここの警護は私が指揮を執ると言ったであろう!貴殿のような失態ばかりの者に、報告も許可もなく勝手な行動をされては困るっ!」


「人命以上に大切な報告って何だっ!?人の命より優先させなくてはならない許可なんてあるのかっ!?」


 獅子が咆哮するように怒鳴ったエムに、魔物はもちろん、大臣も怯み、たまらず体を震わせる。

 そして何も言えないままの大臣に向かって、エムは自嘲気味に言い募る。


「……正直、私もあんたら側の人間だった……庶民のことは二の次で、貴族の意向こそが優先されるべきだと、当たり前のように思っていた……エスに出逢うまでは……だが……」


 エムはその眼差しに力強い光を宿し、大臣に向かって吠えるように叫ぶ。


「あいつの対になって、エスのそばにいて、エスの周りの人間たちと関わって……いろいろな者と出会って、いろいろなことを知ったっ!!だからこそ私は……あいつが動けない今こそ、あいつの守りたいものを守る義務が……私にはあるっ!!」


 そう言って、エムは体勢を立て直した魔物に向かって、風の魔法を放つ。

 詠唱したエムによって作り出された突風が魔物の軍勢を薙ぎ払う。


――ガキンッ!!


 気配を察知したエムがひらりと躱す。

 エムに躱されたそれが、今さっきまでエムの下にあった石畳にぶつかり短く鈍い金属音をたてた。


「なんの真似だ?大臣……っ」


 背後に立っている男に唸るように問う。

 エムに向けて振り下ろした剣を避けられた大臣の表情はまさに忌々しいという感情を物語っていた。


「エム殿……貴殿は邪魔なのだ。貴殿の存在が……今のこの国にあってはならないものなのだ」


 大臣は剣を構え直し、それに呼応するように近くの魔物が集まり、エムに狙いを定める。


「あぁ、魔界から得た魔物の方が貴殿よりよっぽど従順で扱いやすい。貴殿は、エス殿のように人徳だけが取り柄の人間ではない。高位な家柄と立派な血筋、その上、魔力は群を抜いている。ただでさえ面倒な相手だというのに、志まで平民に蝕まれ腐食すれば、この国の在り方が変わってしまう。在り方が変われば国そのものが変わると同義ではないか!この国はそれではダメなのだっ!!そんな国にしようとする貴殿は今、ここで死んでもらう他ないっ!」


 咆哮とともに一斉にエムに襲いかかる魔物たち、その奥で強力な攻撃魔法の詠唱を唱える大臣。


「我が計算に狂いはないっ!貴殿が死んだあとは丁重に弔おう……この国の英雄として!名誉と栄誉を与え、その弔い合戦として、戦を始める!今こそっ!もう一度っ!!戦争をしようじゃないかっ!!そうすれば、遥か昔のようにはいかないっ!!牙を抜かれた魔王も大したことはないっ!年老いた精霊王すら敵ではないっ!この国は今度こそ、この世界、唯一の強さを誇る国となるっ!くだらぬ馴れ合いや平和ごっこなど終わりにしてなっ!!」


 その言葉を冥土の土産とばかりに、エムに言い放つと、凶暴化した魔物と強大な攻撃魔法がエムに向かって放たれる。

 自身に向かってまっすぐに放たれた強く禍々しい光をエムはみつめたまま、動かない。

 目を瞑り、小さく口を動かした。

 その立ち姿さえも、禍々しい光と魔物の群れに呑み込まれていく。

 その次の瞬間、大きな轟音が響き渡る。

 まるでダイナマイトが爆破されたかように地が揺らぎ、その強い衝撃と降り注ぐ石の礫の前に立っているものはいなかった。


「エムを冠している者を甘く見すぎだな」


 それを引き起こした張本人、エム以外には。


「大臣……貴様には言いたいことが山ほどあるが、時間が惜しいので一つだけ。貴様が講じたのは計算でなく妄想だ。そんな貴様の妄想に塗れた国は端から存在しないと同義だ……」


 そう言って自身を見下ろすエムに、言い返す事も、声を上げることすら出来ぬ大臣はそのまま崩れるように地に倒れ込む。

 辺りに倒れ込む魔物とともに。

 エムが、その場を離れようとした時、まるで地震のように地が小刻みに揺れる。

 それが魔物たちの走る振動だと気づいたエムは、前を見据える。

 あれほど倒してもまだ、魔物は減らない。

 むしろ増すばかりの魔物の大群を前に、騎士も貴族も国民たちも皆、絶望し、戦意を喪失させる。

 ただ一人、魔導師の頂点に立つ男を除いて。


 エムは向かってくる魔物たちに魔法を放つ。

 何度も、何度も、息をする間もなく、何度も。

 膝を折ることなく、魔物の群れの前に一人立ちはだかり、国民を守る。

 何度も魔物に向かって魔法を放ち、何度も目の前の魔物の群れを殲滅させても、湯水のように湧いてくる魔物、魔物、魔物。

 統率者を失ってもなお、獲物を食い殺さんと牙を剥いて群れをなしてやってくる。

 今や、エムだけがこの国の希望だ。

 しかし、エムも機械ではない。

 生身の人間であるエムは、魔力も体力も無尽蔵ではないのだ。

 まるで終わりのない魔物の凶刃に、エムは追い詰められていく。

 一人では限界がある。

 それは至極当然のことだった。

 エムの躰がゆらりと傾げ、踏み込む足から力が抜けていく。


――ここまでなのか……っ!!


 魔物の攻撃を避ける力もなく、エムは反射的に目を瞑る。

 死を悟ったエムだが、痛みも衝撃も感じない。

 恐る恐る目を開いたエム。

 その目に飛び込んできた光景に、エムはただ言葉を失い、眉尻を下げて目を細めた。


「エムを傷つけていいのは俺だけなんだよ?」


 そう呟いたエスが魔物の攻撃を弾き飛ばし、すぐにエムの躰を支える。

 そして、魔物に向かって静かに言い放つ。

 エスの言葉から発される静かな威圧感に、人も魔物も空気も、固くなる。


「君たちじゃ役不足だ。エムが怪我をしないでくれてよかったね。もし、少しでも怪我をしてたら、全部、ぶっ殺してぶっ壊しちゃうところだったんだから。胴体と首と命が繋がってるのはエムのおかげだよ?エムの強さに感謝しながら、回れ右して飼い主の元へ帰りな」


 魔物は次々とエスの言葉に逆らうことなく、街から遠ざかっていく。

 エスの登場に戦意を取り戻した騎士たちも加勢して、事態は終息に向かっていた。

 しかし、全て終わったと思ったその瞬間。

 今までの魔物よりも圧倒的に大きく凶暴そうな魔物がエムを支えるエスに向かって、鋭い爪を持ったその太い腕振りかぶる。

 その動きはまさに、獲物をみつけた熊や狼のように獰猛な獣のものだった。

 エスは目を見開かせ、そして瞬時に悟った。


――逃げられないっ……。


 悲鳴を上げる国民たち、間に合わない騎士や魔導師、ほんの少しの諦めを見せたエスは、エムを強く抱きしめる。

 エムもまた、エスにしがみつくように縋る。


「私たちはいつでも、そう、死が私たちを別つその時まで一緒だろう?エス」


 その言葉は小さな呟きだった。

 けれど、強く大きくエスの心に響く。

 いつもの気高く、まるで勝ち誇ったように薄く微笑むエムに、エスは困ったように笑う。


「……なら、生きることを諦めてなんていられないね!その言葉、生涯忘れないでよっ!?」


 魔物を見据えたエスがエムを抱えたまま、全力で後ろに飛び退く。

 エスの脚力にエムの衝撃魔法が乗り、その反動により、なすすべもなく後ろの壁に叩きつけられる。

 その光景を見つめることしか出来なかった者たちが息を呑む。

 二人の成人男性が叩きつけられた壁はそのの衝撃に負けて砕ける。

 辺りに土煙が舞い、抱きしめ合う二人のことは誰の目にも映らない。

 土煙の中、痛みに顔を歪ませたエスと、そんな彼の腕の中で意識を失ったエム。

 場所を移ろうと、身体を捩った時、エスは自身の状況を察した。

 恐らく、骨の一本や二本、軽く折れている。

 治癒魔法をかけてくれるエムは気を失ったまま、目を覚ます気配もない。

 魔物がこちらに再度向かってくるのも時間の問題だろう。

 エスは、悲しげに微笑んでエムをみつめる。


――死ぬ直前までエムの体温を感じられるのが、嬉しい……けど、本当はもっと、もっと……ずっと一緒にいたかったよ……エム……。


 瞼を閉じたエムを庇うように強く抱きしめたエスは、眠る彼の唇に自身の唇を添わせる。

 触れ合う唇の柔らかい感触に、エムは身を捩らせて睫毛を震わせる。

 二つの影が一つになる。

 そんな二人の世界を破り去るように、土煙の幕が緩やかに晴れていく。

 魔物が咆哮を上げて、まだ影しか見えぬ二人に向かってまっすぐ突っ込んでゆく。

 その瞬間。


「お手……」


 魔物の前に一つの人影。

 その人影はまっすぐ腕を伸ばし、魔物に手のひらを向ける。

 魔物はピタリと動きを止める。

 そして、その人影の言葉に逆らうことなく、鋭い爪を引っ込めて、自身に向けられた手のひらに柔らかい肉球を添える。

 その光景がまるで絵画のような美しさを放ち、誰もが息を呑み、ひとつも声にならない。

 美しすぎるその男は、軽く魔物を撫でると、振り返る。


「重いっ!!覆い被さるなっ!このバカ犬っ!!」


「痛いっ!んもう!エムはすぐ怒るんだからぁ」


 いつものやり取りに、安堵の表情を浮かべた美麗な男は、二人に向かってゆっくりと歩き出す。


「二人とも、怪我はない?」


「私はないが、このバカ犬ははしゃぎすぎて大怪我をしてるようだな……それより、来ていたのか。方向音痴の不審者男め」


「俺が声をかけたんだよ!あのほら、お祝いしてくれた時、食堂の帰りに……こんな騒ぎになるとは思ってもみなかったけど……っていうか、早くこの俺の大怪我、エムの治癒魔法で治してよ!ほら、ラストからもなんか言ってよぉ!!」


 先ほどまで死にかけたとは思えないほどに元気なエスとエムの姿に、周りの国民も騎士も魔導師も、たまらず口にした苦笑と歓声が穏やかに響く。

 そして、力なく地に伏していた本当の叛逆者が目を覚ました時、周りはエスが率いる騎士とエムが率いる魔導師に囲まれていた。

 遠くに見える国王に縋るような目を向けた叛逆者に、王族の誰もが背を向けた。

 先代の魔王を利用し、大きな争いを再度起こし、今度こそこの大国を唯一の強い国にしようと、その野望の邪魔になるエスとエムを葬り去ろうとした側近の策略はあっけなくも失敗に終わり、その榮華とともに跡形もなく砕け散った。

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