高揚も憂鬱も大きく括ればどちらも不安定
今年も残す所あと2ヶ月。
来月は祭りなど大きな行事が多く、大国全体が華やかに彩られ、人の心は自然と盛り上がる。
最後の月は、普段落ち着いている者たちもたまらず走り出す忙しさと、いろいろな楽しい行事に高まる気持ちに急かされ、飛んでゆく矢の如くあっという間に時間が過ぎていく。
しかし、今月は違う。
秋の実りもすっかり獲り終えて、冬の訪れを感じさせる風の冷たさが、辺りの木々を震えさせる。
赤く染まっていた木々の葉も、はらりはらりと落ちて、今は枝にぽつらぽつら残っているだけ。
寒さは寂しさとなって、人の心にまで侵食する。
心躍るような行事もなく、日々がなんとなく通り過ぎていくだけの現状に人の心は容易く荒む。
エムは一人、城の廊下を歩いていた。
いつもであれば、エスと二人で歩く道を。
「背中が丸まっていますよ?貴方らしくもない」
背後から声をかけられ、エムは面倒くさそうに、緩慢な動きで振り返る。
「ナーミオか。何か用か?」
エムにそう問われたナーミオは、その手いっぱいに抱えていた資料を軽く見せながら肩を
「今、わたくしの所の上司が不在なものですから。代理として、わたくしが彼の仕事を
「あぁ、そうか。そなたも異動したばかりだというのに
「えぇ。全く根も葉もない噂だというのに……上の方々はその程度で動くとは余程、暇なようですね」
「城内で上の者の悪口を言うな。田舎の貴族程度、簡単に首と胴体を離されるぞ」
「ふふふ、それは恐ろしいことですけれど。その程度のことで、わたくしの首と胴体を離そうとするような、そんな器の小さな貴族がこの城内にいるとするならば……その方、わたくし、知っている方かもしれません。その方くらいしかいないでしょう?そんな卑怯で卑劣で器の小さい方……」
あっけらかんとした表情でナーミオが放った言葉に、エムは呆れたように眉を寄せた。
そして、その後すぐに咎めるような視線をナーミオに送ったが、恐らく自身と同じ人間を思い浮かべているのだろうと、呆れ混じりのため息を吐く。
――私を陥れようとしたあの大臣が、またコソコソと動いているのだろうな……。
そのことを公にすることは不可能ではない。
しかし、大臣という立場の相手に対して、自身への嫌がらせのことを公にしても、面倒なことになるだけなのは目に見えている。
だが、このままやられっぱなしというのも癪に障るとエムは忌々しそうに目を細める。
いずれは、きちんとした証拠を集め、一切の言い逃れができないようにしなければならないな。
そんなエムの考えをよそに、田舎の貴族として自宅にいた頃を語るナーミオは、自身の頰に指先を当てて、思い出すような仕草をしながら言葉を続ける。
「たとえば、しがない田舎の貴族に、魔導師の頂点を打ち倒せとコソコソ命令するような方……卑怯な手を使うことも厭わない弱虫」
そこまで言い終えたナーミオは不敵に微笑い、事も無げに言い放った。
「そんな密談、利用しない手はありませんからね。わたくしもその弱虫の弱みを握っていますゆえご安心を。あちらはわたくしなど都合の良いように使い、邪魔になれば処分すれば良いと思われたかもしれませんが……」
自身も馬鹿ではないので、そうやすやすと首を離される気は毛頭ない、と相変わらず柔らかい口調とにこやかな微笑みで吐き捨てるように言った。
そんなナーミオを小気味がよさそうに見やってから、エムは納得したように頷いた。
「エム殿はどちらに向かわれるのですか?何か大切なご予定があるならば、出直しますが……」
ナーミオの問いかけに、エムは手に持っていた一冊のノートを揺らしながら、首を横に振る。
「あいつに渡せる機会がなくて、ここの所サボっていたからな。あの方にバレて怒られる前に、渡しておこうと思ってな」
エムが揺らしたノートをナーミオが見やる。
中身まではわからないが、少なくとも表紙は至って普通の日記帳に見える。
しかし、わざわざそのような言い方をするのだから重要な書物なのだろう。
エムの口ぶりからそう察したナーミオは、困ったようにそのノートを見ながら、肩を竦めてみせる。
「……渡せますかね。今、わたくしの上司、囚われの身ですけど」
「問題ない。これは重要な命令により、作成しているものだからな」
「なるほど。なら、わたくしも同行させていただきます。そろそろ上司に文句の一つも言いたいので」
手に抱えた資料を軽く指で弾いたナーミオは、エムの返事も聞かないまま、彼の後についていった。
広い城の中でも奥の奥。
窓もない廊下は、明かりが灯っていても薄暗い。
人の通りはもともとあまりない所だが、油断をせずに人の目を避けるようにしながら、その奥に進んできたエムとナーミオの先に、見るからに重たそうな扉が立ちはだかる。
その扉の先が目的地だ。
この扉は、城で働く者たちと罪人を隔てるために作られたもの。
扉を開けようと手をかけたエムとナーミオ。
「その手をお離しください、お二方」
振り返ると、エスを監視する役目を担っている騎士が、少々困ったように立っていた。
「今ならば見なかったことにいたします。回れ右をして、城の方にお戻りを」
「えぇ、そうしたいのは山々なんですけれど……わたくしも田舎の貴族ですゆえ、この辺りの知識の少なさから、上司の仕事を担う上で支障がありまして。それだけ、お話を聞ければ、すぐに戻ります」
穏やかなナーミオの口ぶりに、騎士は戸惑いつつも、ほんの少し警戒が緩まる。
「私は自身の対となる者とコレを作成しろという命令を受けているからな。なに、そちらに迷惑をかけたいわけではない。コレを渡したらすぐに戻ろう」
「しかし、大臣の方々から誰もここを通すなと命令を受けておりますし……」
見るからに困ったようにオドオドとしながら、言葉を返す騎士に、トドメだと言わんばかりに、エムが言葉を紡ぐ。
「コレは次期国王からの直々の命令だが……あの方の命令以上に優先させる命令があるのならば、私たちも引くが?」
次期国王からの命令、という言葉に怯んだ騎士は少しばかり逡巡してから、躊躇いがちに扉の前から離れた。
「あぁ、騎士の私がなんたることだ。この扉の前を離れられないというのに忘れ物をしてしまった。20分ほど離れてしまうが取りに行くしかないか」
騎士の突然の言葉に、二人は顔を見合わせる。
思えば、上の命令のままに、エムたちを退けようとした彼だって、もともとはこの扉の奥にいる人間の部下だ。
今は罪人と囁かれながら幽閉されている人間だが、ほんの数日前までは騎士の頂点として、誰よりも強く、そして、誰にでも優しく接していてくれていたことを、彼は部下として近くで見ていた。
だからこそ、彼は呟いた。
聞えよがしの独り言を。
それが、命令を遵守することを良しとする騎士としての彼ができる唯一にして最大の譲歩であった。
誰もいなくなった扉の前。
ナーミオはエムに微笑んで言った。
「時間がないようなので、わたくしの仕事についての用件は遠慮します。その代わり後できちんと、貴方からお話をお聞きしますから。わたくしはここで他者が誤って来ないように見ておりますので、どうぞ、ごゆっくり」
エムはナーミオをチラリと見やってから、その言葉に応えるように頷き、扉の奥へと入っていった。
扉の奥にある部屋はエムが思ったよりもきちんと調えられていて、この部屋が立場のある者が過ごしやすいように作られた牢獄だと悟った。
「エム……?どうしてここに?大丈夫なの?」
開いた扉から入ってきた人物を目にしたエスは、大きく目を見張ってから、泣きそうな表情で彼に駆け寄る。
エムは何も言わないまま、手に持っていた日記帳を見せつけるように揺らす。
見なくなってから久しいその交換日記を目にしたエスは、たまらず、クハっと小さく微笑ってエムから日記帳を受け取る。
伝えたい言葉は尽きないようで、エスは矢継ぎ早にエムに声をかける。
「久しぶりだね。体調は悪くない?誰にも傷つけられてない?ちゃんとご飯食べてる?ちょっと痩せたんじゃない?」
「それはこちらのセリフだ。お前の方はどうだ?」
「俺は大丈夫だけど……つまんないかなぁ?何もなさすぎて、日記に書くことないもん」
日記帳を軽く突きながら弱々しく微笑むエスに、エムは静かな声で言った。
「こんな日はいつまでも続かないさ。特に……来月は忙しい。大きな祭りもある中で、必要のない者の監視のために護衛の人員を割けないだろうからな」
それから、短い時間の中で二人は久しぶりの会話を楽しんでから、エムは部屋から出た。
「元気そうでした?わたくしの上司は」
「元気、というのがどのような意味で聞いているかは曖昧だが、体調は悪くなさそうだったな。傷もないし、病気でもない。ただ、精神的には弱って見えた。あいつは優しすぎるバカ犬だからな」
「……エム殿、貴方はわたくしの上司のことを見誤っている気がします。能力は
ナーミオが言わんとしていることがわからず、眉を寄せて首を傾げるエム。
しかし、エスのいる部屋からまだそう離れていないこの場所で、その問答をするのは得策ではないとわかっている二人は、足早にその場を後にした。
後で仕事について教えると約束してから、ナーミオと別れたエムは、自室に戻ってきていた。
何気なく窓に近づき、遠くまで見渡せる外をみつめたエムは、その目に一つの人影をみつけ、訝しそうに眉を寄せた。
そして、カツカツッと城の廊下を靴音を鳴らしながら歩いていき、足早に城の門を抜ける。
そして城の近くで立っていた人影を見咎めて、そちらに声をかけた。
「おい、お前……こんな場所で何をしている?ここは城の近く、今はささくれだっている騎士たちに、迷ったなどという言い訳は通用せんぞ」
「……ねぇ、エム?」
「なんだ?……ラスト」
「気をつけて?本当に危ういものは……人々が笑う時に現れる……」
その言葉だけを残し、ラストはその場を去った。
美麗な男の不可解な言葉と、普段の彼よりもどこか冷たい表情を訝しんだエムは僅かに目を細めた。
ラストの雰囲気は垂れ込む曇り空によく馴染み、冬の訪れを感じさせる張り詰めたような冷たい風の匂いのようだった。
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