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  • 第36話 最後にへの応援コメント

    最終回じゃ、ないですよね?

    作者からの返信

    まだまだあるかな?
    他にも10代の頃に書いた詩があったはず。

  • 辛い経験が作品になっているんですね。
    創作活動は、心身に良いと聞いています。
    自然体が無理せず執筆活動して下さいね。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    つらいことが多いけど、ネット環境がなければ出会えなかった人と交流ができて、技術の革新とはこういう時にこそあるのだ、と思います。
    羽弦さんもどうか、無理せず執筆活動を続けてくだいさいね。

  • 哀しいですね。若い頃は、大人の悩みより深くなりますよね。経験がまだまだだから。
    未知の不安。
    そんな風に感じました。

    作者からの返信

    19歳とは中途半端な時期でもあり、当時の私は人生が終わった気がしていました。今なら十分、若いと思うのに諦念だけがありました。
    そんな若さゆえの虚ろな感覚は今の19歳にもあるのかな?

  • 第4話 久遠の知らせへの応援コメント

    若かりし頃の作品なんですね。

    辛い時代を乗り越えて
    今日に辿り着いた。

    人生は帳尻が合うように
    敷かれているそうです。

    絨毯が皺になっているのが
    目立った前半なら
    アイロンをかけたような
    整いが後半。

    レッドカーペットの中央を
    自信満々に闊歩して下さいね。

    追記:TwitterのDMに
    時々書いているので
    読んで貰えると嬉しいです。

    作者からの返信

    TwitterのDMを読みました。
    ありがとうございます。
    Twitterもパソコン経由で呟いているので、なかなか返信が難しかったり、閲覧するのが遅かったりしますが、温かい返信をもらうと心が震えます。

    『絨毯が皺になっているのが
    目立った前半なら
    アイロンをかけたような
    整いが後半。』

    名言にしたいほど、目から鱗。
    達人さんの分析力と言葉の鋭敏さにハッとさせられます。

  • 縦の糸は脱出
    横の糸は解決

    織り成すミノスはきっと誰かを
    断ち切る強さとテセウス

    中島みゆきさんは缶珈琲のCMに
    出演する位に
    無防備なので
    他愛ない替え歌も許してくれる筈。

    作者からの返信

    中島みゆきさんの楽曲の中では、『空と君のあいだに』と『地上の星』が好きです。(普通かな?)
    『家なき子』はリアルタイムでは見られていませんが、(生まれた頃なので)いい曲です。
    『プロジェクトX』のほうは幼い頃に祖父がつけていた番組なので、かすかに記憶があります。
    缶コーヒーの宣伝、コミカルだけどちょっと、ホラーな感じですよね。現代社会への風刺なのかな、と思いつつ、あの缶コーヒーの宣伝が始まると目線が止まる私がいます。

  • 第2話 泡沫の姫への応援コメント

    ローレライとセイレーンを
    混同しますが
    海に対する執着が
    船を沈める原動力。

    もしも願いが叶うなら
    私は丈夫な脚が欲しい。
    貴方の館で従事して
    この身を生涯寄り添わせたい。

    欲深な私、利取る麻メイド。

    作者からの返信

    人魚姫で思い出すのは、山岸涼子さんの短編作品、『わたしの人魚姫(ネプチュナ)』を思いながら書いた記憶があります。
    報われない恋、報われない願い、報われない祈り。
    世の中には報われないほうが多い。
    カクヨムさんで活動するユーザーさんも、そんなやるせない哀しみと戸惑い、怒りを昇華している。
    15歳の私もそんな苦しみの海の中で藻掻いていました。
    セイレーンのご指摘、ありがとうございます。
    まだまだ知識不足だ、と勉強に邁進したいです。

    編集済
  • 第1話 二人だけの舞踏会への応援コメント

    ちりばめられた言葉
    一つ一つが
    澄んだ空気感を演出して
    スワロフスキーの
    輝きを見ているようです。

    シンデレラは灰被り。
    それでも今夜だけハイキャリア。

    作者からの返信

    15歳のときの作品です。
    タイトル通り、本当に少女でした。
    とは言っても、あの頃には絶対に戻りたくないと意志だけはあります。
    10代の頃だったから次々と降りかかる不幸に耐えられた。
    スワロフスキーのビーズアクセサリーを病棟で作っていたな。