夢を見た。




佐藤がこちらに手を伸ばしていて、私はその手を握ろうと手を伸ばすけれど。


別の方向から名前が呼ばれる。


そちらには緑と鞠の二人がいて、私を誘っている。




私は悩む。


佐藤の方に行くか、緑と鞠の方に行くか。




なんで反対方向にいるの?


なんで……一緒じゃダメなの?


ずっと一緒に、いたじゃない。


これからもずっと一緒に、四人でいるでしょう……?




佐藤が伸ばしていた手を下ろす。


なんで……なんで下ろしたの?


なんで背を向けようとするの?




なんで、行かないで、どこにいくの、私を置いて──




「いかないで」




薄暗い部屋の中、ポツリと自分の響いた声が耳に届いた。




「……夢」




なのに、喪失感がすごくて。


寂しくて、苦しくて、戸惑ってしまう。




いつも通りの、一人暮らしの小さな部屋の中、カーテンの奥はまだまだ暗い。


手探りでスマホを探すけれど、いつも置くベッドの端には置いていなくて。


あぁそうだ、机に置いていて、佐藤が家に来て、お酒飲んで、佐藤が────。




佐藤、は?帰ったの?今何時?


ぴか、ぴか、光るスマホの明かりは緑色。




起き上がってスマホに受信しているメッセージを開くと、佐藤からだった。


『鍵、ポストに入れておいたからー☆』




……あんなことをしておいて、いつも通りの口調で。


でもあんな夢を見ていたせいか、そのメッセージを読んで安心する自分がいた。


寝る前の記憶が蘇る。




たしか、サワーを飲ませられながら、キス、を、されていて。


熱くて、ほわほわとして、眠くなって……それから佐藤がベッドの上に乗せてくれたのか。




お酒は眠気を誘うこともあるけれど、それで眠り込んでも深くは眠れない。


だからあんな夢も見たし、こんな夜中に目覚めてしまったんだ。




「仮にも男の前で、私は無防備に寝すぎていないだろうか?」




紳士とか言っていた割に手を出す……かといって寝ている間に手を出された形跡はない。




『おやすみ、和香』




眠りに入る私に、優しくそう言葉を囁く、佐藤。


無理には押し通してこない佐藤。




私が友達でいたいから、鞠と緑の前では今までと変わらずに友達として接してくれる佐藤。


さりげなく気遣いやの佐藤が……私にだけ『男』だと告白してきた時、どれだけの勇気を振り絞ってくれたんだろう。




私だったら怖くて言えないくらいのことなのに、私を信じて、私になら話してもいいと……告白して来てくれたんだろうか。


「……ダメじゃん、もう」




私の頭の中、佐藤のことばかり考えてる。


佐藤からのキスを拒めないし、アルコールのせいにして流されてしまいたいと思っていた。


元々、佐藤のことはよく知っていたこともあって、嫌悪感もないし……いや、付き合うとして、女の姿なのはちょっと悩むという所も、あるけれど。




でも、それでも、結局は受け入れてしまうんだろう。




佐藤蜜が、好きなんだ。


気付いてしまったこの気持ちは


きっともう、誤魔化せない。






学校の池の前、いつかの私が来ていたベンチと同じ場所に座って、空き時間を過ごしていた。


レポート提出に追われる鞠と佐藤に、図書館に寄るという緑。




緑と一緒に図書館……というのも考えたけれど、今日はなんだかいい天気だったから、外でのんびりとひなたぼっこでもしようと思って座っていた。




「今日は暖かいですなぁ」




聞き覚えのない男の人の声に、一瞬間が空いてから振り返る。


まさかとは思ったけれど、自分に話しかけているらしい、50代くらいのおじさん。




「……え、あ、はい」


「以前、ひょ…………蜜と、ここにいなかったかな?」




ひょ????


なんて、一瞬変な発音に気を取られたけれど、蜜という名前に思い当たる人物が一人しかいなくて反応する。




「佐藤をご存知なのですか?」




なんといっても、あの佐藤だ。


ガラの悪い人達に囲まれて煙草を吸っていた印象の強い、過去の佐藤の写真。




今はギャルなんてしているし、私たち学生の他に佐藤を知る人と会ったことはなかった。




「あぁ、身内だよ」


「身内……って」




『あーしの叔父さん、理事長なんだけどねぇ?』




この学校で、佐藤の身内と言えば、あの言葉しか聞いた事がない。




「理事長……?」


「おや、ひょ……蜜に聞いていたのかい?それなら話が早いかな」




さっきからその『ひょ』はなんなんだろうか、地味に気になる。


理事長といえば、校内イベントの時くらいにしか姿を現したところを見たことがない。


それも、この大学の学生数はとても多いから、理事長が壇上に立っていたとしても豆粒ほどにしか見えないことばかり。


なので、しっかりと顔を合わせたのは、これが初めてだ。




「というか、ここで一緒にいる所を見たということは、ギャル化した佐藤でも見分けがつくということですか?」


「ははっ、わかるさ。あの姿で時々理事長室まで来るんだ。それを聞くのは君にこそ、あいつは本来の姿のことを話したってことかい?」


「……あ」




つい、理事長が佐藤を男だと知っている前提で話していたから、私にそれを打ち明けたことを知っているかなんて考えないで発言してしまっていた。


言っていいのか?わからないけれど。


けれどもう、バレてしまっているならいいだろう、うん。




「えぇと、最近……打ち明けられまして」


「そうか、うん。そうだったか」




なにかを噛み締めるように、嬉しそうにそう呟く彼に、小さな違和感を抱く。




『大学で淑女らしく大人しくしてるならいいよーって条件』




こんなにも優しそうな人が、佐藤を大事にしていそうな人が……本当に佐藤に淑女を求めたのか?


あのギャルの姿で会いに行っているとするなら、ギャルの姿は淑女とはかけ離れていると、思うのだけれど。


それは、いいの?




それに佐藤のことだ、懐いてもいない相手の所にわざわざ足を運びなんてしないだろう。


何かが食い違う。




「ひとつ、いいですか」


「なんだね」


「佐藤が大学に入る時、あなたが──佐藤に求めたモノは、なんだったんですか」


淑女を求める割には、あまりにも佐藤は自由に動けている。


鞠と一緒に自由奔放だ。


この学校の支配者であるなら、そんな佐藤になんていくらでも制限はつけられるだろうに、佐藤からは一切制限されているようには感じない。




コネで入る為に作られた上辺だけの理由?


それなら、女装の意味は、なぜ?


本当に佐藤の趣味……?




いや、佐藤からその事については一切、聞いたことが無い。


自分の意思なのか、他人から求められたことなのか。




「私があの子に求めたモノ……?」


「はい」




彼はふっと柔らかに笑う。


それがどことなく、佐藤の柔らかな笑みと重なって見えた。




この人は、やっぱり──




「ただ生きて、元気に過ごしている姿を見ていられるだけで、私は満足なんだよ」




──佐藤のように、思いやりの深い人だ。




違う、この人は佐藤に『淑女』なんて求めていなかった。


それどころかきっと、本当に特別なことはなにも求めていない。




ただ元気で過ごしていること、それだけを求めているとするなら……。


それならなんで佐藤は……嘘を、ついていたの?




「叔父、さん?」




聞き慣れた、男にしては高めのハスキーボイスに振り返ると、そこには佐藤だけがいた。


レポートは、終わったのだろうか。




「和香、なんで叔父さんと……」


「佐藤、なんで嘘ついたの」


「嘘……?」




その嘘はひとつだけ?


それとも今までにもいくつか嘘が混じっていたりしたの?


私への気持ちは……嘘?本当?




「『淑女』なんて、求められてなかったじゃん」




佐藤の目が、微かに見開かれるのを、私は見逃さなかった。




「叔父さん……どこまで話したの」




佐藤の視線が私から理事長へと移る。


その瞳には焦りが滲んでいて、それを読み取って私は立ち上がり、佐藤の腕を掴む。




「佐藤、今私が聞いてる。なんでそんな嘘ついたの。どこまで本当で、どこが嘘、なの」


「……和香」


「私のこと……」




好きなのも、嘘?


違う、好きなんて言葉ですら言われていない。


ただ自分を好きになれと、そう求められて、キスをされただけで。




私はまだ、その言葉を貰ってすらいなかったから……私が勘違いするように、仕向けただけ?


淑女になれなんて、そんな嘘自体は正直どうでもいいことだ。


そもそも女の格好になったくらいでこの男は大人しくなんてならないだろう。


でも佐藤は今まで、二年間も男だったということを隠していたし……そもそも隠していた理由すら、嘘ならば。


優しくて気遣いやなはずのアンタの嘘は、『男だということを隠している』だけの理由では、留まらないんじゃないの……?




隠し切りたいなら、なぜ私に打ち明けたの?


理事長に言われて女装をしているわけじゃないのなら、それは佐藤の意思でしていることなんでしょう……?




「わけ、わからなくなってきた」




佐藤がわからない。


掴んでいるその腕に、額を当てて俯く。


好きだなんて……自覚、したばかりなのに、酷く不安で、心が苦しい。




「ひょう」




理事長の呟きに、佐藤の肩が大きくビクついた。


なんだ?なんで反応した?と思って顔を上げれば、先程より焦っている佐藤の顔が映る。




……そういえば、さっきから、ひょ、ひょって、理事長が会話の中で漏らしていたけれど。


理事長に顔を向ければ、佐藤に向かってにこやかな笑みを見せている。




「大事な子なんだろう?見ていればわかる」




落ち着いた響きに、パニックに陥っていた心が少しだけ落ち着きを取り戻す。


大事な子……とは、私?


理事長にはそう、見えているの?


「お前のことを少しでも話したんだろう?それは決意をしたからじゃあなかったのかい?なぜまだ隠す必要がある?」




柔らかな声色に、この場の雰囲気が全て呑み込まれるようで。


佐藤の嘘も、決して悪意のある嘘ではないんじゃないだろうかと、思わされる。


本当に佐藤のことを想ってくれているだろう、理事長の言う言葉だからだろうか。




「ひょう」




また、理事長がその言葉を呟……本当にそれは、単なる言葉なのだろうか?




「ひょう……?」




私も、理事長の言葉を反芻するように呟くと、また佐藤が大きくビクついて、一歩私から離れようとする。




「や、やめて」




心做しか、佐藤の頬が赤い……首まで赤いからチークではないだろう。




「ひょうってなに?」




また何か隠そうとしている佐藤のもう片方の腕を取ると、さらにその体が逃げようとする。


なんだ、なにかの暗号か?それとも……。




「まさか、本当の名前?」




佐藤蜜、という名前は、あまりにも男には付けにくい名前だろうとは思っていたから、そこが嘘だったとするならば納得できる。


いつもは余裕たっぷりの佐藤が、私から顔を背ける姿はなかなか見慣れない光景で。


大きく深呼吸をした佐藤は、視線だけを私に向ける。




「……こおりって書いて、氷」




やっぱり、それはどうやら佐藤の本当の名前、だったらしい。




「なんで偽名なんて使ってたの」


「偽名っていうか……妹、の」


「は?」




まさか、蜜は妹の名前だとでも言うのか。


なんで佐藤が妹の名前を名乗ってるの?


女装、しているのも、妹になりきっている、から?




「名前で呼ばれたくなかったのは、名乗っているのが本名じゃなかったから?」


「……」




こくり、とひとつ頷かれると、私は驚きというよりは呆れた気持ちでいっぱいになる。


ポロポロと崩れていく佐藤の嘘は、真実がひとつわかるとまた謎にぶち当たる。




「なんで妹になりきって過ごしてたの?しかも理事長までそれを認めているようだし、そもそも──」




そもそも、その妹はどこに──そう聞こうとして、口を噤む。




妹が健在しているのにわざわざ、身内公認で妹の名前を名乗って女装までするなんて無意味なこと、この佐藤がするだろうか?


そこに思考が行き着いた時、それを私が聞いていい話なのかと、立ち止まる。




その妹は今、どうしているの……?


「あぁもう、和香はほんと……そういう所ばっかり気付いてくれちゃう」




佐藤のあたたかい手が、私の頭を撫でる。




「眠ってるんだよ」




掠れて聞こえるその声は、少し震えているようにも聞こえた。


眠ってる……?




視線を反らす佐藤を見上げてから、理事長に視線を移す。


それは……ただ横になって目を瞑っている、というだけではないような意味の気がする。




「ここではなんだから、移動しないかい?」




理事長がこちらへと歩んでくると、佐藤の肩にぽんと手を乗せ、さする。


落ち着けるように、宥めるように。


佐藤は間を空けてからこくりと頷いた。




「……ごめん、和香」




静かに響く声に、今度は先程佐藤を責めていた自分を責める。


……あぁ、佐藤が家族の話を避けていたのも、きっとそういうことだったんだ。


気付いていなかったとはいえ、無理やり聞き出すような勢いで、佐藤を責めてしまっていた。




「私、こそ」


「いや、和香には遅かれ早かれ話す気でいた。ただ……話すのが怖かっただけ、なんだ」




佐藤が、怖がっていた……。


私も臆病で、怖がりだ。


でも佐藤にだって怖く思うものはある。


それでも話してくれるつもりだったと、佐藤が言ってくれているんだ。


それに気付いたなら、私は、私のすることは。




「私は面倒くさがりだし、怖がりだし、絶対になんでも受け入れられるわけではないけど……佐藤の話なら聞きたいと思う。知りたいと思う」


「……っ」


「佐藤の話、聞かせて」




怖がってばかりではいられないと思った。


大丈夫、佐藤との関係はこんなものじゃ壊れないから。




佐藤が私を見付けてくれて、仲間にしてくれた分、みんなと騒ぎながら優しく心を開かせてくれた分、今度は私が佐藤の心の重荷を、一緒に背負うよ。


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